イングランドとウェールズで開かれているワールドカップ・ラグビーで、エディ・ジョーンズ・ヘッドコーチ率いる日本代表チームが大健闘している。
第2戦の対スコットランド戦は、中3日の強行日程が災いしたのか(相手は初戦で休養十分だった)、敗れてしまった。が、初戦の対南アフリカ戦では試合終了直前の連続攻撃で、優勝候補の最強豪国を34対32で撃破。W杯史上最大の奇蹟と言われる歴史的大勝利をあげた。
その結果、久しぶりにラグビーの話題がスポーツ紙だけでなく一般紙の一面を飾った。
今では知らない人も多くなったようだが、かつて日本のラグビーは、冬のスポーツの王者だった。
日本選手権で新日鉄釜石が7連覇(78〜84年)、続いて神戸製鋼が7連覇(88〜94年)。その間隙を縫って慶応(85年)や早稲田(87年)が社会人を破って日本一に輝いた頃、毎年新春の国立競技場は、晴れ着姿の女子大生を含む6万人以上の大観衆で埋まった。
そのとき日本のサッカーは正月の天皇杯決勝がわずかに注目される程度で、JSL(日本サッカーリーグ)の観客は平均千人をようやく超える程度。500人以下の試合もあり、ガラガラの国立競技場で、小雪が舞う寒々とした空気の中、ラモス、岡田武史……らの選手が走っていた。
ところが、1993年Jリーグの誕生で立場は逆転。サッカー人気は急上昇。それに対して、ラグビー人気は急凋落。それはJリーグの誕生だけが原因ではなかった。
以前私が関西のラグビーを取材して一冊の本を出版した時、関東の名門大学出身のラグビー協会幹部に編集者が呼び出され、「くだらん本を出すな!」と怒鳴られ、本を投げつけられたことがあった。
名門大学中心のエリート意識や学閥意識は偏狭で傲慢な体質を育み、ラグビー人気の拡大を阻んできたのだ。
そんなナンセンスな体質も、今は消えたはず。現在のラグビー人気復活の兆しを大きく膨らませ、2019年日本でのW杯開催の成功へと、是非ともつなげてほしいものだ。
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◎付記1.
Jリーグが誕生した当時、当時の日本ラグビー協会会長にインタヴューしたところが、「ラグビー界には、川淵のような男がいないんだよ」と笑顔で言われ、唖然としたことがあった。それはアンタが無能なだけでしょう、と言い返したくなった。
◎付記2.
まだJリーグの発足する前、ラジオでラグビーのおもしろさを喋っていると、ラグビー協会の幹部からディレクターに抗議の電話が入り、「ラグビー協会と言わず、日本ラグビーフットボール協会と言うよう、詫びを入れて訂正してほしい」と言われた。もちろん私は無視した。
◎付記3.
文中で編集者が投げつけられた小生の本を、当時ラグビー協会の名誉総裁をしておられた寛仁親王殿下(髭の殿下)が絶賛して下さり、自ら40冊程度購入して下さり、日本代表チームの合宿の時に、選手たちに「面白いから読みなさい」と、全員に手渡しして下さった。そのとき、本を投げつけた幹部は苦虫を噛み潰した顔をしていた、と小生の本に描かれた日本代表選手の報告を受け、小生は、溜飲を下げたのでありました(笑)。
思い出すままに、少々余談を。 |