今年の夏の甲子園大会は東北地方に時速160キロを超す豪速球を投げる投手が現れて大きな話題となり、さらにその超高校級の投手が地方予選の決勝で登板せず、所属高校が甲子園に進めなかったことで、野球部監督が批判されたりもした。
一方、身体の発達しきっていない高校生に連投を強いなかった監督の行為は素晴らしいと、監督を賞賛する声も出て、賛否両論が沸き起こった。
が、私はどちらの意見にも組することができなかった。
その投手には限界まで投げさせるべきで、高校生の夢の甲子園を奪った監督は許せない……とか、甲子園でもその超高校級投手の活躍を見たかった……などという意見は、まったく論外の暴論で、高校生の教育の一環である部活動を、まるで見世物のように扱っているとしか思えない。
その高校生が、もしも連投で肩や肘を故障した場合、「投げさせるべき」と言った人達は、その投手がプロ野球や大リーグで得られたはずの金銭的補償まで考えての発言とは思えず、無責任も甚だしい謬論(びゅうろん)というほかない。
(最近読んだダニエル・E・リーバーマン著『人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』(早川書房)にも、人間の骨は〈女性なら18歳から20歳、男性なら20歳から25歳〉まで成長し続けるという。その成長期に十両のある硬球を投げ続けることが、いかに成長期の骨や関節を痛めつけるかは、誰にもわかる自明の理である。その意味で、高等学校野球連盟や朝日新聞社「が球数制限を行うデータが揃っていない」などと言うのは笑止千万である)。
しかし、その超高校級投手は、将来大投手になる可能性があるから、肩も肘も守ってあげなければいけない……などという意見に対しても、私は少々首を傾げたくなる。
才能ある球児の身体は守るべきだが、平凡な球児の身体は守らなくても良い……などという意見は、それこそ暴論も甚だしい。
結局は、猛暑の季節の真っ只中で、しかも予選は多くの高校の試験期間中に、短期間のスケジュールで大会を挙行してもイイのか? という問題に尽きるのだ。それが,高校生の部活動を逸脱して、プロのような見世物とかしているのではないか?
今年で101回の夏の甲子園だが、高校球児の健康状態に関する過去のデータが皆無というのも論外である。朝日新聞社は,即刻主催社を辞退し、ジャーナリズムに徹して、高校野球のあり方を考え直すキャンペーンを始めるべきだろう。
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東京朝日新聞社は、全国中等学校野球選手権大会(現在の夏の甲子園大会の前身)を始める直前の1911(明治44)年、1か月以上にわたって『野球と其の害毒』という(現在『野球害毒論』と呼ばれている)キャンペーンを行い、野球が、いかに若者の学生生活を毒し、若者の身体を蝕んでいるか、ということを訴えた。
そのあと大阪朝日新聞が、1915(大正4)年に全国中等学校野球選手権大会を開催し、手の平を返すように,野球がいかに教育的かという「野球教育論」を展開しはじめたのだ。
が、いまこそ朝日新聞社は、再度手の平返しを断行し、ジャーナリズム精神を発揮して、「夏の甲子園改革論」のキャンペーンを始めるべきだろう。 |