大山鳴動して鼠が数匹・・・といってしまっては、史上初のストライキを決行したり、その回避に尽力したプロ野球関係者に対して、失礼の度が過ぎるかもしれない。しかし、昨年(2004年)巻き起こった「プロ野球騒動」を、いま改めて振り返ってみると、そんな言葉が頭に浮かんでしまうのも事実である。
昨年(2004年)6月13日、近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブ両球団の合併が発表されたのを契機に、プロ野球界は一気に「1リーグ制(10球団)」へと動き出した。
この動きが「合併反対」「2リーグ制存続」を訴えた選手会のストライキ(9月18、19日)と、それを支持する大多数のファン(国民)の声によって阻止され、新規参入球団として楽天が仙台を本拠地にしてパ・リーグに加わり、今年(2005年)も「12球団2リーグ制」でペナントレースが行われることになった。
この結果自体は、たしかに「奇蹟としかいいようのない素晴らしい出来事」(松原徹プロ野球選手会事務局長)と高く評価できるものである。古くは1978年の「江川事件」(さらに古くは1949年の「別所毅彦引き抜き事件」)以来、「横暴」「横車」といわれながらもことごとく実現されてきた「巨人軍の意向」が、70年におよぶプロ野球史上初めて阻止されたのだから、「奇蹟」という言葉もけっして大袈裟とはいえない。
しかも、これまで交渉相手として認知されなかった選手会が、球界の運営に対して意見を出せるようにもなり(プロ野球構造改革協議会への参加)、長年話題になりながら実現されなかったセ・パ交流試合も実現することになったのだから、選手にとってもファンにとっても、一定の実質的成果のあった1年だったと総括することはできるだろう。
しかし、今後日本のプロ野球界がさらなる大きな発展に向けての歩みを開始できるか、という観点からこの「成果」を見直してみるなら、悲観的にならざるをえない部分も多々ある。
その第一点は、選手会(とファン)が「勝ち取った」かに見える「成果」も、じつは終始プロ野球機構側(巨人軍を中心とする球団の親会社連合)が主導権を握り続けていた、という事実である。
昨年(2004年)9月10日、機構側と選手会による協議・交渉委員会(団交)は一定の合意に達し、翌日(11日)と翌々日(12日)に予定されていたストライキはひとまず回避された。会議後の記者会見の席で古田選手会長は瀬戸山選手関係委員長(ロッテ球団代表)との握手を拒否したが、「大阪に近鉄を残す可能性を探していただける」と機構側の姿勢を評価した。
また、「これまでは却下、却下といわれ続けただけなのに、初めてきちんとした議論ができた」(松原事務局長)というコメントが示すとおり、会談は穏やかに進み、「1リーグ制への移行」は取り下げられ、「セ6球団・パ5球団以上」が「確約」された。
ところが次の16日の協議で機構側は一転して強気に出た。機構側は「合併の撤回はあり得ない」と主張し、新規参入に名乗りをあげているライブドアや楽天の可能性に対する回答も不明として拒否。
「1度目の交渉のときはストを回避したいという雰囲気が機構側にもありましたが、2度目にはそれが感じられなかった。オマエら手を引けという高圧的な態度でした」(松原事務局長)
なぜ機構側はそんな態度に出たのか? 最も理解しやすい解釈は、巨人のスケジュールの問題である。土日に限って予定されたストライキの1度目(11、12日)は東京ドームでのヤクルト戦。2度目(18、19日)はナゴヤ・ドームでの中日戦。
巨人が自チームに損失の出ない(中日に損失の出る)ストなら一度やらせてみようと考えたかどうかはさておき、元西武・ダイエーで球団代表を務めた坂井保之氏は、テレビに出演してこのときのストライキ突入を「機構側が選手会を追いつめたもの」と喝破して、激怒した。
それは不思議なストライキだった。
18日のスト突入後に本来ならば翌日のスト回避へ向けての労使交渉が開かれて当然なのに、それが開かれなかった。選手会は開催を希望したが、「予定にない」としてテーブルに着こうとしなかった機構側は、ストライキに対するファンの動向を静かに伺っている(あるいは拒絶反応を期待している)ようにも見えた。
そして巨人は親会社である読売新聞の社説で「ファン裏切る億万長者のスト」と選手会を批判するキャンペーンを展開。選手会はサイン会などのファン・サービスに努め、結果的に圧倒的な数のファンが選手会のストライキを支持した。そこで、機構側は選手会の要望を受け入れる形で、球団数減少に反対するファンと選手会の声を満足させる回答を約束せざるを得なくなったのだった。
そして9月23日に選手会と機構側は最終合意に達するのだが、その協議の席で最大の懸案となったのが、オリックスと近鉄の合併(1球団減)にかわる新規参入球団(1球団増)の保証だった。最終合意文書では「来季(2005年)にセ・パ12球団に戻すことを視野に入れる」との表現にとどまったが、この文言から「12球団維持の保証」と信じるのは、よほどの能天気というほかない。
その点を選手会関係者の糺すと、「いや、具体的にはお話しできませんが、確約がとれたので、これでいいんです」という答えが返ってきた。
その後、様々な関係者に取材した結果、どうやら次のような事情が存在したように思われる。
最後の交渉が行われた席で、古田選手会長は当然のことながら、機構側に新規参入球団を受けいれる「保証」を求めた。が、その時点で新規参入を正式に申し入れていたライブドアと楽天に関しては、ヒヤリング(査定委員会)が予定されており、機構側の代表(球団社長・球団代表)レベルでは、ヒヤリングの前に「どちらかを必ず入れる」と答えることは不可能だった。
そこで、保証が得られないなら再度ストライキも辞さない、という選手会側の主張に困惑した西武球団の星野社長は、堤オーナーに電話をした。すると堤オーナーは「古田君をこの携帯電話に出しなさい」といった。労使交渉の最中の「ボス交」もどきの誘いを古田選手会長は拒否したが、他球団の代表や社長も加わっての説得もあり、堤オーナーとのホットラインに出たところが、「来シーズンは楽天が新球団として加わるから安心しなさい」との言葉が受話器に響いたという。
この言葉は、約2か月半前の7月7日、26年ぶりにオーナー会議に出席し、パ・リーグ各球団の赤字による窮状を訴え、近鉄・オリックスに続く「もうひとつの合併」と「1リーグ化」を主張し画策した堤オーナーが、結局は「もうひとつの合併工作」(ダイエーとロッテ、または、西武とロッテ)に失敗し、その責任を取る形で事態を収拾するため口にした言葉、と考えられなくもない。
が、この時点で、早くも「新球団は楽天」と決定されていた(少なくとも球界の実力者はそう考えていた)のだった。
その後2か月近くもかけ、数度のヒヤリングが繰り返され、ライブドアか楽天かとメディアが大騒ぎするなか、11月2日に東北楽天ゴールデンイーグルスの新規参入が百数十枚にもおよぶ分厚い資料とともに発表されたのだったが、それはまさに「茶番」と呼ぶにふさわしい出来レースだったのである。
同じ時期に勃発したアマチュア球界への「裏金(栄養費)問題」や、それを理由にした巨人渡邉恒雄オーナーの辞任も含めて、まさにこのような密室談合体質こそ、プロ野球界最大の改革されるべき「問題」といえるのだが、昨年の一連の「プロ野球騒動」は、選手会をも談合に巻き込む形で(古田選手会長はさぞかし苦悶したと思われるが)機構側は「危機」を回避した。
そして「球団削減1リーグ化」(すなわち、より「密室談合」のやりやすい制度)への転換には失敗したものの、旧来の「談合体質」を守り抜いたのだった。
「もちろん査問委員会が茶番であることはわかってました」とライブドアの堀江貴文社長はいう。「でも、合理的な判断を下せる人が一人くらいはいるかと思っていました。だって冷静に考えれば、我々が球界に加わったほうが球界全体も盛りあがるし、企画力もありますから。しかし、そういう判断をする人は、ものの見事に一人もいなかった」
そう語って苦笑する堀江社長は、プロ野球界の密室談合体質を「読売クラブ」と呼ぶ。
そんな堀江社長率いるライブドアが、近鉄買収に名乗りをあげ、さらに新規参入も表明し、多くのファンから支持と喝采を得たことに対して、楽天が新規参入に名乗りをあげたことは、「球界談合勢力」にとって干天の慈雨ともいうべき出来事だった。
いや、史上初のスト決行が現実味を帯びてきた最中の9月15日になって、楽天の三木谷浩志が突如新規参入を発表した経緯を振り返ってみるなら、それが球界談合勢力の思惑で(あるいはその後押しによって)「決意」されたとしか思えない面が浮かびあがる。
昨年2月にJリーグ・ヴィッセル神戸のメイン・スポンサーとなった楽天・三木谷社長は、それまでに何度もメディアの取材を受け、「プロ野球には感心がない」ことを断言していた。「プロ野球界のゴタゴタを見ると、関わったのがサッカーでよかったと思う」とまで口にした。
そして六本木ヒルズの同じ森タワーに本社を構え、プロ野球界参入に向けて企画会議を繰り返していたライブドア社のプロジェクト・チームに、同じIT産業として協力(あるいは勉強させてもらうこと?)を申し入れ、楽天の取締役のO氏を参加させていたのだった。
楽天のプロ野球界への新規参入表明は、このO氏がライブドアのプロジェクト・チームから離れることを申し入れた2日後の15日。その翌日の16日に、あおぞら銀行とオリックス・グループ(オリックスとオリックス・クレジット)の共同出資会社だった株式会社あおぞらカードの全株式が、楽天に譲渡された。
それらを考え合わせるなら、当初プロ野球界参入など念頭になかった三木谷社長を、情勢の変化(1リーグ化の断念)から「球界談合勢力」の「誰か」が、彼を説得したとしか考えられない(そして査定委員会は、新規参入球団を楽天に決定した理由として、「ライブドアはインターネット事業だけだが、楽天はそれに加えて、あおぞらカードによる金融事業も行っている」ことを、堂々と挙げたのだった)。
楽天がライブドアと同じ仙台を本拠地として選び、ライブドアの発表した青写真と酷似した計画を発表した問題はさておき、つまるところ、日本のプロ野球界は、何も変わらなかったのだ。いや、「球界談合勢力」は、何も変えないことに成功したのである。
昨年、近鉄バファローズの命名権売却問題から数えれば、丸1年間におよぶ大騒動の結果、結局は球団のスポンサー(親会社)が変わっただけであり、年間20〜40億円といわれるパ・リーグ各球団の赤字体質が根本から改善されたわけではない。
過去に選手会が繰り返し提案し続け、多くのファンや我々スポーツライターも繰り返し主張し続けてきた、テレビ放映権料の一括管理と平等分配、戦力均衡のためのドラフト制度の改正といった問題は、まったく手つかずのままなのだ。
それどころか、たとえば放映権料の問題について、『平等に分けることはできるのか、疑問に思っている。巨人の築いてきた商権、営業権を「寄こせ」といえるのかな』(オリックス宮内義彦会長の発言・『東洋経済』2004年10月23日号より)というような「思想」を持つ人物と、そのような人物の後押しを得た人物しか参入できないプロ野球界では、所詮は「改革」など不可能というほかあるまい(この原稿を発表した直後、オリックス本社の社長室から「抗議」があり、「じつは宮内は、テレビの放映権料やドラフトの問題では、玉木さんなどと同様の大リーグがやっているようなシステムにすべきだという考え方をしています。が、過去のプロ野球の経緯を考えると巨人の築いてきた商権、営業権を寄こせとはいえない、と考えているわけです。そこをわかってほしい」といわれましたが、苦笑するほかなかったので、原稿は直さず、そういうやりとりのあったことのみをここに記しておきます)。
日本のプロ野球は、プロ野球界の発展や日本野球の発展よりも、親会社の「商権」や「営業権」が堂々と主張される組織、すなわち「企業スポーツ」の殻をまだ破れないでいるのだ。
企業スポーツとはタニマチ・スポーツと同義である。金持ちのタニマチが個人でなく企業であるだけで、そのタニマチが裕福なときは問題ないが、裕福でなくなると別のタニマチ(親会社)に変わる。
いまスポーツ・ジャーナリズムは、仙台を本拠地に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスと、産業再生機構入りしたダイエーに代わる福岡ソフトバンク・ホークスというパ・リーグの新球団に注目し、IT企業の球界進出を「新時代の到来」と歓迎している。
が、26年前(1979年)に西武ライオンズがプロ球界にデビューしたとき、あるいは16年前(1989年)にダイエーが南海ホークスを買収して福岡に進出したときと、いったいどこが違うのか? 何をもって「新時代」といいうるのか?
西武は埼玉所沢に建設した自前の球場を中心に、ユネスコ村などのテーマパークを合体させた郊外型リゾート施設を整備した。同時にプリンスホテル野球部を創設してアマチュア球界にも進出し、ライオンズの選手供給源を確保したうえでアマ・プロ一体となった球界の覇者への道を歩み出した。
そして1982年に初優勝して以来、22年間のうちにリーグ優勝15回、日本シリーズ優勝9回と、同時期のジャイアンツの成績(同8回と4回)を圧倒的に凌駕する成績も残した。
一方ダイエーは、福岡市ベイエリア開発の一翼を担い、日本で初の開閉式ドーム球場とそれに隣接したホテルを建設し、プロ野球を中心に据えた都市型リゾート施設を整備。ドーム球場では1995年に第18回ユニバーシアード世界大会も開催され、九州一円にくわえて韓国台湾も視野に入れた観光事業が展開された。そしてホークスも、1999年の初優勝以来、リーグ優勝3回日本一2回と、強いチームに変貌した。しかもホークスは、年間観客動員が3百万人を突破し、人気の面でも球界のトップを争う球団となった。
それでも両球団とも赤字で、西武は親会社(西武鉄道と国土計画)の株式名義虚偽報告が発覚した結果、グループの総帥として君臨した堤義明氏が退陣。球団売却もきわめて現実味のある話として囁かれている。
また、ダイエー・ホークスは結局ソフトバンク社に売却された。様々な要因が重なったとはいえ、新機軸として一時的に話題を呼んだ郊外型リゾート施設も都市型リゾート施設も、16〜26年の寿命しかなかったわけだ。
1926年に幕を開けた我が国のプロ野球リーグは、当初「御三家」と呼ばれたマスコミ、鉄道、映画という企業が中心となって運営された。それは、公共的なスポーツの運営は、私企業ではなく公共企業が運営するべきだ、という考えから生じたものだった。
その後、食品、流通、リース、金融・・・と時代時代に応じた産業の隆盛のなかで、親企業が推移してきた。そしてIT産業と呼ばれる部門の企業が、時代の推移とともに登場した。ならばIT産業は、この先何年くらいプロ野球の「タニマチ」として存続できるのか?
この問いが、日本のプロ野球界の発展を考えるうえで、いかにナンセンスであるかということは、誰にも容易に理解できるだろう。
巨人、阪神、広島以外の9球団は赤字という現実のなかで、IT企業が赤字球団を何年間維持し続けられるかは知らないが、いずれ何年か先には、再び「球団売却騒動」もしくは「1リーグ化(球団削減)騒動」が勃発する。それは火を見るよりも明らかというほかない。
ヴィッセル神戸のメイン・スポンサーとして10億円近いポケットマネーをつぎ込み、日本女性に大人気のトルコ代表イルハン選手を獲得しながら、足の故障を理由にまったく活躍しないまま「逃げられる」という、タニマチのお大尽ならではの失敗を犯した三木谷社長が、はたしてプロ野球球団の経営では、どのような手腕を発揮するのか?(関係者のあいだでは、早晩、フランチャイズを仙台から撤退させるのは確実、と囁かれている)
ダイエー本社に球団の譲渡金として50億円、外資のコロニー社に興行権の獲得として150億円を支払ったうえ、同社に対するドーム球場の使用料が年間48億円の10年契約という、どんな名経営者によっても黒字転換は不可能としか思えない天文学的数字で球団オーナーとなった孫正義氏が、はたしてどんな天才的アイデアを打ち出すのか? あるいは、いつまでカネを使い続けることができるのか?
仙台球場の改造や、インターネットによる試合中継等、これまでに彼らが発表した新しい計画のなかに、過去のパ・リーグの赤字体質を解消できるほどのアイデアは存在しない。しかも、よしんば彼らが、企業経営とIT戦略には無知な我々が思いも寄らない事業計画を打ち出したところで、利益を得るのは彼らの(球団ではなく)親会社にほかならないのだ。
オリックス球団は、イチロー選手をポスティング・システムでアメリカ大リーグのシアトル・マリナーズに移籍させたとき、その移籍金として約17億円を得た。が、その「利益」は、「過去に多大な投資をしてきた」という理由からオリックス本社に計上された(註/この原稿に対して、オリックス社長室から「その指摘は事実と異なり、その金額は球団へ入れた」との抗議を受けた。が、担当者と話し合うなかで「その結果、その年の球団の赤字幅が大幅に減少した」との言質も得た。つまり連結決算での親会社の利益に貢献したのであり、球団への投資には使われなかった、という意味で、「利益」が「オリックス本社に計上された」と書いたことは間違いではない、と判断しています)。
イチロー選手を育てたのは明らかにブルーウェーブ球団であり、「過去の投資」というのであれば、親会社は株式の配当から得るべきであり、約17億円は明らかに球団の「収入」としてチームの再投資に用いられるべきだっただろう。が、それに対して、「連結決算なんだから、どこに計上しても同じ」といった経営評論家がいた。それなら、「球団赤字」を騒ぎ立てたり、それを理由に「球団合併」に走ることにも何の理由もないことになる。
考えてみれば、昨年の「合併騒動」「1リーグ化騒動」「新規参入騒動」は、このようなトートロジーのなかで論議され、結局「最も臭いモノ」には蓋をし、いったん「原状回復」という形で収束を見たのだった。
では、「最も臭いモノ」=「日本プロ野球界最大の元凶」とは、何なのか?
それは、先に書いた「企業スポーツ」という形態であり、その形態によって利益を独占できている巨大メディア(読売グループ)の「スポーツ“利用”戦略」である。
巨人人気で新聞を売る、あるいはテレビの高視聴率を得て高額の宣伝料を得る。そのためには、巨人が優勝し、巨人人気がより高まるプロ野球組織とする。それこそ読売グループがプロ野球球団を所有し続けてきた最大の眼目であり、そのための世論形成(巨人が強くないとプロ野球はつまらない、というような世論)を自前のメディアで展開してきた。
そして巨人以外の球団は、巨人と試合をすることによる「分け前」を得ることで満足し、その「分け前」を得られなかったパ・リーグ球団が、我々にも巨人の「分け前」を寄こせ、と動いたのが昨年の騒動だった。
結果的にその「分け前」は、セ・パ交流試合の実施という形で、パ・リーグ球団にも少しは分け与えられることになった。が、その「分け前」がどの程度のものになるのか、逆に巨人との試合数の減るセ・リーグ球団の「分け前」の減少がどのくらいになるのか、それは蓋を開けてみなければわからない。
しかも、各チームの4番打者ばかりを引き抜くようなチーム作りの失敗と、前オーナーである渡邉恒雄氏の独断専行、横暴、暴言によって、巨人人気は確実に凋落の一途をたどっている。その人気挽回策が、長嶋茂雄氏の息子である長嶋一茂氏の球団代表付きアドバイザー就任というのでは、巨人ファンでなくともあまりにも寂しい人事というほかない。
それは一茂氏の能力の問題でなく、「ナガシマ」というブランドしか頼ることのできない巨人フロント幹部の限界に改めて愕然とするほかないからである。
もっとも、現在の巨人という球団では、どれほど一流のスポーツ経営者が手腕をふるっても成功は望めないようにも思える。というのは、12球団のチームが存在するなかで、巨人人気が過半数以上の6割も7割も占めるという状態が、もはや「虚構」であると多くの人が気づいてしまったからである。そんなものは、もはやスポーツ・クラブではない、と多くの人が気づいた。
地域社会のシンボルとして、地域社会のファン(サポーター)と一体となって勝利を目指すのがスポーツ・クラブである。
アメリカ大リーグを見て、ヨーロッパのサッカーを見て、Jリーグを見て、スポーツ・クラブとはどのような存在であるべきか、ということが、多くの人々によって認識されるようになった。そうして国を代表するチームが、W杯やオリンピックで活躍する。
そのような企業スポーツではないクラブ・スポーツの形態が、多くの人々によって理解され、Jリーグがリーグ全体としてチーム数を増やし、発展していることを多くの人々が目の当たりにするようになった現在、もはや「メディアという企業によるスポーツ利用」という形態は不可能になったといえるのではないだろうか。
しかも、野球のオリンピック日本代表チームは、明らかに組織的不備が原因で、シドニー、アテネの2大会連続して不本意な成績に終わってしまったのである。
「日本のサッカーが成功するためには、ジャイアンツが日本のプロ野球界を牽引しているのと同じように、ほかのチームが是非とも倒したいと思う強いチームがひとつ、絶対に必要となる。そのひとつのチームとは、もちろんヴェルディのことである」
これは1993年にJリーグがスタートする直前、日本テレビの氏家斉一郎社長(当時)が口にした言葉である。この考えはおそらく読売グループの総意であり、カズ、ラモス、柱谷といった日本代表クラスの選手を高額の年俸でかき集めたヴェルディ(読売日本サッカークラブ)は、Jリーグの初年度(93年)と2年度(94年)にリーグ年間王者となった。
が、Jリーグのバブル人気崩壊とともに観客動員が減り、多数の高額年俸選手を抱えるヴェルディの経営は行き詰まり、チーム数を増加しようとするJリーグの川淵三郎チェアマン(当時)と、チーム数の削減を主張する渡邉恒雄読売新聞社長が対立。「将来的には全都道府県にJリーグのクラブをつくりたい」という理想を掲げる川淵チェアマンが一歩も引かず、読売新聞社がヴェルディのスポンサーを降りる(日本テレビのみが出資者として残る)という形で、この「闘い」は決着し、Jリーグは今日のような形(J1・18チーム、J2・12チーム)を整え、さらに各地域にクラブを増やそうとしている。
もはや勝負はついているのだ。プロ野球界も、将来のあるべき姿は見えているのだ。
読売グループは、利益が減少したとはいえ、まだまだ莫大な黒字を生み出すジャイアンツという球団中心のプロ野球界を維持存続させていきたいに違いない。が、そのような形態は、たとえ一時的なスター選手の活躍による覚醒はあっても、長期的凋落傾向に歯止めをかけることはもはや不可能である。
古田選手会長も、あるテレビ番組のインタビューに答えて、「Jリーグがいいというのではなく、世界中のスポーツ・クラブがJリーグのような組織になっているので、プロ野球もいずれはそのような組織になってほしい」と答えている。そのような「真の改革」がなされるためには、読売グループが支配するプロ野球のみならず、毎日新聞が支配する社会人野球、朝日新聞が支配する高校野球の「改革」にも手が付けられ、プロ・アマ一体となった組織の設立が必要となるだろう。
それには莫大なエネルギーと短くない年月が必要になるだろう。が、そうして日本の野球界全体の組織が再編成され、そこから新たな発展を目指すほうが、日本球界のみならず、日本の社会にとっても、もちろんメディアにとっても、メリットは大きいはずである。
いま日本の野球界のなかで、そのような未来像を語れる人は、ごく一部の選手、ごく一部のプロ野球OBのみで、ごくごく少数である。とりわけプロ野球の運営を担っている各球団のオーナー、社長、代表、それにコミッショナー、両リーグ会長といった人々から、そのような未来像が語られることはない。それは天下り官僚や退職後の名誉職を得た人物、親会社のサラリーマンにとって、不可能なことというほかない。
新たにホークスのオーナーとなった孫正義氏は、「ヤンキースにも勝つような世界一のチームをつくりたい」とは語った。が、10年後、20年後の日本球界の姿を語る言葉は口にしていない。
東北楽天ゴールデンイーグルスの三木谷オーナーは、「将来的にチーム名から企業名を外す」ことのほかに、10カ条の「球界改革」を提案した。そのことがスポーツ新聞の記事にはなったが、それらはまだ実行委員会の議題に取りあげられていない。
そして昨年のストライキののち、機構側と選手会によって合意されたはずのプロ野球構造改革協議会も、まだ(2005年1月11日現在)正式な会議は一度も開かれていない。
企業は企業の利益を求め、メディアはメディアの利益を求める。それは当然のことだ。いつかメディアが日本のプロ野球を見捨て、アメリカ大リーグの放送ばかりを行うようになっても何も驚くことではない。が、その結果、日本のプロ野球が衰亡してしまうようなことのないように、日本のプロ野球は「日本野球の利益」を追求する人々よって運営されるようになるべきだろう。
それは、いったい、いつのことか?
いや、あまり悲観的になる必要はないかもしれない。昨年選手会のストライキとそれに対する国民の支持によって、「日本野球の利益」は守られた。それは「奇蹟」というべき出来事だったのだ。それに阪神球団が、巨人のいいなりにはならない、という動きも見せるようになってきた。どんなに「変革」を嫌う組織も、世の中の大きな変化には抗し得ないはずだ。
プロ野球界は、今年も激震の日々を迎えるに違いない。その揺れを、変革と前進へと変えるのは、野球を愛する選手とファンの声以外にないはずである。 |