獲得メダル数は41個の史上最多の数字。日本選手団の大活躍で、4年後の東京五輪への大きな期待とともにリオ五輪は幕を閉じた。
が、まったく残念なことに、閉会式で少々首を傾げざるを得ない出来事があった。というのは、リオから東京への五輪旗の引き継ぎ(フラッグ・ハンドオーヴァー・セレモニー)に、安倍総理が登場したことだ。
ドラえもんやマリオといったアニメとともに東京の街が紹介されたあと(そこに古典芸能や伝統芸能がまったく出てこなかったことも残念だったが、それはさておき)、東京とは地球の真反対にあるリオの町へ、土管を通ってスタジアムの真ん中に現れたマリオが、安倍総理だったのだ。
はたして、それは、スポーツの場に相応しい人選と言えただろうか?
北京五輪の閉会式でロンドン五輪代表として現れたのはサッカーの英雄ベッカムやギタリストのジミー・ペイジだった。ロンドン五輪の閉会式でリオ五輪を紹介するために現れたのはサッカーの神様ペレだった。
なのに、なぜ東京五輪の代表者が政治家なのか?
政治家にとって最も重要なことは政治であり、それは国を守り繁栄させ、国民の生活を守り豊かにすることである。そのために(スポーツ基本法に従って)スポーツの環境を整え、スポーツを繁栄させることも重要な仕事と言える。
が、時として政治家は、政治を優先させるあまりに、スポーツを見捨てることもある。あるいはスポーツを自らの政治的立場に利用するあまり、スポーツの価値をねじ曲げることもある。
1980年、共産主義国(ソビエト連邦)初のオリンピックがモスクワで開かれたとき、アメリカを中心とする西側諸国の多くが(日本も含めて)、ソ連のアフガニスタン侵攻に反対し、五輪参加をボイコットした。続く84年のロサンゼルス五輪では、その報復として東側諸国がボイコットした。
それらは世界平和をめざすオリンピックというスポーツ大会よりも、国際政治(国と国の力関係)を優先させた世界中の政治家たちによる判断で、イギリスなど一部の国々のスポーツマンは政治家の判断に異を唱え、ボイコットを命じる国の国旗を用いずに五輪旗を掲げて大会に参加した。が、日本はスポーツ選手たちが涙を流しながらも、政治の圧力に屈した。
また1936年のベルリン五輪はヒトラーとナチスのプロパガンダ大会となり、オリンピックとスポーツの歴史の一大汚点として残されてしまった。
そのような過去の苦い経験から、IOC(国際オリンピック委員会)は、政治(政治家)を利用してスポーツのために国家の援助を得ることはあっても、国家や政治に利用されることのないよう、国家権力や政治家とは一定の距離を保つよう注意している。
安倍首相のスポーツに対する姿勢や政治方針が問題なのではない。そもそも政治家がオリンピックの場、スポーツの場、スタジアムの中央に主役然として立つようなことは、絶対にあってはならないことなのだ。
首相を登場させるアイデアは東京オリンピック・パラリンピック組織委会長の森喜朗元総理の発案らしい。が、それを何の躊躇いもなく発表した組織委の武藤敏朗事務総長(元財務相事務次官)とともに、今はスポーツの側に身を置く立場なら大いに反省してほしいものである。
追記:この政治家たちのアイデアと行為をすんなりと抵抗なく受け容れたクリエーターたちも反省してほしいものである。クリエイターがアーティスト(芸術家)であるならば、ただクライアント(依頼人・顧客)の要求を受け容れるだけでなく、その仕事内容(スポーツ)に対して正しい思想と哲学を持たなければならないはずだが……。 |