中田英寿が「現役引退」を表明したことで、「まだ早い」「もっと活躍してほしい」「いや、いかにも中田らしい」「旅に出るもよし、大学に入るもよし」・・・と、外野の声が囂(かまびす)しい。
そこで思い出したのが、野球の世界で2人の日米の大打者が演じた対照的な「引退劇」である。
アメリカ大リーグで「最後の4割打者」といわれたテッド・ウィリアムスが1960年のシーズンを最後に引退を表明したときの成績は、打率3割1分6厘29ホーマーというものだった。
そこで、「まだ早い」「もっとやれる」との声が湧き起こったが、釣りが大好きだった彼は「釣り道具屋をやりたい」といってユニフォームを脱いだ。
一方、腫瘍で緊急入院して容態の心配されるソフトバンク王貞治監督も、ジャイアンツの現役選手としてのユニフォームを脱いだときは、打率こそ2割3分6厘だったが30ホーマーを放ち、やはり「まだやれる」という声が高まった。
それでも意志を貫いて引退した彼だったが、同じ年に「長嶋監督解任」という事態が勃発し、ONをともに失うことによる人気の凋落を危惧したジャイアンツは、彼に対して助監督として残ることを要望した。
そして結局、「22年間プレイし続けてきたので静かに休みたい」という彼の希望はかなわず、助監督としてジャイアンツのユニフォームを着続けることになったのだった。
その選択は、周囲への気配りを欠かしたことのない、いかにも「王さんらしい選択」ともいえた。が、「個人の意志」が尊重されるアメリカと、「組織の論理」に縛られる日本・・・という大きな違いが感じられた。
じっさい日本のスポーツ界では、監督や先輩の指示する会社(のクラブ)への就職を拒否したために大学卒業を1年延ばされたバスケットボール選手や、指示された就職先を拒否して大学に進学したため、実力がありながら日本代表選手に選ばれなかったバレーボール選手など、「組織の論理」に泣かされたスポーツマンが、過去に数多く存在する。
中田英寿の意志が奈辺にあるのかは知らないが、日本のあらゆるスポーツ界で、「個人の意志」がきちんと認められる前例になってほしいものだ。 |