身長193センチ。体重92.1キロの大谷が、それほどの巨躯に見えないのは、ひとえに小さな頭部と甘い顔つきのせいと言えよう。
ゴジラの愛称でメジャーでも活躍した強打者松井秀喜の身長188センチを5センチも上まわっているのに(体重は92キロとほぼ同じ)それほど図体の迫力を感じさせない。
それは、ひょっとしてホームラン・バッターとしての最大の利点といえるかもしれない。ベーブ・ルース、ハンク・アーロン、王貞治、野村克也、田淵幸一など、長距離打者は総じて優しい顔つきの選手が多く、闘志を外に出すコワい顔つきの打者はいない。
相手投手が「ナニクソ!」と思って全力投球するような厳つい顔つきの打者よりも、バッターボックスに立った優しい顔つきを見て、投手が思わず甘い投球をしてしまい、そこをすかさず捉えて打つのがホームラン打者と言えそうだ。
そう言えば大谷と同い年(1994年生まれ)のフィギュアスケート選手で、ソチ・平昌の冬季五輪の連続金メダリストである羽生結弦も小顔で甘いマスク。だが、彼はそのおかげで172センチの身長を(スケート靴の助けもあってか)、大谷とは逆に高く、大きく見せることに成功している。
昔は肌の白さが七難を隠したかもしれないが、今は小顔が時代の最先端。羽生や大谷は、まさしく時代の最先端として出現した日本人スポーツマンと言えそうだ。
しかし、誰が大谷選手のこれほどの活躍を予想し得ただろうか?
ロサンゼルス・エンゼルスの一員となった直後、今年三月のオープン戦での大谷の成績は、投手としても(防御率27.00)打者としても(打率1割7厘)最悪の落第点で、誰もが2軍からのスタートを予想した。が、今では投手としても(4勝1敗・防御率3.10)打者としても(打率2割8分9厘6本塁打20打点=6月7日現在)メジャーとして一流の成績を残し、本書が発売される頃にはオールスター戦での活躍が騒がれているかもしれない。
私自身、彼の「二刀流」としての活躍を、これほどのものと予想することができなかった。そのことが残念でならないのは、野茂英雄投手がメジャー入りして以来、私は世の中の(メディアや評論家の)日本人野球選手に対する低い評価に抵抗して、彼らのメジャーでの活躍を信じ、確信し続けてきたからだ。
1993年野茂投手が渡米したときは、多くのひとびとが彼を、日本球界を出て行く「裏切り者」と非難し、ある辛辣な元監督の野球解説者は、「半年足らずで尻尾を巻いて(日本に)帰ってくる」とまで言い切った。
そして多くの野球解説者も、メジャーで活躍できる日本人投手は下手投げ(アンダースロー)か横手投げ(サイドスロー)の軟投型投手で、野茂のような本格派上手投げ(オーバースロー)投手の活躍は無理と声を揃えていた。
しかし、そのような野球解説者たちが現役選手の頃とは時代が変わり、アマチュア社会人野球の国際試合が増え、そこで野茂が押さえた外国人打者の多くがメジャーで活躍していることを思うと、野茂がアメリカで活躍できない理由がなかった。そして超本格派投手の野茂が、メジャーで奪三振の山を築き、大活躍したのは誰もが知る通りだ。
しかし野茂の成功のあとも、「日本人選手は投手では成功できても打者では無理」との声が日本国内で渦巻いた。そこへイチローが登場。メジャー1年目でいきなり首位打者を獲得。04年には262安打を放ち、メジャーのシーズン最多安打を84年ぶり(!)に塗り替える偉業まで達成した。
それでも「日本人の内野手はメジャーでは無理」と言われたところへ松井稼頭央が二塁手・遊撃手として7シーズンに渡ってメジャーの第一線で活躍。さらに日本の悲観主義者(ペシミストたち)が「キャッチャーだけはメジャーで務まらない」と言うなかで、城島健二がマリナーズの正捕手として4シーズン活躍。
そして最後に長距離打者(ホームラン・バッター)だけは無理と言われたなかで、ヤンキース入りした松井秀喜が3試合連続ホーマーなどメジャー10年で通算175本塁打を記録した。
私は、それら日本人選手の活躍を当然の結果と思っていた。日本の野球のレベルの高さは、オリンピックやWBCでも証明済み。昭和11年にメジャーリーガーたちが来日したとき、当時の新聞は「天を突く巨漢揃いの大男軍団」と仰天したが、ベーブ・ルースは188センチ98キロ、ルー・ゲーリッグは183センチ91キロ。現在の日本のアスリートたちと較べれば、それほどドデカいわけでもない。
技術的にも体格的にもマイナス材料は特になく、日本人の優秀な野球選手がアメリカ・メジャーで活躍しても、何ら不思議ではなくなった。
しかし大谷翔平の「二刀流」だけは別だった。何しろピッチャーとしても活躍したベーブ・ルース以来の二刀流といっても、それは百年前の話。現代のメジャー野球は、当時に比べて格段に進歩しているのだ。
私は、一部の野球解説者が口にする「昨今のメジャー野球は、レベルが落ちた」という意見には断固として賛成できない。それは嘘である。
確かに日本で巨人のONの活躍し始めたころ(1960年)と較べれば、メジャーの球団数は16球団から30球団に倍増した。だから「昔」ならマイナー選手でしかないプレイヤーたちで現在のメジャー選手はは2倍に水増しされているという。
しかし60年代のメジャーでは黒人選手がまだまだ少なく(優秀な黒人選手の多くはニグロ・リーグと呼ばれた、1960年まで存在した黒人リーグに所属していた)、ラテン・アメリカ系の選手も、ほとんどいなかった。それが南米、ヨーロッパ、そして日本を含むアジアからも選手が大勢加わった現在のメジャーリーグは、技術の進歩や情報分析の発達もふくめ、けっして「昔に較べてレベルが低い」とは言えないはずだ。
そして、そのようなメジャーリーグ・ベースボールの進化に「二刀流大谷」も、アジアからのメジャーの一員として大きく貢献しているというわけだ。が、残念ながら私も、そんな大谷の素晴らしさだけは見抜けず、早く投手か打者のどちらかに専念するべきだと思い、そんな発言を繰り返していた。
ベーブ・ルースも投手と打者の二刀流で活躍したのは、ほぼボストン・レッドソックス時代(1914〜19年)の実質6シーズン。ヤンキースに移籍したあとの15シーズン(34年まで)はホームラン打者として活躍した(その後1年間だけボストン・ブレーブスに入り、28試合で6ホーマーを打ったあと引退した)。
ルースがホームランを量産し始めた頃のメジャー野球は、野手の間を狙い打つプレイスメント・ヒットが好打者の証で、ニューヨーク・タイムスなどは「野手が手を伸ばしても捕れない打球を打つのは卑怯なやり方」と非難した。
が、ファンはルースの放つホームランの打球に魅せられて球場へ足を運んだ。
いまアメリカのベースボール・ファンは(そして日本の野球ファンも)、大谷が次はどんなピッチングをし、その次はどんなバッティングをするのかと、胸をわくわくさせながら、球場に足を運び、あるいはテレビのスイッチを入れている。
次には、どんな驚きが待っているのか!? それこそベースボールの醍醐味であり、スポーツの魅力と言えるだろう。
スポーツという文化(カルチャー)は、基本的に若者たちの文化である。若い肉体が溌剌と躍動するなかで、新しい技術が生み出され、新しい記録が創られ、新しいスターが出現する。それは、われわれ年長者には絶対に不可能な試みであり、おそらく想像することすら不可能な出来事といえるのかもしれない。
今年六十六歳となった小生も、自戒の念を込めて書くのだが、もっと日本の若者たちの力(パワー)を信じてもいいのかもしれない。いや、信じるべきなのだろう。
大谷翔平の活躍も、あるいは羽生結弦の活躍も、さらに日本大学アメリカンフットボール部の反則タックルで、潔く自らの誤りのすべてを認めて謝罪した学生も……。言い訳がましい大人たちより、素晴らしい若者たちの出現を喜びたい。 |