横浜市のニュースパーク(日本新聞博物館)で開催されている「2022年報道写真展」の新聞広告を見て、少々首を傾げてしまった。
4枚の写真のうち《ついに出た!村神様56号》と題された写真が最も大きく扱われていたのだが、《東京写真記者協会に加盟する新聞、通信、放送35社の記者が2022年に撮影した報道写真》のなかで、「ウクライナ戦争」や「沖縄慰霊の日」の写真より大きく扱われて良かったのだろうか?
しかも公式戦最後の打席で、現役時代の王貞治選手の記録を抜いた村上選手の写真は、打った瞬間でなく、そのあとのガッツポーズ。「スポーツの瞬間の写真]ではなかったのだ。
もう1枚のスポーツ写真「ドーハの歓喜」はサッカーW杯ドイツ戦の写真だが、これも堂安選手の同点ゴールでなく、日本の選手たちが抱き合って喜ぶシーンで、スポーツの瞬間を捉えた写真ではなかった。
「戦争」よりも「スポーツ」が大きく取りあげられているのは、昨今の日本社会の「平和ぶり」を示すものだろうが、「スポーツ写真」に「スポーツのシーン」が存在しないのは甚だ残念と言うべき問題だろう。
「報道写真展」のホームページにも、別の「スポーツ写真」が3枚載っていた。が、国体に御臨席された天皇皇后両陛下の写真も、Jリーグ優勝で喜ぶ横浜Fマリノスの選手たちの表彰台での写真も、スポーツそのもののシーンを捉えたモノではなかった。
残る1枚も北京冬季五輪女子スケート・パシュートの金メダルを逃して銀メダルとなった日本チームの表彰台での一枚で、決勝の最終コーナーで転んだ姉の高木奈那を、妹の高木美保がなぐさめている写真だった。が、スポーツ写真ならば、やはり氷の魔物に足を奪われてバランスを崩した奈那選手の痛恨の瞬間とか、予期せぬ出来事に呆然とする仲間の表情など、スポーツならではの決定的瞬間を捉えてほしかった。
最近はスポーツ新聞の一面でも、スポーツの決定的瞬間と言える迫力ある写真をなかなか見かけない。プロ野球でヨナラホーマーを打った打者が、試合後に帰宅して家族と乾杯している写真が掲載されたりする。
スポーツをテレビやネットの映像や動画で見ることが普及した結果、静止画のスチール写真はスポーツの決定的瞬間ではなく、物語(ドラマ)を追い求めるようになってきたのだろうか?
映像でも、市川崑監督の映画『東京オリンピック』では、選手の走る姿、跳ぶ姿、砲丸投げの砲丸が投げられるだけで、スポーツの美しさや、迫力や、驚きが感じられたモノだった。が、川瀬直美監督の『東京2020オリンピック』では、赤ん坊を育てながらプレイするアスリートや、亡命で国籍を変えた選手の苦悩など、スポーツ以外の様々な「人間ドラマ」が描かれていた。
眼前の事実(ファクト)よりも、背後にある物語(ストーリー)を求めるのが現代という時代なのかもしれない。
しかし《村神様56号!》も《ドーハの歓喜》も、説明文(キャプション)がないと写真だけではそれがどんな瞬間なのかわからない人も多いだろう。何年か後には、その写真は忘れられてしまうかもしれない。
とはいえ、W杯での《三苫の1ミリ》は、残念ながら日本人カメラマンの撮った写真ではないが、日本がスペインに勝ったという物語を知らなくても、サッカー選手の執念や高い技術を捉えた写真として見事っただ。まだまだ静止画写真にもパワーはあるはずなのだ!
**************** 付記:小生の知ってるあるカメラマンは、こんなことを言ってました。「キャプションがないとわからないような写真は、写真とは言えない」ナルホド、そうですよね。
|