ロシアのウクライナへの軍事侵攻が始まったのは北京冬季五輪終了直後(2月24日)。パラリンピックの開幕(3月4日)直前のことだった。
それが昨年12月国連総会で決議された「オリンピック休戦」に違反していることは明白で、しかもロシアはこの決議案の提案国でもあった。
これには、国家ぐるみのドーピング違反でもロシアの選手たちを出場停止にはせず、「親プーチン」とも言われたバッハIOC(国際オリンピック委員会)会長も怒り心頭に発して(?)ロシアを強く非難。
ロシアは過去にも、08年の北京五輪開会式当日にはグルジア(現ジョージア)に侵攻。14年のソチ五輪閉幕直後にはウクライナのクリミアに侵攻と、まるでオリンピックに合わせるかのように戦争を開始。
これは明らかに「スポーツによる世界平和の実現」を第一義の目的に掲げ、「平和の祭典」と呼ばれる「オリンピック運動(ムーヴメント)」に反する行為で、IOCはロシアをオリンピックから永久追放処分にしても良いくらいだ。
が、IOCがそこまでの処分を下さないことは、誰もが知っている。それに、そもそも「オリンピック休戦」という決議が単なる儀式に過ぎず、形骸化していることもわかっている。
つまりIOCが唱えている「スポーツによる世界平和」など単なる絵空事の理想論で、スポーツは平和でなければ行えないだけ。スポーツに平和を導く力などないことは、誰もがわかっていることなのだ。
とはいえ改めて考え直してみたい。スポーツには、そしてオリンピックには、本当に「世界平和を実現する力」が存在しないのか?
戦争とは国家による暴力の行使で、オリンピックは暴力の行使を阻止しようとして休戦決議を提案する。が、それは破られるのが現実。
しかし五輪憲章には、《オリンピックは個人やチームの競争で国家間の競争ではない》と明記され、スポーツでの国家の存在を否定しているのだ。
ならば国家の暴力を止めることはできなくても、国家の介在(影響)を排除することには力を注げるはずだ。
たとえば北京冬季五輪の開幕前、ロシアの選手たちはプーチン大統領に「多くのメダルをロシアのために勝ち取るよう努力します」と誓った。そのニュースが流れたとき、IOCは即座に、それは五輪憲章違反の考え方だと強く注意すべきなのだ。
それに東京五輪でも北京冬季五輪でも、開閉会式での五輪旗の掲揚に自衛隊や人民解放軍の兵士たちが登場した。が、スポーツに自衛隊や軍隊は不要のはず。
次期五輪開催都市のパリは、東京五輪閉会式でのアピールにミラージュ戦闘機を登場させ、三色旗(国旗のトリコロール)を描かせたが、こういう軍隊による国威発揚も止めるべきだ。自衛隊が五輪旗を空に描く行為も、平和を主張するスポーツ大会には不要だろう。
各出場選手たちは「国家の競争」に参加するのではないのだから、国歌や国旗の使用も禁止し、別の旗と音楽を用意するべきだろう(「武器を取って起ち上がれ!
敵の穢れた血を降らせろ!」という歌詞のフランス国歌を初め、多くの国歌は、スポーツには相応しくない「戦いの歌」が多い)。
最近のIOCは先月の本欄で書いたように「国別団体戦」を増やす傾向にある。が、そのような「国家間の競争」につながるすべての要素と軍事色(軍隊)を一切排除すれば、たとえ世界平和は実現できないにしても、オリンピックは、国家間の争いのナンセンスさ、反戦平和の大切さを強く主張できる存在になるはずだ。
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