今年の9月25日から10月5日、三重県で開催される予定だった国民体育大会「三重とこわか国体」は、新型コロナウイルスの影響で8月26日に中止の決定が下された。
そのとき私は複雑な気持ちに襲われた。 東京オリンピック・パラリンピックは少々無理をしてでも開催したが、国体は中止か?
競技レベルが高く世界中の注目が集まる国際的スポーツイベントは開催しなければならないが、注目度が低くレベルもそんなに高くない国内の競技大会はあっさり中止してもいいのか? と、首を傾げた。
中止された国体は、延期しての開催が改めて模索されていたが、三重県は先月の9月24日、延期による開催もあきらめ、完全中止を決定した。
昨年開催予定だった鹿児島県の「燃ゆる感動かごしま国体」もコロナ禍で開催が中止されたが、2年後の23年の延期開催が決定され、国体の開催完全中止は1946年に第1回大会以来、初めてのことだという。
その理由は金銭的事情。延期開催の場合、最大180億円近い経費が必要と試算され、ならば既にPRや感染対策や消耗品に使った費用約3千4百万円や、国からの補助金16億円等と比較して、中止したほうが賢明だと判断したようだ。
その判断は間違ってはいないだろう。が、ここでさらに疑問が湧く。コロナ禍がなくても、国体は、はたして開催する価値のあるイベントと言えるのだろうか?
第二次大戦後、戦争で荒廃した国土と日本人の心に元気を取り戻すため、各県で順々に開催された国体は、87年沖縄県の「海邦国体」で全県を巡り終え、その数年前から「国体は役目を終えた」として「不要論」や「廃止論」が唱えられ始めた。
私も雑誌に「各県のスポーツ施設も整い、国体は国民の注目度も低くなり、その役割を終えた」という原稿を書いた。
そのとき文部省(現・文部科学省)から連絡を受け、「既に二巡目として各県を回ることが決まっているので批判は控えてほしい」と軽い抗議を受けたことを今も憶えている。
その後NHKの『クローズアップ現代』でも国体問題が取りあげられ、解説者として出演した私は、当時のキャスターだった国谷裕子さん相手に「国体不要論」を話した。が、そのときの放送は番組史上最低視聴率を記録したらしく、国民体育大会という話題が、多くの人々に興味を持たれていないことが実感された。
そんな国体だが、24年の佐賀大会から「国民スポーツ大会」と名称が変更され、その後も滋賀、青森、宮崎……と続き、34年島根大会で、中止となった三重県を除き、「全県2順目の大会開催が達成」されるという。
しかし、そのことに、どんな意味があるか?と、また首を傾げてしまう。
スポーツ施設の補修や建設もあり、コロナさえなければ多くの人々も全国から集まり、建設業や観光業で開催県が潤う……と言う人がいるだろう。が、そんなイベント中心の「祝賀資本主義」による経済活性化は一過性のもので、危険性の高いことが、今回中止になった三重国体や東京オリパラで証明されたのではないか?
今後は一過性のイベントではなく地域社会で育て、参加し、応援するスポーツクラブやスポーツチームなど、スポーツの世界もSDGs(持続可能な開発目標)を視野に入れて考えなければならないはずだ。
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