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しごと。
著者:乙武洋匡
出版社:文藝春秋 |
ぐわっはっはっはっははははは。オッホン。吾輩はスポーツライター乙武洋匡の師匠である。つまり乙武洋匡は吾輩の弟子ということになる。
嘘だと思うのなら242〜246ページを読んでいただきたい。そこにきちんと書いてある。乙武クンは、《玉木のオッサンはアクが強いから、すぐ彼の色に染められるぞ》などという阿呆な《忠告》を振り払い、吾輩が講師を務める『スポーツジャーナリスト養成塾』の第一期塾生となり、半年間の授業を見事に修了したのである(1回欠席したが、温情で修了と認めてあげる。オッホン)
なになに、242〜246ページを読んでも、どこにも「師匠」の文字も「弟子」の文字も書かれていないだと? そういうミミッチイ言葉の問題はどうでもいい。断っておくが、彼は、どこやらのオバハンのようなインヴィテーション・スチューデントではない。他の塾生と同様、きちんと入塾を申し込み、入塾料6千円と授業料2万4千円に消費税1千5百円、合計3万1千5百円を納めて入塾を許可されたのである。カネの関係は夫婦の関係よりも強い。これは師匠と弟子の関係以外の何物でもないのだ。ぐわっはっはっはっははははは。オッホン。
ここで高笑いをくりかえしたのには、もちろん理由がある。が、それを語るには、彼が我が塾に入塾を希望したときの当方の対応に触れなければならない。その経緯は243ページに書かれているようなもの――《少し(いや、かなり)驚いていたようではあったが、入塾を歓迎してくれた。玉木氏も》とは、少々異なる。
「玉木サン、280人もの申し込みがあったんでっけど、そのなかに乙武が入っとりまんねん。彼は、もうプロでっせ。どないしまひょ?」
吾輩よりもアクの強い関西弁をまくしたてる担当者から、そんな報告を受けたとき、吾輩の心は千々に乱れた。心が乱れると言葉が出ない。小生が黙っていると、担当者が強アク関西弁をつづけた。
「これって、宣伝になりまっせ。よろしおまっせ。もうかりまっせ。乙武、塾に入れてやりまひょや」
その言葉を聞いて、吾輩は自分の心が千々に乱れた原因に気づいた。同じことを思い浮かべていたのだ。が、吾輩は、それが下劣で下世話で口にすべき言葉ではないという程度の節度を持ち合わせていた。そのため、心が乱れたのだ。いや、もっと正直に書くならば、そのとき吾輩の脳裏には、さらにコマーシャリスティックな思いまで駆けめぐっていた。乙武クンには女性ファンの読者が多い。それにくらべて吾輩の読者は、なぜかハードな中年男性か、オタクチックな男ばっかしである。ならば、貴奴と濃密な関係を築けば吾輩の著書のマーケットも隅から隅までずずずい〜っと広がるやもしれぬ(と、とつぜん文語体になったのは、そのときの吾輩が時代劇の悪代官の心境になっていたからである)。
「よっしゃ!」と思った吾輩は、担当者に向かって答えた。
「あかん。乙武は不合格や。塾には入れたらへん。彼は、もうプロや。立派に原稿も書いとる。そんな彼を入れたら、ほかに入りたがってるアマチュアを落とさなあかん。それは、おれらがやろうと思てた趣旨に反する・・・」
ここで、理屈が合ってないやないか、と思った人は甘い。甘い甘い甘ちゃんのアマチュアである。「宣伝になりまっせ。もうかりまっせ」などといった担当者の意見に、イッパツで同意するのは沽券にかかわる。それに、最終的には彼の入塾に同意するにしても、他の入塾希望者の迷惑にならないような真っ当なリクツが必要である。が、そのリクツが思いつかなかった。そこで、さらに心が万々に乱れた。
最近は、スポーツライターという職業を目指すヤカラが増えた。吾輩がスポーツライターという肩書きを使い始めたときには、雑誌の編集者やテレビのディレクターから、「そんな言葉はないので、スポーツ評論家とか、別の肩書きに・・・」といわれたものである。そんな時代を知っている者としては、隔世の感がある。それを新たな市場と考え、我が塾以外にもさまざまな塾や講座が開かれるようにもなった。が、我が塾は、そういう商業主義とは一線を画すべく開講したはずだった。
我が塾の目的は何か。それは、スポーツをテーマにした文章や語りや写真やイラストといった表現で、メシを食える連中を輩出すること、である。
我が塾への入塾希望者が提出した履歴書のなかには、「ジャイアンツ中心のプロ野球界を改革したい」だの、「地域に密着したクラブスポーツの発展に寄与したい」だの、「日本のスポーツ界の未来のため・・・」だのと、スポーツジャーナリストを目指す高邁な目的がさまざまに書かれていた。なかには、「ナベツネとペンで闘いたい」などというマニフェストを掲げるヤカラもいた。が、そんなリクツを吾輩が商業誌に書けるようになったのは、何歳になってからのことやと思とるねん! プロになって20年以上経ってからのことなんやぞ! と、いいたい。
では、それまでは何をしていたか? 何とか親から独立して自分で食べていけるようになるために、さらに、結婚して嫁ハンを食わせ、指輪のひとつやプラダのバッグも買うてやり、子供を育て、教育を受けさせるために、スポーツに関する原稿を書きつづけてきたのである。それが「仕事」というものである。
スポーツは日常ではない。スポーツなんか存在しなくても世の中は存在する。米をつくるお百姓さんや、家をつくる大工さんなどとは異なり、スポーツは非日常の世界に属する。だからこそ文化といえるのだが、文化など存在しなくても誰も困らない。そんな存在しなくてもいいものをテーマに、しかも、それを自分で行うのではなく、他人が行うのを見て、他人の褌で相撲をとって、それでメシを食おうなどというのは、はっきりいってフザケタ話である。世の中をナメた話である。
しかし、それでもスポーツが好きで、その思いが断ち切れず、それで身を立て、生活をしようというのであれば・・・
途中ではありますが、全文を掲載できませんので、ここからますますオモシロクなる本コラムの全文を読みたいと思われた方は、是非とも乙武洋匡の『しごと。』(文藝春秋社・刊)を、お買い求めください。ぐわっはっはっはっははははは。立ち読み厳禁!
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