「一九六四年十月十日午後二時。いよいよ選手団の入場であります。先頭はギリシャ。旗手はジョージ・マルセロス君・・・」
その言葉を思い出すだけで、あのときの興奮がよみがえる。
自宅が電器屋だったことが幸いして、当時京都に二台しかなかったカラーテレビの一台が我が家の店頭にあった。そこで町内の人約二十人が小さな店先に犇(ひし)めき、小学六年生だった私は一番前の特等席に座り、戦後最初にして最大のイベントの開会式を見た。
誰もが顔を上気させていた。それは「スポーツの祭典」などという言葉では言い表せない出来事だった。何しろ「世界の国々」がすべて、目の前に出現したのである。
お洒落なスーツに身を包んだヨーロッパ諸国も、原色の民族衣装をまとったアフリカ諸国も、テンガロンハットのアメリカも、赤いハンカチを振るソビエトも、そしてアジアの国々も・・・。「世界の国々」が一時間以上にわたって胸を張って行進し、そのしんがりに「日本」が現れたのである。
スポーツとは縁のなかった父親も、近所の商店街の親父さんたちも、なぜか目を潤ませていた。まだ子供だった私も、その「意味」がわからないまま、なにやら得体の知れない興奮に、全身が包まれるのを感じた。
それから二週間。興奮は持続した。学校では授業のかわりにテレビでオリンピック。家に帰ってもオリンピックで、誰もが三宅義信の重量挙げに肩を凝らせ、山下跳びに拍手を贈り、女子バレーボールの勝利に涙し、水泳のショランダーの若さに驚嘆し、アべべの威厳ある顔つきに圧倒された。それは、現在スポーツライターとしてある私の原点といえる体験だったが、その総仕上げが閉会式だった。
「世界の国々」が白日の下に整然と出現した開会式とは一変し、夕闇のなかでの閉会式では、「世界の人々」が入り乱れて騒ぎ、踊り、抱き合い、手をつなぐ様子が、国立競技場の照明に照らし出された。
「もしも世界平和というものが存在するなら、それはこのような光景のことを言うのではないでしょうか・・・」
その言葉は子供心に美しく染み込んだ。両親や当時の大人たちが、どう思ったかはわからない。が、そのころの流行歌に、ザ・ピーナッツの『ふりむかないで』という歌があった。一番と二番は、靴下やスカートを直しているから「ふりむかないで」というちょっとセクシーな内容だが、最後は、「ふりむかないで、いつも腕をくみ前を向いて、しあわせ、つかまえましょ」となる。
ふりむけば、戦争があった。だから「ふりむかないで、前を向いて」歩んできた人たちにとって、東京オリンピックは、それがたとえ一時の幻想であっても、ひとつの美しい到達点だったに違いない。
その後、これほど美しい「祭典」は二度と出現していない。おそらく将来も出現することはないだろう。 |