テレビやラジオで顔を合わせたタレントさんから、次のような声を聞いたことが何度もある。
「政治に対する批判はいくらでも口にできるけど、スポーツはしゃべりづらいことが多い……。」
確かにそのとおりで、たとえば議員定数の削減なしに消費税増税か!と怒りの声をあげることは容易だが、箱根駅伝について、頭に浮かぶ疑問を素直に口にすることは少々ためらわれる。
日本の男子マラソンが低迷する原因は駅伝にある。とりわけ大人気の箱根駅伝が元凶……とは以前から指摘されている事実で、有望選手の多くが学生時代に燃え尽きてしまうという。が、正月スポーツ最大の人気イベントはマスメディアが強力にバックアップしているため、日本の男子長距離界への悪影響を検証しようとする意見は、多くの人の耳に届かず、少数意見にとどまってしまう。
プロ野球や高校野球、それに高校サッカー、高校ラグビー、高校バレーなどのスポーツイベントについても同様。小生のようなフリーのスポーツライターなら主催者側に立つメディア以外のメディアで批判的な言論を展開することも可能だが、そのような声も結局のところは少数派。日本のスポーツ界はメディアが人気をあおり、スポーツのあり方を根本的に問い直す作業、すなわちスポーツジャーナリズムの機能しない場合が少なくない。
批判の声(ジャーナリズム)が存在しない分野に建設的な発展はありえない。日本のスポーツ界全般にいまひとつ力強い発展性が感じられないのも、スポーツジャーナリズムが健全に機能せず、メディアがスポーツをテレビ視聴率や新聞の売り上げに利用しているから、といえるのではないだろうか。
一方で、体操や女子サッカーなど、世界レベルで元気な日本のスポーツが比較的メディアと無縁な競技であるのは、皮肉というほかあるまい。
そんななかで2020年のオリンピック招致に立候補を表明した東京の動きに対して、日本のメディアは、どんなスタンスをとるのだろう?
前回2016年の五輪招致では、都民の招致賛成の声が低く、リオデジャネイロに敗れてしまった。メディアも特に招致運動を盛りあげようとせず、冷めた目で(批判的に?)石原都知事の(政治的?)動きを追い、開催都市決定の投票で敗北という結果を報じた程度にとどまった。
1964年に次ぐ2度目の東京五輪が、日本のスポーツ界の変革――たとえば国交省、厚労省、文科省等に分かれたスポーツ予算がスポーツ庁に統合され、効率化につながれば……と言う考えから招致に賛成した小生としては、少々残念な結果だったが、招致賛成の声が高まらなかったのも事実だから仕方ない。
とはいえジャーナリズムは、場合によって批判的だけでなく建設的な視点からの意見を述べる必要もあるはずだ。
2020年の五輪招致に再度立候補を表明した東京は、東日本大震災からの復興を旗印に掲げている。それに対して「ならば東北の都市で行うべき」「福島原発の現状で五輪開催など可能か?」といった声もある。
それに対して、宮城県石巻市は、被災後も強い気持ちで整然と困難に立ち向かえたことが武道の精神にも通じるとして「武道の町」を宣言。武道を通じて子供たちの人口流出を食い止め、「東京復興五輪招致」に協力。開催が決まれば柔道やテコンドーの正式競技は無理でも、剣道、弓道、空手、合気道等をエキシビションとして開催することを目指す方針を固めた。
また、選手と役員で3万人、さらに10万人以上の観客が内外から集まる巨大イベントを開催できる都市は、残念ながら東北には存在しない。そこで小生は、石巻市のような運動を支持したい。また国内外に向けての福島原発の情報開示は、五輪招致運動を展開するうえで絶対に必要で、その結果、開催不可能となり、立候補取り消しもあるだろうが、五輪がきっかけの正確な情報開示は日本国民のプラスにもなるはずだ。
賛否の声は今後も錯綜するだろう。が、メディアは自社が主催し独占中継するスポーツだけを派手に騒ぐのでなく、賛否両論を建設的に闘わせる場を提供し、スポーツを通して日本社会の発展に寄与するジャーナリズムとして、その機能を果たしてほしいものだ。 |