9月9日、福井市の県営陸上競技場で開かれた日本学生対抗選手権で、東洋大学4年の桐生祥秀選手が、日本人初の100m9秒台(9秒98)の記録をマークしたことは、皆さん既によくご存じだろう。
その結果、桐生選手は世界で126人目の「100m9秒台ランナー」となった。
これはやはり見事な快挙。何しろ世界中で「100m9秒台ランナーの」存在する国は25か国しかないのだ。
ヨーロッパではイタリアもスペインも、スウェーデンもフィンランドもロシアも、9秒台ランナーは存在しない。アフリカではケニヤもエチオピアも、エジプトもモロッコも、その他の地域では、ブラジルもアルゼンチンも、ニュージーランドもインドも9秒台の走者は出ていないのだ。
日本人は自分たちのことを「体格が小さく体力的に劣る国民」と考えがちで、サッカーの国際試合などでは、アナウンサーが(ヘディング時の)身長差や身体能力の差でマイナス面を強調することが多い。
しかし今更改めてスペインのメッシ(身長169p)やアルゼンチンのマラドーナ(同165p)を例に挙げるまでもなく、体格差や天性の身体能力の差は、スポーツでは、それほど大きな問題とは言えないことが多いのだ。
ところが我々日本人は、判官贔屓や「小よく大を制す」ことが大好きなせいか、自分たちを不利な立場に立たせたがる傾向があるようだ。
100m9秒台の記録も、少し前までは日本人には体格的・体型的・体力的に不可能で、サニブラウン選手やケンブリッジ飛鳥選手などが台頭してくると、9秒台をマークするのはやはりハイブリッドの選手だろうと、テレビで公然と口にするタレントまでいたくらいだった。
誤った先入観に縛られるのは、日本人だけではない。
100m10秒の記録は、かつては「人類の壁」とも言われ、その区切りの良い数字を突破するのは不可能と誰もが思っていた。
実際1960年に西ドイツのハリー選手が10秒0を記録して以来、10人のランナーが10秒0をマークしたが、9秒台の記録は長い間生まれなかった。
が、1968年アメリカのハインズ選手が手動計時で9秒9、電動計時で9秒95を記録。それ以来9秒台ランナーは続々と出現。「人類の壁」も根拠のない先入観であることが判明した。
さらに明白な例は、「1マイル(約1609m)4分の壁」で、1923年にフィンランドのヌルミ選手が、それまでの世界記録を37年ぶりに2秒短縮する4分10秒3の世界記録を樹立した頃から、それでも4分を切るのは、人類にとって絶対に不可能と言われ続けた。
ところが31年後の1954年、オックスフォード大学の医大生バニスター選手が、科学的トレーニングを積んだうえに、2人のペースメーカーを使い、4分の壁の突破に成功。
するとその1か月後に、オーストラリアの選手が伴走者ナシの正式レースで4分を突破。以来1年間のうちに合計23人もの選手が、人類には絶対に無理とされていた「1マイル4分の壁」を次々と破った。
人間とは、心理的な要因に大きく左右される生き物のようで、「1マイル4分」「100m10秒」といった区切りの良い数字には、何か重大な意味(音速を突破する時のような大きな壁?)があるような(本当はまったく根拠のない)先入観を抱きたがるようだ。
かつて「1マイル4分」の「人類の壁」が存在していたとき、それは「エベレストの頂上や南極点に立つこと」と同様に不可能とされていたという。が、エベレストも南極点も、1マイル4分も100m10秒も人類は征服した。
もちろん人類のなかで日本人(黄色人種)の体力が劣っているという証拠など存在しないはず。もしも不利な面があっても、技術で挽回できるというのがスポーツのはずだ。 |