ボクシングとは元々「政治的なスポーツ」だった。
18世紀初頭、「近代ボクシングの父」イギリス人ジェームズ・フィッグが、それまでの平手打ちのようなオープンブロー気味の強打ではなく、拳の先端(ナックルパート)を鋭く放つ打撃法や、真っ直ぐに腕を突き出して拳で打つ打撃(ストレートパンチ)を開発。
街角で素手で殴り合うストリート・ファイターとして次々と相手を打ち負かし、270戦269勝1敗の成績を残したと言われている。
この打撃(ボクシング)の技術を身に付けたイギリス人は、世界中のどこの人間にも負けることなく、植民地の拡大で七つの海を支配する大英帝国の発展とともに、ボクシングの世界王座(ヘビー級チャンピオン)には、常にイギリス人が君臨するようになった。
ところがナックルパート打法は、やがてイギリス人以外にも広がり、かつての植民地のアメリカ人(ジョン・L・サリバン)がチャンピオンとなる。しかも、間もなくイギリス人が奪い返した王座を、今度は、かつて奴隷の身分だった黒人(ジャック・ジョンソン)が奪うことになり、大騒ぎ。
チャンピオン・ベルトは欧州に渡ったりアメリカへ渡ったり、白人が取り戻したり黒人が奪い返したりするなかで、ドイツにヒトラーの率いるナチス政権が誕生。
ナチス・ドイツの王者(マックス・シュメリンク)と、模範的黒人の世界王者(ジョー・ルイス)の試合は、「全体主義対民主主義闘い」と形容され、ルイスの勝利にアメリカ人は歓喜した。
戦後になると白人(ロッキー・マルシアーノ)対黒人(フロイド・パターソン)やアメリカの黒人対欧州の白人(インゲマル・ヨハンソン)の対決に続き、前科19犯の「悪」の王者(ソニー・リストン)が登場。
その「悪」を、ローマ五輪のライトヘビー級王者で、「善」の代表者と思われた若者カシアス・クレイが打ち負かした。ところが、彼はモハメド・アリと名を変え、黒人イスラム教徒集団(ブラック・モスリム)に参加。黒人差別に異議を唱え、ヴェトナム戦争に反対を表明し、徴兵を拒否した。
その結果、王座を剥奪され、長く裁判が続き(結局は無罪を獲得したのだが)、彼は3年7か月ものブランクを経験。そしてリングに復活し、黒人の故郷アフリカで、「体制派」と言われた王者(ジョージ・フォアマン)を破り王座に返り咲いた(フォアマンは、黒人の反米運動が盛りあがったメキシコ五輪で優勝したとき、星条旗を振ってリングの上を一蹴した)。
ボクシング映画の『ロッキー』も、社会主義国ソビエト連邦(現ロシア)の王者と戦う筋書きで、ボクシングに必ず顔を出す「政治」が描かれた。
が、その後ベルリンの壁も崩壊。ヘビー級世界王座も、WBA(世界ボクシング協会)、WBC(世界ボクシング評議会)、IBF(国際ボクシング連盟)、WBO(世界ボクシング機構)等の諸団体に分裂し、王者が乱立。
そんななかで、史上最強のチャンピオンと言われたマイク・タイソンが、バブル経済最全盛の日本で高額のファイトマネーを手にし、まったく弱い相手だったはずのジェームズ・ダグラスにあっさりKO負けを喫した。
それは、世界が「政治の時代」から「経済の時代」への移り変わった象徴的出来事とも言えたが、そんな時代の流れはヘビー級以外の日本のボクシング界にも波及しているように思える。
かつて日本のチャンピオンたちは、若さゆえか、貧しさゆえか、あるいは政治的抑圧に対する反抗からかはわからないが、言葉にできない「怒り」を胸の中の煮えたぎらせて、それをリング上で思い切りぶつけてきた。
が、今の日本のチャンピオンたちは、スマートなテクニックでスポーツとしてのボクシングに勝利しているように見える。
ミドル級王者に挑戦した村田諒太も、そのようなスマートなスポーツ・ボクシングで勝った……はずだった……。が、不可解な判定で敗北(それは、ボクシングの世界では珍しい出来事ではない)。
WBA会長が、不可解な判定を非難し、村田や日本のボクシング・ファンに謝罪し、再戦を指示した。その結果、結局は興行主やボクシング団体が金儲けで経済的に勝利した、と言えるのかもしれない。
が、それでは、世の中つまらない。次の試合では、村田に是非とも「経済(金儲け主義)」を打ち砕く「怒りのパンチ」を見せてほしいものだ。 |