「背番号3」が帰ってきた。といっても、間違ってはいけない。現役選手時代の長嶋茂雄が戻ってきたわけではない。あの華麗なプレイが甦ったわけではないのだ。
なのに、この騒ぎは、何だろう? 現在の「背番号3」には、何の意味もないというのに・・・。
「クリーン・ベースボール」というキャッチフレーズを掲げた「背番号90」には、意味があった。
「背番号90」は、「総力戦」と称してベンチ入りした選手を全員使い切り、ついには外野手に内野を守らせたりした。あるいは、1点差で負けている9回2死一塁で、俊足の走者を代走に起用し、衆目承知のうえでの盗塁を成功させ、次のタイムリーで同点に追いつく、といったゲームもあった。
それらの采配を「カンピュータ野球」などと揶揄する声もあった。が、それは、ただ勝利に汲々とするだけで、じつは監督の保身のための言い訳にすぎない「管理野球」を笑い飛ばすベースボールの迫力に充ち満ちていた。そして「背番号90」が躍動するなかで、多くの若手選手が育ち、台頭したのだった。
しかし、最近の「背番号33」は、どんな野球を見せてくれた? プロ球界を牛耳る親会社の強大な権力を利して、FAという名のもとに多くの優秀な選手を引き抜くばかりで、その采配には何の新鮮味もなければ、何の思慮もなく、日本野球に対するアンチテーゼとしての存在価値すらない。
おまけに、勝って当然の戦力を有しながら勝てないのだから、話にならない。評価を云々するどころか、語る価値すらない。それでも許されたのは、過去の栄光と、その栄光に幻想を抱き続けるファンの支持があったからだ。
さらに、ジャイアンツの横暴に憤慨しながらも、「背番号33」のユニフォーム姿と笑顔を見ることができる喜びと、ジャイアンツの敗北の、両者をともに楽しもうと思うアンチ・ジャイアンツ・ファンの支持があったから、といえよう。
だが、今シーズンの「背番号3」とは、いったい何ぞや?
「背番号3」は、野球とはまったく無関係の騒動を巻き起こし、親会社の横暴を隠蔽する。オリンピックのプロ選手派遣問題や、プロ・アマ組織の再編をはじめとする「改革」などまるで眼中になく、ただただ新聞の拡販とTVの視聴率の向上しか目指していない組織の陰謀を、あまりにも美しく覆い隠す。
大リーグの組織に詳しい「背番号3」は、彼我の違いを十分にご存じのはずだ。ベースボール全体の発展を目指す組織と、自分の会社の金儲けしか眼中にない組織の違いを。
それでも黙って、「背番号3」を利用する輩のいいなりになるのは、今年が最後だからか?
しかし「背番号3」は、いま既に過去の人となった。もはや抜け殻である。
さようなら、背番号3。 |