1964年の東京五輪大会での出来事である。 記録映画の撮影で市川崑監督がスタッフと共に駒沢競技場でサッカーを撮影していると、和服姿の老夫人が約10人、近寄ってきてこう言った。
「オリンピックはどこでやってるのですか?」
オリンピックなら目の前で、と言いかけた言葉を市川監督は呑み込んだ。日本全国がオリンピック・ムードに染まるなか、日の丸の描かれたチケットを手にオリンピックにやって来てみたら、男たちがただボールを蹴り合っているだけ。
「オリンピックはどこで?」というお婆さんの言葉を聞いた市川監督は、以来「オリンピックとは何か?」を、考え続けたという。
オリンピックがサッカーや水泳や陸上競技やレスリング……など、様々なスポーツを集めた「スポーツの祭典」で「平和の祭典・人類の祭典」でもあると誰もが心得ている今日では、「昭和の老夫人たち」のような疑問を抱く人は皆無だろう。
が、新型コロナの感染でほとんどの競技が無観客となり、テレビ観戦を余儀なくされた今回の大会でも、「平和の祭典・人類の祭典」と言えるのだろうか?
卓球混合ダブルスの水谷・伊藤ペアの準々決勝ドイツ戦での大逆転劇や決勝中国ペアとの一戦では、本当に素晴らしいアスリートのパフォーマンスに酔った。
今大会初の五輪競技となったスケートボードの日本人選手の活躍はスポーツの楽しさに充ち満ちていた。さらにソフトボール決勝戦の攻防の素晴らしさ!
スポーツはどれもこれも面白い。さすがにオリンピックは4年に1度の晴れ舞台だけに、勝った選手の喜び方は他の大会よりも大きくなり、負けた選手の悔しさと悲しさは悲痛なものにもなる。
が、スポーツ競技に現れる奇蹟と呼べるほど美しいパフォーマンスも、無惨にも犯してしまった失敗も、同じスポーツであるからにはオリンピックも他の大会も変わるものではない。それは大谷翔平の活躍、世界選手権、ワールドカップの興奮と同種のものだ。
オリンピックとは何かと考え続けた市川崑監督は、64年の記録映画の最後をこう結んだ。 《この創られた平和を夢で終わらせていいのだろうか》
市川監督の映画はスポーツする人間の肉体と精神の素晴らしさを余すところなく表現した素晴らしい作品だ。
が、このエンディングの言葉だけは曖昧で現実味がなく、少々無責任。それは多分「世界平和」という出来もしない目標をオリンピックが掲げているからだろう。
そもそもスポーツとは本質的に素晴らしいものだから、どんな理屈も付け加えてはいけないのである。
スポーツという素晴らしい人類の文化を4年に1度盛大に行いましょう! オリンピックは、それだけで、ずっと素晴らしいものになるはずだ。
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