「ドーピング問題」について考え始めると、出口のわからない巨大な迷路に迷い込んだような気分になる。
古代ギリシアのオリンポスの祭典でも、選手を興奮させたり酩酊させたりして、大きな力を発揮させる薬草が用いられたという。
近代オリンピックでは、1960年の自転車競技で興奮剤の一種のメタアンフェタミン(戦後日本で「ヒロポン」と呼ばれて出回ったクスリ)を使用した選手が死亡する事件が勃発。
それ以来、ドーピング行為は禁止され非難されるなかでクスリの開発が進み、興奮剤だけではなく、重量挙げやレスリング、陸上競技などでは筋肉増強剤のステロイド系薬物が流行。
また旧共産圏諸国がオリンピックでメダルを量産するために国家ぐるみのドーピングを実施。バスケットボール選手などの体格を大きくするための成長ホルモンや、体操選手を小さな身体で動きやすくするための成長抑制ホルモンの投与も行われた。
また、それらのドーピングを発見するためのクスリも開発され、ドーピングを隠すクスリも進歩し、それらのクスリを発見するクスリも…と、イタチゴッコが今も続いている。
世界の薬品メーカーのなかには、ドーピングのクスリも、それを隠すクスリも、隠すクスリを発見するクスリも、すべてを開発している企業まであり、そんな馬鹿馬鹿しくも思えるドーピング騒動に対して、いっそのことすべてのクスリを解禁してしまえば? と主張する人までいる。
が、人間の身体を結果的に傷つけるクスリを解禁するのは非道徳的であり、解禁すれば、一流のアスリートを目指す10代の年少者にもクスリが広がることは確実で、そうなると副作用に弱い年少者に大きな犠牲が続出するだろう。
だからドーピングは絶対にいけない、と言い続け、取り締まり続けなければいけないのだが、それでも少々わかりにくいのは、人間が自分の体内で分泌するホルモンを投与する場合だ。
エリスロポエチンは人間の誰もが自分の体内で分泌するホルモンで、血液内の赤血球の数を増やす働きをする。赤血球は酸素を運ぶから、その数が増えると全身の筋肉へ酸素がまわり、疲労しにくくなって長時間の練習をこなせ、試合でのスタミナも身につく。
そのため多くのアスリートは酸素の少ない高地でトーニングを行い、酸素を欲しがる身体がエリスロポエチンを多量に分泌し、赤血球を増やす努力をする。
また低酸素室のなかでトレーニングを行ったり、睡眠時に低酸素ボックスという(棺桶のような)箱のなかに入り、眠っているうちにエリスロポエチンを分泌させて、赤血球を増やす方法も開発されている。
それらは、どれも自分の身体からエリスロポエチンを分泌しているためドーピングではない。が、エリスロポエチンの錠剤(カプセル)を服用すれば、ドーピングとして摘発される。それは外部からホルモンを摂取すると自分の身体のホルモン生産能力が落ち、結果的に身体に異常を来すことになるからというのだ。
08年の北京五輪の頃は、外部から摂取したか内部で生産したものか、そのホルモンの違いが判別できなかった。が、現在ではそれが可能となったうえ、北京五輪時にはバスタブ(風呂桶)のなかの一滴の目薬程度にしか(!)クスリの発見精度がなかったのが、今では25メートル・プールの水に垂らした一滴の目薬程度のクスリでも発見できるようになり、過去の尿検体から、新たなドーピング違反が次々と発見され始めたのだ。
2か月後の平昌五輪ではロシアが組織ぐるみのドーピングで排除され、個人参加しか許されなくなった。ドーピングもその発見技術も、科学の進歩は驚異的だ。が、本当に進歩させるべきは人間の道徳観だろう。 |