過日某TV局の報道番組で東京2020オリンピック・パラリンピックの贈収賄事件特集を見ていたら、元組織委員会職員という人物の驚くべき発言が飛び出したので、思わず絶句し、唖然としてしまった。
「アマチュアリズムのオリンピックで、こんな事件が起きたのは残念です」
この言葉を口にした人物は、約半世紀前の1974年、オリンピック憲章から「アマチュア」の文字が消され、プロの参加が認められるようになったことを知らなかったのか?
また、アマチュアリズムは、19世紀にスポーツを独占した貴族階級の人々が、スポーツ界から労働者たちを排除するために創り出した「差別思想」であるということも知らなかったのだろうか?
1866年全英陸上競技選手権で、ロンドンのアマチュア・スポーツクラブが創ったアマチュア規定では、過去に賞金目当てにスポーツを行った者をプロとして出場禁止にしたほか、《手先の訓練を必要とする職業の職人、職工、機械工もアマチュアとは認めない》と定めたのだった。
要するにスポーツの世界を自分たち裕福な階級の人間だけで独占したかった貴族や、資本家(ブルジョワジー)や、その子弟(学生)たちは、肉体労働に従事している労働者たちを「日頃から肉体を用いている肉体活動のプロフェッショナル」と見なし、肉体を用いて勝負を競うスポーツの場から追い出したのだ。
そして1896年クーベルタン男爵など貴族階級の人々が創始したオリンピック第1回アテネ大会でも、この貴族的な「差別思想」が採用され、以後長く金科玉条の如く守られ続けたのだった。
欧米から日本にスポーツが伝播したのは文明開化の明治10年(1878年)前後。欧米ではアマチュアリズムが広がり始めた時期。日本で欧米文化(スポーツ)の受け入れ口となったのが東京帝国大学を中心とする大学で、そこに通う明治のエリートたちはもちろん肉体労働者ではなく、彼らはアマチュアリズムが労働者に対する差別思想であるとの認識もなく受け入れたのだった。
1920年アントワープ五輪のマラソンの予選大会では、1位となった人力車夫をはじめ、郵便配達、新聞配達、牛乳配達、魚売りと、5位までの選手がすべて「プロ」と認定されて失格。6位の学生が五輪代表に選ばれ、人力車夫組合の連中が抗議の意図を示して上野不忍池9時間耐久レースを企画。
学生には挑戦できない過酷なレースで労働者の素晴らしい脚力を誇示したが、一方で、オリンピックはアマチュアの大会という認識も広がり、固定化したのだった。
1964年の東京オリンピックを記念した休日も「体育の日」と名付けられ、スポーツは体育のみならず知育・徳育も含むカルチャー(文化)であるとの意識もないまま、オリンピックは「アマチュア体育の祭典」との認識が日本では常識として広まったのだった。
とはいえ先に記したように、アマチュアという言葉がオリンピック憲章から削除されて半世紀。にもかかわらず、まだその言葉が差別思想とも知らず、何か美しいものであるかのように口にする人物が、よりもよって東京五輪組織委員会のなかに存在していたことには、やはり驚かざるを得ない。
スポーツとオリンピック(の歴史)に対して、これほど無知な人物が東京五輪の組織委のなかにいたのだから、スポーツにまつわる酷い贈収賄事件も起きるべくして起きた……とも言えそうではないだろうか?
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