コラム「スポーツ編」
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掲載日2011-02-09
この原稿は、『新潮45』2007年8月号に寄稿したものです。その後、稿を大幅に改めて『続スポーツ解体新書』(財界展望社/刊)に採録しました。つまらない三下力士の下手糞な出来山が騒がれ、大相撲の「近代スポーツ化」を主張する論調までが堂々とまかり通る世の中、大相撲の危機を感じて“蔵出し”します。この「雑誌掲載版抄録」を読んで少しでもオモシロイと思った方は、是非とも『続スポーツ解体新書』をお買い求めいただき、改訂版全文をお読みください。恥ずかしながら、宣伝でした(笑)。よろしく!

大相撲、「八百長」でなぜ悪い?

 大相撲には八百長があるのか?
 そんな話題でメディア(とりわけテレビ)が、さんざん大騒ぎしたことがあった。
 野暮で無粋な世の中になったものだ。
 きっかけは週刊誌の記事だった。後述するが、小生はその記事の中味を高く評価している。いかにも週刊誌的な派手な見出しで相撲界の八百長を「告発」してはいるが、明らかに方向を見誤った相撲協会という閉鎖社会に対する警鐘としては、きわめて意義のある記事だったと思っている。

 しかし、そのあとがいけない。テレビのワイドショーがこの「問題」を追いかけ、相撲という日本文化と、相撲に対する日本人の心情を、ミスリードしてしまった。
 大相撲に八百長はあるのか?
 そんな問いかけはナンセンスというほかない。大相撲に八百長など、あるわけがない。それこそ、心ある相撲ファンがまず心に抱くべき基本姿勢である。

 もっとも、見ていて情けなくなるような取組はある。相撲協会も認める無気力相撲がそれである。過去に十両の取り組み一番だけが注意の対象になったが、それ以外にも、これは「出来山」ではないかと思える勝負は、いくつも存在する。

 相撲では、対戦する力士同士が勝敗の行方をあらかじめ決めている一番を「出来山」という。以前は、国会審議であっさりと法案が可決されたり、プロ野球のオープン戦で投手が新人選手にわざと打ちやすい投球をしたときなども「出来山」と称し、一般的にも使われた言葉だった。やがて死語になり「出来レース」という言葉が一般化するようになったが、元はといえば相撲用語の「出来山」のほうが一般的だった。

「八百長」という言葉も相撲が関係している。相撲部屋の年寄りに取り入ってもらいたいがため、八百屋の長兵衛が囲碁の勝負でわざと1勝1敗になるように仕組んだことから生まれた言葉らしいが、どんな勝負の世界にも「仕組み」は可能で、我が国では相撲が最も人気のある勝負の世界だったため、「年寄り」というキャラクターが用いられたのだろう。それを土俵上の出来事ではなく囲碁の勝負に移し、相手を「年寄り」という現役を引退した力士にし、「出来山」とは別の言葉が創作されたのは、日本人の愛し続けた相撲という競技に対するオマージュにも思える。

 大相撲で「八百長」が騒がれるとき、必ず例に持ち出されるのは、7勝7敗で千秋楽を迎えた力士の勝率の高さである。「給金相撲」(番付を落とさず、収入を確保する一番)を千秋楽に迎えた力士の多くは白星を手に入れる。どうやら相手力士が白星を譲ってやるらしい。しかし、それはある意味で当然のことで、かつてはそのような出来山の一番を「人情相撲」とか「情け相撲」と称した。

 幕下以下の下位の力士の取り組みでは、家族が応援に来ているときの力士の勝率も高いといわれる。それも「人情相撲」の一種といえる。そんな「人情相撲」は、昔から講談や落語にも語られ、歌舞伎の題材にもなった。

 落語の『佐野山』は、大横綱の谷風梶之助が、小兵ながら人気のあった佐野山と千秋楽でぶつかり、わざと負けてやる話である。佐野山は、母親が大病を患い、看病疲れと金欠で、毎日水しか呑まずに初日から9連敗(当時は10日目が千秋楽)。その佐野山に、谷風が勇み足で負けてやる話を、江戸っ子は「人情相撲」と喜んだのだ。

 歌舞伎の『双蝶々曲輪日記』の『角力場』では、タニマチ筋への恩義のため濡髪長五郎が放駒長吉に勝ちを譲る。その心の葛藤を描いている。両力士とも実在の人物で、「放駒」は現在も相撲部屋(年寄り・現理事長)の名前として残っている。
 そんな話を「八百長」だと騒ぐのは、野暮の骨頂というほかない。

 もっとも、佐野山の場合も濡髪長五郎の場合も、相手力士はその一番が「八百長」であるとは知らず、そのような場合(わかりやすくいえば「片八百長」)は、相撲界では「出来山」とは呼ばず、「盆中」と称した。

「盆」とは賭場のことで、賽子や花札を使うために白布を敷いた場所のことを指す。その白布を敷くことを「盆を敷く」という。それらは任侠言葉で、任侠の世界で非公認に開帳されるモグリの賭場のことを「盆中」と呼んだ。「盆中」では、その場を開帳した親が儲かるよう仕組まれることが多かったためか、片八百長のことをそう呼ぶようになった。

 その言葉が相撲界にも伝わり、相手に負けてくれること、すなわち片八百長を依頼する人物のことを、言葉をひっくり返して「中盆」(「ちゅうぼん」あるいは「なかぼん」)と呼ぶようになった。「中盆」となる人物(同部屋の下位力士、あるいは同部屋の呼び出し)は、勝たせたい力士の対戦相手の力士に片八百長(負けること)を依頼するのだが、勝たせてもらう当人の力士は、形のうえでは「片八百長」の存在を知らないことになっている。

 次の一番に勝てば勝ち越し、あるいは優勝、はたまた大関昇進、横綱昇進……といった大一番を前にして、緊張で顔の引きつった関取の顔を見た三下力士は、常日頃から世話になっている関取のために走る、という構図である。あるいは親方の命を受けて走る場合もあるかもしれない。

 とはいえ、それらはすべて「阿吽の呼吸」で行われたものであり、まさか口に出して手配が依頼されたわけではない。「出来山」も「盆中」も「中盆」も、もちろん隠語である。隠語とは特定の仲間にだけ通用する言葉であり、文字通り「隠れた」言葉、口に出されない言葉、でもある。

「阿吽の呼吸」で展開された取組の結果、「情」をかけてもらった力士は、それなりの御礼をするかもしれない。が、そんな舞台裏のことは、知ったことではない。盆暮れの付け届けが豪華になろうと、相撲ファンにとっては、そんなの関係ねえ。土俵上で、美しい勝負、素晴らしい技の応酬が展開されるかどうか、力のこもった一番が見られたかどうか、重要なのは、それだけである。

 ここで少々注釈を入れておきたいが、小生は、このような「出来山」や「盆中」、あるいは「人情相撲」が大相撲の土俵の上で(頻繁に)行われていたと、いいたいのではない。ましてや、このような勝負の存在を「告発」したいのでもない。

 テレビのワイドショーは、週刊誌と相撲協会の裁判での展開を受け、先代貴乃花が初優勝したときの北の湖との一番や、若乃花と貴乃花の兄弟対決の一番なども「八百長だった」と騒いだが、それがいかに野暮で無粋な騒動であるか、ということを理解していただきたいがため、相撲界に存在してきた「言葉」と、その「言葉」の表す内容を紹介しているだけのことである。

 今回の裁判は、相撲協会の仕掛けたもので、週刊誌側に対して、名誉毀損で総額約8億円の賠償金を求めて起こされた。ならば週刊誌側は、裁判に負けるわけにはいかず、「仕組まれた」と思われる取り組みを指摘するのも当然だろう。しかし、先代貴乃花と北の湖の一番も、兄弟対決も、どちらも見事な一番だった。美しい勝負だった。実際、両取組とも日本中の人々が(といっていいほどの多くの人々が)熱狂した。我々相撲ファンは、それで十分である。裁判でどんな話が飛び出そうが、そんな野暮で無粋な話題に付き合う必要はまったくない。

 相撲界には、「出来山」「盆中」以外にもうひとつ、「気負け」という言葉がある。
 絶対に勝てるとは思えない強い力士との対戦で、思い切りぶつかれば怪我の怖れもあると思った力士が手を抜く一番のことである。そういう「気負け」した取組を取った(若手の)力士に対して、「気」で勝った(横綱や大関の)強い力士は、若手の力士に対して、そんな「気の弱い」ことではダメだと稽古をつけてやったり、ときにはメシでも奢ってやったり、小遣いでも渡してやったりして、きちんと「可愛がって」やったものだ。そうして奮起を促すよう指導してやるのが常だった。

 もっとも、そんな「お小遣い」をハナから期待し、自ら進んで「気負け」する力士や、「気負け」を事前に相手に伝えて「お小遣い」をせびる力士も存在したらしい。
 また、なかには観客の声援やファンの贔屓の声に左右され、気力の充実を欠いた一番を取ってしまう「気負け」も存在するだろう。ひょっとして北の湖が先代貴乃花に寄り切られた一番や、弱いお兄ちゃんが強い弟に勝った一番も、そんな場内の空気やファンの声に「気負け」した結果といえるかもしれない。が、そんなことも、どうでもいいことである。あの二番の取組は、美しい相撲だった。

 相撲界に「ガチンコ」(本気の勝負)という言葉が存在しているように、その裏には「出来山」「盆中」「気負け」といった、相撲協会が「無気力相撲」と呼ぶ取組も明らかに存在している。
 年に6場所、90日も毎回同じような相手と相撲を取れば、そこには「情」も入り込むだろう。「気」の抜けるときもあるだろう。怪我を怖れるときもあるだろう。「情」(星)をかけられた力士が「情」(星)で返すようなケースも出るかもしれない。

 それらの事情を知ったうえで土俵上の一番を楽しみ、肉弾の激しいぶつかり合いに驚嘆し、技の応酬に舌を巻き、熱戦に拍手を送り、そして凡戦には「これは出来山だぜ」などといって舌打ちしながら観戦するのが、相撲の正しい見方といえるはずだ。

 ましてや相撲はスポーツではない。もちろん格闘技として勝敗を争うスポーツとしての要素は存在している。が、それだけではなく、相撲はスポーツであると同時に神事でもある。多くの国々、各地方、さらに外国からも集った力人(力士)たちは、一堂に会して四股を踏み、大地を踏み固め、五穀豊穣を祈る。

 明治四年の断髪令では、武士も公家も町人も、すべての日本人が髷を切ることを命じられた。髷には、それぞれの職分に応じた独特のスタイルがあったが、近代日本はそのシンボルを切り落とさせた。が、相撲の力士だけは、それを免除された。大銀杏を初めとする力士の髷は、五穀豊穣を祈る儀式になくてはならないものと判断されたからだろう。その力士たちの頂点に立つ横綱は、土俵入りを八百万の神々に奉納する。その横綱が存在しないのは、国土にとっての不幸といえる。

 さらに大相撲は、興行としての一面もある。江戸時代から続く日本文化の大人気興行であり、誤解をおそれず敢えていうなら、「ガチンコ」ばかりでは怪我人が続出し、横綱が長期休場したり、多くの力士が休場すれば、観客に不満が募る。じっさい大相撲にスポーツ的な要素が強くなり、怪我による休場力士が続出してファンの不満が募り、相撲人気に翳りが差したときもあった。逆に、興行の要素が強くなり、休場する力士は減ったものの「無気力相撲」が横行し、そのあまりに情けない取組の続出に、「土俵の鬼」と呼ばれた親方が激怒し、檄を飛ばしたこともあった。

 が、様々な局面で、神事、スポーツ、興行という3本柱のバランスが保たれ、今日まで相撲という日本文化は維持されてきた。大相撲が格闘技としてのスポーツでもあると同時に、神事でもあり興行でもあることを勘案すれば、「情」や「阿吽の呼吸」や「気」に基づく「出来山」も「盆中」も「気負け」も、相撲界の常識といえる。それを「八百長」と非難するのは、野暮と無粋の極みというほかない。

 では、なぜ、週刊誌側は、そのような「相撲界の常識」に反して、野暮で無粋な「八百長告発」などという行為に走ったのか?
 もちろん週刊誌というメディアも商売だから、部数増進、金儲けのための行為といえば、それまでである。ましてや大相撲は、傍目に「八百長」と思える行為が確かに存在している。それを「スポーツ(格闘技)」という観点から見れば、いつでもネタには困らない。目の前の一番を「下手な出来山だな」と粋に嘆くか、「八百長は許せない」と無粋に「告発」するか、それだけのことである。

 後者は、神事でもあり興行でもある大相撲のスポーツ(格闘技)という一面にのみ立った見方であり、日本の相撲の美徳ともいえる「情」や「阿吽の呼吸」や「気」を否定する考えにほかならない。その意味で、週刊誌の「告発」を、相撲ファンである小生は、基本的に苦々しく思っている。が、それと同時に、仕方ないな、という思いもある。さらに、よく書いてくれた、という思いも抱いている。

 というのは、かつては「情」や「阿吽の呼吸」や「気」に基づいていた「出来山」「盆中」「気負け」という出来事が、最近ではあまりに数多く横行し、制度化し、システム化しているという話を近年よく耳にしたからである。つまり、「盆中」を仕切る「中盆」の存在が専門化し、その特定の人物が力士のあいだを走り回ったり、かつては「御礼」だった行為に相場の金額が設定されたりしたらしいのだ。その結果「出来山」の一番の数が激増している、とも聞いていた。

 その事実関係を小生は把握していないので、実名や実態を書き記すわけにはいかないが、週刊誌に書かれたことは、おおよそ事実であると小生は思っている。横綱・朝青龍が出廷した裁判のあと、裁判所の外でマイクに囲まれた週刊誌の筆者が「目に余る行為」という言葉を用いたように、どうやら「目に余る」ほどの行為が横行していたのだろう。

 それは詰まるところ、「情」や「阿吽の呼吸」や「気」を解し得ない異文化育ちの外国人力士が、上辺の行為のみを真似た結果ともいえる。巷間指摘されているように、新弟子希望者が減り、力士を異文化育ちの外国人に頼らなければならなくなった必然的結果ともいえる。しかし、それは相撲を格闘技(スポーツ)としか教えることのできなかった親方衆の責任にほかならない。横綱朝青龍が巡業をボイコットして母国に帰り、サッカーに興じた事件も、若ノ鵬の大麻事件も同根であり、「力士作って魂入れず」というほかない。

 日本文化の相撲が世界に広がることは、けっして悪いことではあるまい。武蔵国や信濃国だけでなく、蒙古国や米国や露国からも多くの力人が集い、全世界の五穀豊穣を願うという行為は、世界の食糧危機が叫ばれる今日、日本から世界に向けて胸を張って発信できる情報ともいえる。さらに外国籍力士が増えれば、それぞれの国々での興行も可能になり、テレビ中継やネット中継も行われるようになり、全世界をマーケットにしたスポーツ・コンテンツとして、相撲協会は(プロ野球やJリーグ以上に)新たなビジネスチャンスを手にしつつある、ともいえる。

 つまり、スポーツとしてのみならず、神事としても興行としても世界にはばたく可能性を得たことは、日本の相撲にとって非常に大きなプラスになると小生は思っている。もっとも、それは、世界中から集う力士たちが、自分たちのことを、相撲という長い伝統に貫かれた日本文化の担い手であるという確固たる自覚を持つうえに成り立つことといえる。

 柔道がオリンピックの競技種目となり、「JUDO」へと変質したのとは異なり、日本の「国技館」に集う力士たちは、日本文化としての相撲をとらなければならないのだ。それは、もちろん外国籍力士のみに課せられた役割ではなく、日本人力士も強く自覚されなければならないことである。

 タメ口で育った若い力士も、美しい日本語を力士言葉で礼儀正しく話せるようにならなければならない。ボールペンとシャープペンシルで育った力士も、墨痕鮮やかに筆を使いこなせるようにならなければならない。ロックで育った若い力士も、甚句を詠えるようにならなければならない。学校の歴史の授業では教わってなくても、日本書紀に書かれた野見宿禰と当麻蹴速以来の日本の相撲の歴史は、頭に入れておかなければならない。さらに、出身地で区別されることなく、外国籍の力士にもちゃんこ番が割り当てられ、初っ切りや弓取りの巧みな外国籍の力士が生まれるようにもなるべきだろう。

 新弟子のための相撲教習所で、どれほどの「日本相撲文化教育」がなされているのか、小生は詳しくは知らないが、強い力士を育てよう、関取を育てよう、横綱を育てようとするだけでは、欧米生まれのスポーツ競技のコーチと変わらない。それでは「心技体」を備えた力士は育たない。ましてや「Push Push」という言葉で力をつけさせるような指導は、問題外というほかない。人前で「ごっつぁんです」といわずに「サンキュー」という日本人力士がいたり、優勝インタビューでレスラーのように両腕を高々とあげてアピールする横綱が現れたり、さらに「可愛がる」という言葉を「リンチ」の同義語と理解するような力士が出たことも、論外というほかない。

 そんな誤りを指導者(親方)たちが平気で放置してきたような相撲界では、「情」や「阿吽の呼吸」や「気」を指導することなど不可能だろう。なかでも「阿吽の呼吸」は、相撲の「立ち合い」の基本中の基本でもある。その「立ち合い」に、最近は乱れが多く生じるようになったのも、「阿吽の呼吸」という言葉すら知らない力士や、意味を解さない力士が増えた結果ともいえる。そこから「出来山」や「盆中」をシステム化し、相場化してしまう力士たちが出現するのもうなずける。

 結局は、関取や三役や横綱を育て、部屋の財政を潤したいという意識ばかりが先行した結果としての昨今の相撲界の堕落というほかないのかもしれず、そんな拝金主義も最近の日本社会の投影ともいえよう。が、世の中がどれほど堕落しようと、日本文化の核としての大相撲だけは堕落した世の中と隔絶した美しさを保つのが相撲界の使命のはずである。

 今回の「八百長騒動」は、「目に余る行為」に端を発し、週刊誌の記事に対して相撲協会が裁判所に「白」か「黒」かの判断を仰いだ結果、相撲をスポーツ(格闘技)という一面のみからとらえる見方をメディアに浸透させ、世間に広め、美しい大勝負までが「灰色」に見られてしまうような、日本の相撲にとってまったく情けなくも哀れな結果を招いてしまった。

 相撲協会と横綱朝青龍をはじめとする力士たちが、週刊誌を名誉毀損で訴え、法廷闘争に持ち込んだ深意が奈辺にあるのか、小生は全く首を傾げるほかない。なぜ堂々と「八百長は存在しない」という「建前」を主張し続けなかったのか。

 これは想像でしかないが、「目に余る行為」を繰り返し、稽古を疎かにし、自分勝手な行動を繰り返し、下位力士への指導でも不祥事を起こす(怪我をさせる)ような行為を続けていた横綱の処遇に困り果て、相撲協会は、彼の過去の「白星」を裁判で「黒星」に変えさせようと考えたのか、などと邪推もしたが、どうやらそうでもないらしい。

 あるいは、これも推測でしかないが、訴訟を起こした当時の北の湖理事長が、現役時代は「ガチンコ」勝負に徹した力士で、下位力士から持ちかけられたたったひとつの「気負け」の勝負に対して(哀れんで)「お小遣い」を…………………つづきは、『続スポーツ解体新書』(財界展望社・刊/1300円+税)で、お読みくださいm(_ _)m 

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新国立競技場に毎月P・マッカートニーを呼べますか?神宮外苑に戦艦大和が出現する!建設費も維持費もドンブリ勘定

2020年東京オリンピックの新種目は?野球&ソフトボールも見たいが、綱引も面白そう

日本人はスポーツを知らない。その大問題に気づかなければ……

「女性のスポーツ」を学ぼう!

東京五輪開催の目的は、スポーツ立国の実現にあるはずだが……

高校野球の本質を考えよ――タイブレークに疑問……高校生に娯楽の主役を演じさせるナンセンス

『週刊アサヒ芸能』新連載! NIPPONスポーツ内憂内患 第1回 「スポーツとは何か?」という問いに貴方は答えられますか?

スポーツとは言えない箱根駅伝に、大騒ぎするな!

高校野球問題の本質を考えよ

「朝日新聞問題」の元凶は、甲子園!?

日本のスポーツ界の発展を妨げてるのは……?

日本のスポーツ界の現状と課題

「オリンピズム(オリンピックの理念)」を理解せず、2020年を迎えられるのか?

サッカー映画『ネクスト・ゴール』の素晴らしさ〜世界最弱のサッカー・チームが「夢の1勝」をあげるまでの人間ドラマ

ドイツW杯優勝はブンデスリーガの勝利!

日本のスポーツ界はサッカーを見習え!

日本のスポーツ文化とワールドカップ

今、日本で最高のスポーツマンは、やっぱり浅田真央さんである!

新国立競技場は本当に建設できるのか?

野球が五輪競技に復活?! そのときはスピードアップの7イニング制?

2020年東京オリンピック・パラリンピック開催決定記念講座 「オリンピック」とは何か?〜その意義と意味を考える 2020東京オリンピック・パラリンピックで日本はどう変わる?

オリンピックは[スポーツ+政治」。東京五輪2020で日本はどんな政治的メッセージを発信するのか!?

体育からスポーツへの大転換の時代――スポーツ・ジャーナリズム、スポーツ・ジャーナリストに求められることは?

『NIPPONスポーツ宣言2013』への賛同署名を求めます

2020年東京五輪を開催する意義とは…?

東北楽天日本一/3・11から11・3へ/スポーツの存在理由示した

1964年東京五輪聖火台を被災地へ!

読売・朝日・毎日が支配する野球界の不可思議な構造は、いつ終わる?!

『夏の大甲子園祭』 陽気(やうき)の所為(せゐ)で神も気違(きちがひ)になる――夏目漱石『趣味の遺伝』より

2020東京五輪招致成功!それは体育からスポーツへの大転換!しかし……。

オリンピックは「外交力」の勝負!/東京五輪がどうなろうと、招致結果にとらわれず……。

オリンピックって何?――オリンピックの存在意義

プロ野球「飛ぶボール事件」の本質

新しいネット・スポーツメディア誕生!!

日本のバレーは「お家芸」だから弱体化?

猪瀬都知事「失言」後の「東京五輪招致」に必要なことは?

「長嶋茂雄ラストショー(最後の賞?)」後の日本プロ野球の未来は?

民主主義がスポーツを生んだ

スポーツは本来「暴力」とは対極にある

五輪招致の今こそスポーツ行政改革を!

柔道は日本の生んだ「反暴力」のメッセージを含むスポーツ/日本人は今こそ、スポーツ(柔道)の真の理解を!

今も体罰肯定論が横行:我が国の体育教育は異常だ

桜宮高校事件をきっかけとした新しい体育教育への提言

くたばれ!箱根駅伝!大学スポーツ否定論

2020年東京五輪で、オリンピックとパラリンピックの合体を!

60年代のスポーツ――その「光」と「陰」と…

2020年東京オリンピックは「初音ミクと團十郎」!?

左投手はなぜサウスポーと呼ばれるのか? スポーツ文化の重要性

メディアの「文化(スポーツ)支配」の危険性

共同通信社・編『心の聖地 スポーツ 闘いの記憶』岩波書店・刊(1,800円+税)

「オリンピック」って何?〜東京五輪招致にとって大切なことは…

韓国サッカー選手の「愚行=五輪政治利用行為」を、日本政府とメディアは絶対に看過するな!

ロンドン五輪「メディア革命」の行方/2020年東京招致〜私はこう考える

対談・スポーツで語る新世紀 第1回 ゲスト・猪谷千春(IOC委員)「オリンピックの描き出す人類と地球の未来」

対談・スポーツで語る新世紀 ゲスト・ェ仁親王「日本のスポーツの未来を憂える」

プロ野球人気を拡大するには…

チーム作りは誰のため?

国連スポーツ保障理事会(S保理)北朝鮮非難決議

東京マラソンで考えたこと

メディアとスポーツ 求められる批判者(ジャーナリズム)の視点

オリンピックから「世界」が見える

東京オリンピック〜戦後日本のひとつの美しい到達点

NPB(日本のプロ野球)はマイナーリーグ?

被災地に聖火を!

SPORTSその世界●近鉄バファローズ監督・西本幸雄

スポーツを知らない権力者にスポーツが支配される不幸

新潟にプロ野球新球団誕生か!?それを計画するプロ野球人は誰?

女子スポーツの発展は男子スポーツも支える

「体育」では「体づくり」だけでなく「スポーツの歴史・文化」も教えてほしい。

東京五輪招致落選。国際政治の追い風は吹かず。今後は日本のスポーツ環境を整えるべし。

「記録の神様」宇佐美哲也氏への感謝

「時代」はヒーローを産む 斎藤佑樹投手は「どんな時代」の「どんなヒーロー」か…?

何のための五輪招致か?

冬季五輪の「変貌」は、オリンピック全体の「大変化」につながるのか?

歌やスポーツとともに震災からの復興を!

「スポーツ基本法」を御存知ですか?

相撲は現代スポーツになりえない!?

震災とスポーツ

ジャーナリズムとアカデミズムの狭間で

スポーツの教科書を作りたい!

世界一お馬鹿なスポーツ 「ビアポン」を知ってますか?

「球団」と「球場」どっちが大事?

『60年代のスポーツ』――その光と影と……

1974年10月14日――長嶋茂雄がバットを置いた日

スポーツ中継・スポーツ番組作りの「プロ」になっていただくために

美しい「JUDO」が見たい!

スポーツが現代人に教えてくれること――グローバルに考えてローカルに行動

賭博は「悪」か? 「必要悪」か?

日本のサッカーの弱点は…?

人類最古の文明に生まれた人類最大の文化(フットボール)は、人類生誕の地(アフリカ)で、新たな時代を拓く

スポーツにおける日本人のオカシナ常識

「野性味」は「体育教育」から生まれない

日本サッカー青春時代の闘い

「日本のスポーツ政策」は、まだ生み出されていない

「自民党=政府」でなくなった「二大政党制」の時代に、「スポーツ政策」を構築するのは誰?

冬の五輪は「自然」との闘い

長嶋茂雄・著『野球は人生そのものだ』 不世出の野球人の述懐

貴乃花親方は理事に若すぎる?

ジャーナリズムとアカデミズムの狭間で

民主党政権で日本のスポーツは変わるか?

2016年五輪はリオに決定。東京に欠けていたものは何か?

東京五輪招致の真の敗因

「熱帯の日本」は「ウィンタースポーツ」もできる不思議な国?

2016年、東京五輪・パラリンピック招致〜玉木正之氏「東京五輪に賛成する理由」-前編-

政党マニフェストに見るスポーツ政策──「日本のスポーツ政策」は、まだ生み出されていない

開発と規制の狭間で

WBCよりも大切なこと

ON時代の真の終焉

2016年東京にオリンピックがやってくる?

2016年東京五輪開催の可能性

野茂英雄投手の功績と日本球界の課題

「いまこそタイガース・ファンを辞めるべきではないか」と悩む男の弁明

日本にスポーツジャーナリズムは存在するのか?

野茂の功績と日本球界の課題

人類は4年に一度夢を見る

水着で「言い訳」をしたのは誰?

世界史のススメ

『玉木正之のスポーツジャーナリスト養成塾』夏期集中講座

Jack & Bettyは駅の前

五輪とは死ぬことと見つけたり

セールスマンの死

日本人野球選手のMLBへの流出が止まらない理由

深い衝撃

大学はスポーツを行う場ではない。体育会系運動部は解体されるべきである。

スポーツニュースで刷り込まれる虚構 <森田浩之・著『スポーツニュースは恐い 刷り込まれる〈日本人〉』NHK出版生活人新書>

メディアのスポーツ支配にファンが叛旗

スポーツと体育は別物

岡田vs玉木 ドイツW杯特別対談第5回(最終回)「W杯守備重視の傾向は今後も続く?」

岡田vs玉木 ドイツW杯特別対談第4回 「ブラジルは何故ロナウドを使い続けた?」

岡田vs玉木 ドイツW杯特別対談第3回 「個人のサッカーの差がこんなに大きかったとは…」

岡田vs玉木 ドイツW杯特別対談第2回「世界のランクBからAへ昇るには…」

岡田vs玉木 ドイツW杯特別対談第1回「追加点を取るという国際的意識に欠けていた」

巨人の手を捻る

中日ドラゴンズ監督・落合博満の「確信」(加筆版)

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第2弾!

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第1弾!

「朝青龍問題」再考

大相撲の改革の契機に

“日本のサッカー”は“現代日本”を現す?

スポーツとは合理的なもののはずなのに……

世界陸上と日本のスポーツの未来

デデューの「復帰」に学ぶ「カムバック」に必要なもの

特待制度は「野球の問題」か?

学校はスポーツを行う場ではない!

動き出すか?球界の真の改革

東京オリンピック〜戦後日本のひとつの美しい到達点

日本スポーツ界における「室町時代」の終焉

「水泳ニッポン」は復活するのか?

スポーツはナショナリズムを超えることができるか?

「歴史の重み」による勝利は、いつまで続く?

スポーツ総合誌の相次ぐ「廃刊・休刊」に関して考えられる理由

廃刊の決まった『スポーツ・ヤァ!』をなんとか継続できないものか!?

日本の野球選手はなぜアメリカを目指すのか?

日本のプロ野球と北海道ファイターズに未来はあるか?

私の好きな「スポーツ映画」

東京・福岡「五輪招致」のナンセンス?

政治と格闘した宿命のチャンピオン〜モハメド・アリ

日本のスポーツ界は「中田の個人の意志」を前例に

「求む。新鋭ライター」〜玉木正之の「第5期スポーツ・ジャーナリスト養成塾夏期集中講座」開講のお知らせ

1個のボールが世界の人々を結ぶ

「型」のないジーコ・ジャパンは大丈夫?

社会はスポーツとともに

「日本サッカー青春時代」最後の闘い

スポーツは、学校(教育の場)で行われるべきか?

常識を貫いた男・野茂英雄(日本人ヒーロー/1995年大リーグ新人王獲得)

「玉木正之のスポーツ・ジャーナリスト養成塾第4期GW期集中講座」開講のお知らせ

最近のプロ野球は面白くなった!

人生に「アジャストメント」は可能か?

「栄光への架け橋だ!」は、五輪中継史上最高のアナウンスといえるかもしれない。

スポーツの「基本」とは「ヒーロー」になろうとすること?

2005年――「2004年の奇蹟」(選手会のスト成功)のあとに・・・

アジアシリーズ日韓決戦レポート『日本の野球はどのように進化したか?』

2005日本シリーズに見た「短い闘い」と「長い闘い」

イーグルス1年目をどう総括する?

スポーツとは経験するもの? 想像するもの?

阪神電鉄VS村上ファンド――正論はどっち?

高校野球の「教育」が「暴力」を生む

『スポーツ・ヤァ!玉木正之のスポーツ・ジャーナリスト実践塾』進塾希望者への筆記試験

ナニワの乱痴気

スポーツが開く未来社会

タイガースって、なんやねん 第10回「星野監督・阪神・プロ野球/それぞれの未来」

タイガースって、なんやねん 第9回「この先は、どんな時代になるんやねん?」

タイガースって、なんやねん 第8回「ミスター・タイガースはおらんのか?」

タイガースって、なんやねん 第7回「誰がホンマのファンやねん?」

タイガースって、なんやねん 第6回「関西は「豊か」やからアカンのか?」

タイガースって、なんやねん 第5回「星野さんは、コーチやなくて監督でっせ」

タイガースって、なんやねん 第4回「球団職員にも「プロの仕事」をさせまっせぇ」

タイガースって、なんやねん 第3回「星野監督は当たり前のことをする人なんや」

タイガースって、なんやねん 第2回「今年のトラにはGMがおりまっせ」

タイガースって、なんやねん 第1回「今年はバブルとちゃいまっせ」

「関西・甲子園・タイガース」=バラ色の未来――あるタクシードライバーの呟き

第V期スポーツジャーナリスト養成塾夏期特別集中講座・配布予定資料一覧

失われた「野球」を求めて――「楽天野球団」は「新球団」と呼べるのか?

浜スタから金網が消えた!

わたしが競馬にのめり込めない理由(わけ)

プロ野球ウルトラ記録クイズ

島田雅彦vs玉木正之 対談 『北朝鮮と闘い、何がどうなる?』

野球は、なんでこうなるの?

投手の真髄――PITCHING IN THE GROOVE

「球界第二次騒動」の行方は?

2005年日本スポーツ界展望〜「真の新時代」の到来に向けて

日本のスポーツの危機

野球は「学ぶもの」でなく、「慣れ親しむもの」

ライブドア堀江社長インタヴュー「落選から西武買収まで、すべて話します」

球団・選手「金まみれ」の甘えの構造

地域社会に根ざすスポーツ

新球団『東北楽天ゴールデンイーグルス』に望むこと

闘いはまだまだ続く

中日ドラゴンズ監督・落合博満の「確信」

奇蹟は起きた!

さようなら、背番号3

プロ野球ストライキと構造改革

「メディア規制法」とスポーツ・ジャーナリズム

黒船襲来。プロ野球維新のスタート!

パラリンピックを見よう! 日本代表選手を応援しよう!

アテネ大会でオリンピック休戦は実現するか?

「NO」といえるプロ野球

プロ野球選手が新リーグを創ってはどうか?

買収がダメなら新リーグ

「逆境こそ改革のチャンス!」

あの男にも「Xデー」は訪れる・・・

F1― それは究極の男の遊び

「戦争用語」ではなく「スポーツ用語」を

スポーツは国家のため?

阪神優勝で巨人一辺倒のプロ野球は変わりますか?

「高見」の論説に感じた居心地の悪さ

原稿でメシを食ったらアカンのか?

アメリカ・スポーツライティングの世界

<戦争とスポーツ>

長嶋野球の花道と日本球界の終焉

スポーツを知らない権力者にスポーツが支配される不幸

ニッポン・プロ野球の体質を改善する方法

草野進のプロ野球批評は何故に「革命的」なのか?

理性的佐瀬稔論

新庄剛志讃江――過剰な無意識

無精者の師匠、不肖の弟子を、不承不承語る

誰も知らないIOC

日本のスポーツ・メディア

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