新型コロナウィルスの世界的蔓延(ルビ:パンデミック)で、今年の東京オリンピックは延期となった。それは「1年程度の延期」で「夏までに開催」とのこと。で、スケジュールの詳細は、まだまだわからない(今では、)スケジュールも発表され絵、来年の7月23日が開会式となりました)。
この事態を麻生財務大臣は「呪われたオリンピック」と表現。その不穏当な言い回しはさておき、これは少々注目に値する発言だ。
たしかに麻生大臣の言うように、五輪大会は「40年ごとに呪われている」と思えるほどの「事件」に見舞われている。
40年前(1980年)のモスクワ五輪はソ連(現・ロシア)のアフガニスタン侵攻で、冷戦時代の西側諸国がボイコット。世界の半分だけの大会になってしまった。
その40年前(1940年)も東京開催に決まっていたが、日中戦争の激化により返上。代替地をヘルシンキとしたが、ソ連のフィンランド侵攻と第二次大戦で開催中止。
麻生大臣は、それ以上指摘しなかったが、そのまた40年前(1900年)のパリ大会も「呪われた」のか(?)、近代オリンピックの創設者であるクーベルタン男爵の母国フランスでの大会だったが、万国博覧会の添え物程度に考えられ、スポーツ競技は半年間(5〜10月)のうちに五月雨(さみだれ)式に行われ、ほとんど注目されずに終わった。
しかし次のセントルイス大会(1904年)も万博の添え物となり、振り返ってみればオリンピックが「呪われている」と思えるのは「40年周期」だけではない。
第二次大戦だけでなく第一次大戦でも大会は中止(1916年ベルリン)。その20年後に開催を実現させたベルリン大会は、ナチス・ドイツの悪名高い宣伝大会(プロパガンダ)となり、この大会から始められた聖火リレーは、戦争を準備するナチスのスパイ行為だったとも言われている。
モスクワ大会の次のロサンゼルス大会(1984年)は、今度は東側諸国が報復のボイコット。モスクワ大会の4年前のモントリオール五輪(1976年)でも、当時の南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対し、アフリカの22か国がボイコットした。
あまり知られてないが、1956年のメルボルン五輪でも、ハンガリー動乱(ソ連の侵攻)に抗議するオランダ、スペイン、スイスがボイコット。またスエズ動乱(イスラエル軍のエジプト侵攻など)で、エジプト、イラク、レバノンの3か国も五輪をボイコットした。
そんななかで五輪史上最大の悲劇と言えるのが、1972年ミュンヘン大会でのイスラエル選手人質殺害事件だろう。「黒い9月」と名乗るパレスチナの武装ゲリラ8人が選手村に侵入。銃撃戦の末、人質となったイスラエル人選手が9人全員と他に2人、そして警官1名、ゲリラ3人が死亡する大惨事となった。
いや、1968年メキシコ大会直前の事件も忘れてはならない。五輪開幕直前に学生たちの反政府デモが激化。政府はトラテルロコ広場にデモ隊を集めて機関銃を乱射。200〜300人を虐殺し、五輪開幕に漕ぎつけたと言われている。
様々な事件に見舞われたオリンピックだが、創設者であるクーベルタン男爵は次のような言葉を残している。
「私が百年後に再び生まれてくることができたなら、苦労して創りあげたオリンピックを、今度はぶち壊すほうにまわるだろう」
オリンピックの目的であるスポーツによる世界平和の実現は遠く、大会は肥大化商業化するばかり。
ひょっとしてコロナウィルスでオリンピックを「呪っている」のはクーベルタン男爵なのか……? |