2020東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が、またまた大きなチョンボをしでかしてしまった。
それは一部のマスコミにも「小さく」報じられたので、御存知の方もいるだろう(マスコミは何を「遠慮」しているのでしょうねえ?)。
7月3日に東京の国立代々木競技場で行われたリオデジャネイロ・オリンピックの日本代表選手の壮行会でのこと。
来賓挨拶に立った森会長が『君が代』が流れたときに一緒に歌う人が少なかったことを指摘。「どうして皆さん国歌を歌わないんですか」と苦言を呈したのだ。
このときのプログラムには「国歌斉唱」と書かれていたが、場内では「国歌独唱」とアナウンスが流れ、舞台上のスクリーンにも「国歌独唱」という文字が映し出されていた。そして歌声に定評のある女子自衛隊員が登場し、「独唱」したのだった。
だから約300人の選手たちは、歌わなくて当然。
このオッサンは、何をアホなこと言うとんねん……と(関西出身の選手なら)心の底で呟いたに違いない。
が、鮫の脳味噌とまで揶揄されたことのある元首相は自分の間違いに気づかないまま、なでしこジャパンやラグビー日本代表選手のなかには「涙を流しながら君が代を歌っていた」選手もいたことを話し、「声を大きくあげ、表彰台に立ったら、国歌を歌ってください」と選手たちに向かって「説教」した。
そもそも誤解から始まった方向違いの「説教」なのに、それを聞かされた選手たちも可哀想なうえ、サッカーやラグビーの国歌は試合前に必ず流されるもの。それに対してオリンピックで君が代が流れるのは、選手が金メダルを取ったとき(優勝したとき)だけ。
しかもオリンピックで演奏される「君が代」は厳密に言えば「国歌」ではない。また、そのとき掲げられる「日の丸」も「国旗」ではない。
というのは、五輪憲章に「オリンピックは国家間の争いではない」と明記され、各NOC(国内オリンピック委員会=日本はJOC=日本オリンピック委員会)を通じてオリンピックに出場する選手団が用いる歌や旗は「選手団歌」であり「選手団旗」という扱いなのだ。
実際ドイツが東西の国家に分かれていた時代、1964年の東京五輪など何度かのオリンピックで統一チームが結成されたときは、ドイツ選手団は中央に五輪をあしらったドイツの旗を使用し、歌はベートーヴェンの「喜びの歌(第九交響曲)」が使われた。
北朝鮮と韓国が統一チームで出場したとき(シドニー、アテネ大会など)は「朝鮮半島旗(統一旗)」が用いられ、「アリラン」が演奏された。
それらと同様、五輪で用いられる「君が代」と「日の丸」は国歌や国旗という扱いではないのだ。
なぜIOC(国際オリンピック委員会)が、そんな規定をしているかというと、1936年のベルリン五輪で、ナチス・ドイツがオリンピックを国威発揚に利用。ナチスの宣伝の場として最大限利用した苦い経験があるからなのだ。
そのような経緯をふまえ、IOC内部では「国旗国歌の全面廃止」まで検討されたこともあり、作家の石原慎太郎(元東京都知事)も64年東京五輪で、次のようなエッセイを書いている。
《優勝者のための国旗掲揚で国歌の吹奏をとりやめようというブランデージ(当時のIOC会長)提案に私は賛成である。(略)私は以前、日本人に稀薄な民族意識、祖国意識をとり戻すのにオリンピックは良き機会であるというようなことを書いたことがあるが、誤りであったと自戒している。民族意識も結構ではあるがその以前に、もっと大切なもの、すなわち、真の感動、人間的感動というものをオリンピックを通じて人々が知り直すことが希ましい》(読売新聞1964年10月11日「人間自身の祝典」)
これに対して「国歌を歌えないような選手は日本代表ではない」とまで言い切った森会長は、ヒトラーのような……とまでは言わないが、明らかにIOC憲章に反する思想の持ち主で、東京オリパラ組織委会長に相応しい人物とは言えない。
この間違いだらけの森発言が出た3日後、中日新聞「中日春秋」に次のようなコラムが掲載された。
サッカーの英雄アルゼンチンのメッシが、国歌を歌わないことで非難の声に晒されたとき、彼はこう答えたというのだ。
「考えもなしに攻撃する人に悩まされている。僕はあえて国歌は歌わない。僕は歌わずに、(栄誉のために奮闘を誓うアルゼンチン国歌の精神を)感じる。それはそれぞれのやり方で感じるものではないか」
そしてコラム氏は、こう結論づける。「あえて口にせぬことで決意をみなぎらせる、そういう態度すら認めぬ狭量な人が、東京五輪・パラリンピック組織委員会の代表を務めているとしたら…。それこそ、憂うべき事態ではないのか」
お見事! まったくそのとおり!
1964年の東京五輪では、表彰台の上で「君が代」を歌っていた金メダリストなど、ほとんどいなかったとわたしは記憶している。歌っている金メダリストがいたとしても、静かに唇を動かす程度だったはずだ。
そもそも「君が代」とはそういう歌であり、黙想して聞くか、静かに歌うものであり、森会長の言うように(まるでイタリアのゴールキーパーのブフォンの歌うイタリア国歌のように)「声を大きくあげて」歌うものではあるまい。
それはともかく、森会長は、組織委会長を続けるなら、IOC憲章くらいは読んでおくべきだろう。 |