東京オリンピックの開催に「賛成」と答えた人と「反対」と答えた人の数は、ほぼ同数。どちらも45%だった−−というのは今年のアンケート結果ではなく、1964年の東京オリンピック開催を4年後に控え、ローマ五輪大会の終了直後に行われた中学校教師へのアンケートの結果である(『中村敏雄著作集8「オリンピックと体育」』創文企画より)
64年の東京五輪は、終わったあとは「大成功」と言われたが、開幕前は反対する人も結構多かったのだ。
このときは中高教師を対象にアンケートが取られ、高校教師の場合は保健体育教師の東京五輪開催賛成が71・4%(反対は23・8%)と多かった。
が、保健体育以外の教科を担当し、運動部顧問を務める教師の開催賛成は40・7%(反対は48・1%)。同様に、保健体育以外の担当で運動部の顧問をしていない教師の開催賛成は48・9%(反対は40%)だった。
開催反対の理由は、《校舎建築などの内政の面での不充分な点に予算を廻すべき》で、《主に、大会費用の膨大さに対する不満とみることができる》と、アンケートをまとめた著者の中村敏雄氏は書いている。
さらに開催に賛成する理由として多くの人があげた《日本のスポーツ技術や記録が向上する》《外国人に日本を正しく理解してもらえる》《生徒の経験が豊富になる》《一般社会人の体育活動が盛んになる》《大会への参加を通して世界の平和が前進する》……といった意見にも、中村氏は、総じて《あまりにも楽観的であることに驚くと同時に、これをもって国民が充分に納得したかの如く考えられることは、大変迷惑のように思われる》と、批判している。
そういえば64年の東京五輪は、市川崑監督の記録映画『東京オリンピック』の聖火リレーのシーンで、インドのデリー市を駆け抜けるときに多くの反対する人々が映し出されたように、開幕前は世界的にも批判と非難の声が小さくなかったようだ。
第二次世界大戦が終わってまだ19年という時期に、旧枢軸国の敗戦国で開催されるオリンピックは、国外からの非難もまだ消えず、国内からは《貧乏な日本で、300億円だとか、400億円とかいうベラボウな金を使って、どうしてオリンピックを呼ぶ必要があるのか》という声が渦巻くなかでの開催となったのだ。
が、終わってみれば多くの人々が大成功と大喜びする結果になった。それは大会を運営した人々が真摯に批判と向き合ったからだろう。
64年東京五輪組織委員会の初代事務総長を務めた田畑政治(昨年の大河ドラマ『いだてん』の主人公で、元朝日新聞記者・日本水泳連盟会長)は、遭う人ごとに口癖のように「批判を聞かせて」と口にした。それは「批判のないところには進歩がない」と確信していたからだという。
先に紹介したアンケートのレポートを、中村氏はこう結んでいる。《国民の誰もが東京大会を歓迎しているのではないということを真剣に考えてみる必要があると思う》
そして田畑政治を初めとする東京五輪組織委の面々は批判を受け入れ、大会を成功に導いたのだ。
彼のような人物が東京2020に関わっていれば、選手村でのコロナ感染者も速やかに発表され、「五輪に反対する人は反日的」なんて言葉も飛び出さず、もう少しマシな五輪開催になるのでは……?
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