大相撲には八百長があるのか?
そんな話題でメディア(とりわけテレビ)が、さんざん大騒ぎしたことがあった。
野暮で無粋な世の中になったものだ。
きっかけは週刊誌の記事だった。後述するが、小生はその記事の中味を高く評価している。いかにも週刊誌的な派手な見出しで相撲界の八百長を「告発」してはいるが、明らかに方向を見誤った相撲協会という閉鎖社会に対する警鐘としては、きわめて意義のある記事だったと思っている。
しかし、そのあとがいけない。テレビのワイドショーがこの「問題」を追いかけ、相撲という日本文化と、相撲に対する日本人の心情を、ミスリードしてしまった。
大相撲に八百長はあるのか?
そんな問いかけはナンセンスというほかない。大相撲に八百長など、あるわけがない。それこそ、心ある相撲ファンがまず心に抱くべき基本姿勢である。
もっとも、見ていて情けなくなるような取組はある。相撲協会も認める無気力相撲がそれである。過去に十両の取り組み一番だけが注意の対象になったが、それ以外にも、これは「出来山」ではないかと思える勝負は、いくつも存在する。
相撲では、対戦する力士同士が勝敗の行方をあらかじめ決めている一番を「出来山」という。以前は、国会審議であっさりと法案が可決されたり、プロ野球のオープン戦で投手が新人選手にわざと打ちやすい投球をしたときなども「出来山」と称し、一般的にも使われた言葉だった。やがて死語になり「出来レース」という言葉が一般化するようになったが、元はといえば相撲用語の「出来山」のほうが一般的だった。
「八百長」という言葉も相撲が関係している。相撲部屋の年寄りに取り入ってもらいたいがため、八百屋の長兵衛が囲碁の勝負でわざと1勝1敗になるように仕組んだことから生まれた言葉らしいが、どんな勝負の世界にも「仕組み」は可能で、我が国では相撲が最も人気のある勝負の世界だったため、「年寄り」というキャラクターが用いられたのだろう。それを土俵上の出来事ではなく囲碁の勝負に移し、相手を「年寄り」という現役を引退した力士にし、「出来山」とは別の言葉が創作されたのは、日本人の愛し続けた相撲という競技に対するオマージュにも思える。
大相撲で「八百長」が騒がれるとき、必ず例に持ち出されるのは、7勝7敗で千秋楽を迎えた力士の勝率の高さである。「給金相撲」(番付を落とさず、収入を確保する一番)を千秋楽に迎えた力士の多くは白星を手に入れる。どうやら相手力士が白星を譲ってやるらしい。しかし、それはある意味で当然のことで、かつてはそのような出来山の一番を「人情相撲」とか「情け相撲」と称した。
幕下以下の下位の力士の取り組みでは、家族が応援に来ているときの力士の勝率も高いといわれる。それも「人情相撲」の一種といえる。そんな「人情相撲」は、昔から講談や落語にも語られ、歌舞伎の題材にもなった。
落語の『佐野山』は、大横綱の谷風梶之助が、小兵ながら人気のあった佐野山と千秋楽でぶつかり、わざと負けてやる話である。佐野山は、母親が大病を患い、看病疲れと金欠で、毎日水しか呑まずに初日から9連敗(当時は10日目が千秋楽)。その佐野山に、谷風が勇み足で負けてやる話を、江戸っ子は「人情相撲」と喜んだのだ。
歌舞伎の『双蝶々曲輪日記』の『角力場』では、タニマチ筋への恩義のため濡髪長五郎が放駒長吉に勝ちを譲る。その心の葛藤を描いている。両力士とも実在の人物で、「放駒」は現在も相撲部屋(年寄り・現理事長)の名前として残っている。
そんな話を「八百長」だと騒ぐのは、野暮の骨頂というほかない。
もっとも、佐野山の場合も濡髪長五郎の場合も、相手力士はその一番が「八百長」であるとは知らず、そのような場合(わかりやすくいえば「片八百長」)は、相撲界では「出来山」とは呼ばず、「盆中」と称した。
「盆」とは賭場のことで、賽子や花札を使うために白布を敷いた場所のことを指す。その白布を敷くことを「盆を敷く」という。それらは任侠言葉で、任侠の世界で非公認に開帳されるモグリの賭場のことを「盆中」と呼んだ。「盆中」では、その場を開帳した親が儲かるよう仕組まれることが多かったためか、片八百長のことをそう呼ぶようになった。
その言葉が相撲界にも伝わり、相手に負けてくれること、すなわち片八百長を依頼する人物のことを、言葉をひっくり返して「中盆」(「ちゅうぼん」あるいは「なかぼん」)と呼ぶようになった。「中盆」となる人物(同部屋の下位力士、あるいは同部屋の呼び出し)は、勝たせたい力士の対戦相手の力士に片八百長(負けること)を依頼するのだが、勝たせてもらう当人の力士は、形のうえでは「片八百長」の存在を知らないことになっている。
次の一番に勝てば勝ち越し、あるいは優勝、はたまた大関昇進、横綱昇進……といった大一番を前にして、緊張で顔の引きつった関取の顔を見た三下力士は、常日頃から世話になっている関取のために走る、という構図である。あるいは親方の命を受けて走る場合もあるかもしれない。
とはいえ、それらはすべて「阿吽の呼吸」で行われたものであり、まさか口に出して手配が依頼されたわけではない。「出来山」も「盆中」も「中盆」も、もちろん隠語である。隠語とは特定の仲間にだけ通用する言葉であり、文字通り「隠れた」言葉、口に出されない言葉、でもある。
「阿吽の呼吸」で展開された取組の結果、「情」をかけてもらった力士は、それなりの御礼をするかもしれない。が、そんな舞台裏のことは、知ったことではない。盆暮れの付け届けが豪華になろうと、相撲ファンにとっては、そんなの関係ねえ。土俵上で、美しい勝負、素晴らしい技の応酬が展開されるかどうか、力のこもった一番が見られたかどうか、重要なのは、それだけである。
ここで少々注釈を入れておきたいが、小生は、このような「出来山」や「盆中」、あるいは「人情相撲」が大相撲の土俵の上で(頻繁に)行われていたと、いいたいのではない。ましてや、このような勝負の存在を「告発」したいのでもない。
テレビのワイドショーは、週刊誌と相撲協会の裁判での展開を受け、先代貴乃花が初優勝したときの北の湖との一番や、若乃花と貴乃花の兄弟対決の一番なども「八百長だった」と騒いだが、それがいかに野暮で無粋な騒動であるか、ということを理解していただきたいがため、相撲界に存在してきた「言葉」と、その「言葉」の表す内容を紹介しているだけのことである。
今回の裁判は、相撲協会の仕掛けたもので、週刊誌側に対して、名誉毀損で総額約8億円の賠償金を求めて起こされた。ならば週刊誌側は、裁判に負けるわけにはいかず、「仕組まれた」と思われる取り組みを指摘するのも当然だろう。しかし、先代貴乃花と北の湖の一番も、兄弟対決も、どちらも見事な一番だった。美しい勝負だった。実際、両取組とも日本中の人々が(といっていいほどの多くの人々が)熱狂した。我々相撲ファンは、それで十分である。裁判でどんな話が飛び出そうが、そんな野暮で無粋な話題に付き合う必要はまったくない。
相撲界には、「出来山」「盆中」以外にもうひとつ、「気負け」という言葉がある。
絶対に勝てるとは思えない強い力士との対戦で、思い切りぶつかれば怪我の怖れもあると思った力士が手を抜く一番のことである。そういう「気負け」した取組を取った(若手の)力士に対して、「気」で勝った(横綱や大関の)強い力士は、若手の力士に対して、そんな「気の弱い」ことではダメだと稽古をつけてやったり、ときにはメシでも奢ってやったり、小遣いでも渡してやったりして、きちんと「可愛がって」やったものだ。そうして奮起を促すよう指導してやるのが常だった。
もっとも、そんな「お小遣い」をハナから期待し、自ら進んで「気負け」する力士や、「気負け」を事前に相手に伝えて「お小遣い」をせびる力士も存在したらしい。
また、なかには観客の声援やファンの贔屓の声に左右され、気力の充実を欠いた一番を取ってしまう「気負け」も存在するだろう。ひょっとして北の湖が先代貴乃花に寄り切られた一番や、弱いお兄ちゃんが強い弟に勝った一番も、そんな場内の空気やファンの声に「気負け」した結果といえるかもしれない。が、そんなことも、どうでもいいことである。あの二番の取組は、美しい相撲だった。
相撲界に「ガチンコ」(本気の勝負)という言葉が存在しているように、その裏には「出来山」「盆中」「気負け」といった、相撲協会が「無気力相撲」と呼ぶ取組も明らかに存在している。
年に6場所、90日も毎回同じような相手と相撲を取れば、そこには「情」も入り込むだろう。「気」の抜けるときもあるだろう。怪我を怖れるときもあるだろう。「情」(星)をかけられた力士が「情」(星)で返すようなケースも出るかもしれない。
それらの事情を知ったうえで土俵上の一番を楽しみ、肉弾の激しいぶつかり合いに驚嘆し、技の応酬に舌を巻き、熱戦に拍手を送り、そして凡戦には「これは出来山だぜ」などといって舌打ちしながら観戦するのが、相撲の正しい見方といえるはずだ。
ましてや相撲はスポーツではない。もちろん格闘技として勝敗を争うスポーツとしての要素は存在している。が、それだけではなく、相撲はスポーツであると同時に神事でもある。多くの国々、各地方、さらに外国からも集った力人(力士)たちは、一堂に会して四股を踏み、大地を踏み固め、五穀豊穣を祈る。
明治四年の断髪令では、武士も公家も町人も、すべての日本人が髷を切ることを命じられた。髷には、それぞれの職分に応じた独特のスタイルがあったが、近代日本はそのシンボルを切り落とさせた。が、相撲の力士だけは、それを免除された。大銀杏を初めとする力士の髷は、五穀豊穣を祈る儀式になくてはならないものと判断されたからだろう。その力士たちの頂点に立つ横綱は、土俵入りを八百万の神々に奉納する。その横綱が存在しないのは、国土にとっての不幸といえる。
さらに大相撲は、興行としての一面もある。江戸時代から続く日本文化の大人気興行であり、誤解をおそれず敢えていうなら、「ガチンコ」ばかりでは怪我人が続出し、横綱が長期休場したり、多くの力士が休場すれば、観客に不満が募る。じっさい大相撲にスポーツ的な要素が強くなり、怪我による休場力士が続出してファンの不満が募り、相撲人気に翳りが差したときもあった。逆に、興行の要素が強くなり、休場する力士は減ったものの「無気力相撲」が横行し、そのあまりに情けない取組の続出に、「土俵の鬼」と呼ばれた親方が激怒し、檄を飛ばしたこともあった。
が、様々な局面で、神事、スポーツ、興行という3本柱のバランスが保たれ、今日まで相撲という日本文化は維持されてきた。大相撲が格闘技としてのスポーツでもあると同時に、神事でもあり興行でもあることを勘案すれば、「情」や「阿吽の呼吸」や「気」に基づく「出来山」も「盆中」も「気負け」も、相撲界の常識といえる。それを「八百長」と非難するのは、野暮と無粋の極みというほかない。
では、なぜ、週刊誌側は、そのような「相撲界の常識」に反して、野暮で無粋な「八百長告発」などという行為に走ったのか?
もちろん週刊誌というメディアも商売だから、部数増進、金儲けのための行為といえば、それまでである。ましてや大相撲は、傍目に「八百長」と思える行為が確かに存在している。それを「スポーツ(格闘技)」という観点から見れば、いつでもネタには困らない。目の前の一番を「下手な出来山だな」と粋に嘆くか、「八百長は許せない」と無粋に「告発」するか、それだけのことである。
後者は、神事でもあり興行でもある大相撲のスポーツ(格闘技)という一面にのみ立った見方であり、日本の相撲の美徳ともいえる「情」や「阿吽の呼吸」や「気」を否定する考えにほかならない。その意味で、週刊誌の「告発」を、相撲ファンである小生は、基本的に苦々しく思っている。が、それと同時に、仕方ないな、という思いもある。さらに、よく書いてくれた、という思いも抱いている。
というのは、かつては「情」や「阿吽の呼吸」や「気」に基づいていた「出来山」「盆中」「気負け」という出来事が、最近ではあまりに数多く横行し、制度化し、システム化しているという話を近年よく耳にしたからである。つまり、「盆中」を仕切る「中盆」の存在が専門化し、その特定の人物が力士のあいだを走り回ったり、かつては「御礼」だった行為に相場の金額が設定されたりしたらしいのだ。その結果「出来山」の一番の数が激増している、とも聞いていた。
その事実関係を小生は把握していないので、実名や実態を書き記すわけにはいかないが、週刊誌に書かれたことは、おおよそ事実であると小生は思っている。横綱・朝青龍が出廷した裁判のあと、裁判所の外でマイクに囲まれた週刊誌の筆者が「目に余る行為」という言葉を用いたように、どうやら「目に余る」ほどの行為が横行していたのだろう。
それは詰まるところ、「情」や「阿吽の呼吸」や「気」を解し得ない異文化育ちの外国人力士が、上辺の行為のみを真似た結果ともいえる。巷間指摘されているように、新弟子希望者が減り、力士を異文化育ちの外国人に頼らなければならなくなった必然的結果ともいえる。しかし、それは相撲を格闘技(スポーツ)としか教えることのできなかった親方衆の責任にほかならない。横綱朝青龍が巡業をボイコットして母国に帰り、サッカーに興じた事件も、若ノ鵬の大麻事件も同根であり、「力士作って魂入れず」というほかない。
日本文化の相撲が世界に広がることは、けっして悪いことではあるまい。武蔵国や信濃国だけでなく、蒙古国や米国や露国からも多くの力人が集い、全世界の五穀豊穣を願うという行為は、世界の食糧危機が叫ばれる今日、日本から世界に向けて胸を張って発信できる情報ともいえる。さらに外国籍力士が増えれば、それぞれの国々での興行も可能になり、テレビ中継やネット中継も行われるようになり、全世界をマーケットにしたスポーツ・コンテンツとして、相撲協会は(プロ野球やJリーグ以上に)新たなビジネスチャンスを手にしつつある、ともいえる。
つまり、スポーツとしてのみならず、神事としても興行としても世界にはばたく可能性を得たことは、日本の相撲にとって非常に大きなプラスになると小生は思っている。もっとも、それは、世界中から集う力士たちが、自分たちのことを、相撲という長い伝統に貫かれた日本文化の担い手であるという確固たる自覚を持つうえに成り立つことといえる。
柔道がオリンピックの競技種目となり、「JUDO」へと変質したのとは異なり、日本の「国技館」に集う力士たちは、日本文化としての相撲をとらなければならないのだ。それは、もちろん外国籍力士のみに課せられた役割ではなく、日本人力士も強く自覚されなければならないことである。
タメ口で育った若い力士も、美しい日本語を力士言葉で礼儀正しく話せるようにならなければならない。ボールペンとシャープペンシルで育った力士も、墨痕鮮やかに筆を使いこなせるようにならなければならない。ロックで育った若い力士も、甚句を詠えるようにならなければならない。学校の歴史の授業では教わってなくても、日本書紀に書かれた野見宿禰と当麻蹴速以来の日本の相撲の歴史は、頭に入れておかなければならない。さらに、出身地で区別されることなく、外国籍の力士にもちゃんこ番が割り当てられ、初っ切りや弓取りの巧みな外国籍の力士が生まれるようにもなるべきだろう。
新弟子のための相撲教習所で、どれほどの「日本相撲文化教育」がなされているのか、小生は詳しくは知らないが、強い力士を育てよう、関取を育てよう、横綱を育てようとするだけでは、欧米生まれのスポーツ競技のコーチと変わらない。それでは「心技体」を備えた力士は育たない。ましてや「Push Push」という言葉で力をつけさせるような指導は、問題外というほかない。人前で「ごっつぁんです」といわずに「サンキュー」という日本人力士がいたり、優勝インタビューでレスラーのように両腕を高々とあげてアピールする横綱が現れたり、さらに「可愛がる」という言葉を「リンチ」の同義語と理解するような力士が出たことも、論外というほかない。
そんな誤りを指導者(親方)たちが平気で放置してきたような相撲界では、「情」や「阿吽の呼吸」や「気」を指導することなど不可能だろう。なかでも「阿吽の呼吸」は、相撲の「立ち合い」の基本中の基本でもある。その「立ち合い」に、最近は乱れが多く生じるようになったのも、「阿吽の呼吸」という言葉すら知らない力士や、意味を解さない力士が増えた結果ともいえる。そこから「出来山」や「盆中」をシステム化し、相場化してしまう力士たちが出現するのもうなずける。
結局は、関取や三役や横綱を育て、部屋の財政を潤したいという意識ばかりが先行した結果としての昨今の相撲界の堕落というほかないのかもしれず、そんな拝金主義も最近の日本社会の投影ともいえよう。が、世の中がどれほど堕落しようと、日本文化の核としての大相撲だけは堕落した世の中と隔絶した美しさを保つのが相撲界の使命のはずである。
今回の「八百長騒動」は、「目に余る行為」に端を発し、週刊誌の記事に対して相撲協会が裁判所に「白」か「黒」かの判断を仰いだ結果、相撲をスポーツ(格闘技)という一面のみからとらえる見方をメディアに浸透させ、世間に広め、美しい大勝負までが「灰色」に見られてしまうような、日本の相撲にとってまったく情けなくも哀れな結果を招いてしまった。
相撲協会と横綱朝青龍をはじめとする力士たちが、週刊誌を名誉毀損で訴え、法廷闘争に持ち込んだ深意が奈辺にあるのか、小生は全く首を傾げるほかない。なぜ堂々と「八百長は存在しない」という「建前」を主張し続けなかったのか。
これは想像でしかないが、「目に余る行為」を繰り返し、稽古を疎かにし、自分勝手な行動を繰り返し、下位力士への指導でも不祥事を起こす(怪我をさせる)ような行為を続けていた横綱の処遇に困り果て、相撲協会は、彼の過去の「白星」を裁判で「黒星」に変えさせようと考えたのか、などと邪推もしたが、どうやらそうでもないらしい。
あるいは、これも推測でしかないが、訴訟を起こした当時の北の湖理事長が、現役時代は「ガチンコ」勝負に徹した力士で、下位力士から持ちかけられたたったひとつの「気負け」の勝負に対して(哀れんで)「お小遣い」を…………………つづきは、『続スポーツ解体新書』(財界展望社・刊/1300円+税)で、お読みくださいm(_ _)m |