6月19日はベースボール記念日。 1846年のその日、ニュージャージー州ホーボーケンで、ニッカーボッカーズ対ニューヨーク・ナインの試合が行われた。
そのときのルールを創ったのがニッカーボッカーズを率いた消防士のアレクサンダー・カートライトで、先に20点以上を取ったチームが勝利するkとなど、今日のルールとは異なる点も多い。
が、1チーム9人でプレイしたり、打者は空振り3球でアウト、3アウトで攻守交代など、今日に繋がる基本的なルールで初めてベースボールが行われたのが、6月19日だったというのだ。
今年、コロナ禍で開幕が遅れていた日本のプロ野球は、そんな記念すべき日に開幕の日を迎えた。
とはいえ、その「記念日」を知っている日本人は、ほとんど皆無だろう。
リモート・マッチ(無観客試合)で行われた開幕の日、球場近くにあるスポーツ・バーや居酒屋で、応援するチームのユニフォームを着て小旗を振り、久し振りにテレビで見るプロ野球の公式戦にソーシャル・ディスタンスで声援を贈っていた多くの熱心なファンも、おそらく「ベースボール記念日」のことを知っている人はいなかったたに違いない。
私がテレビのニュースで見た限り、「ベースボール記念日」について語ったファンはいなかったし、それについてファンに訊こうとしたテレビ局の記者もいなかった。
それに象徴されるように、ベースボール発祥の地から遠く離れた東洋の島国では、同じルールで行われているベースボールでも、中味は相当違ったモノになってしまった。その最も顕著な例は応援団の有無だろう。
きちんとしたルールが定まる前(近代以前)から様々に多様なルーで行われてきたスポーツは、「飛び入りの自由」が許された長い歴史があったため、見物人は、プレイしている選手より自分が下手なこと(飛び入りできないこと)を自覚し、(おとなしく)声援を送ることになる。
が、近代以降にきちんとしたルールから生まれたスポーツや、近代以降になって外国から伝播してきたスポーツは、「飛び入りの自由」が許されず、選手と見物人が最初から分かれている。そのため「見るだけの人」の欲求不満が募り、独自のパフォーマンスを行う応援団を生みだすのだ。
日本の相撲やアメリカのベースボール、ヨーロッパのフットボール(サッカーやラグビー)には(フーリガンや集団合唱はあるが)応援団が存在せず、アメリカンフットボールやバスケットボールなど19世紀末に創られたスポーツにチアリーダー・チアガール・チアボーイが存在し、日本・韓国・台湾など、近代以降に外国から伝播した東洋の野球に応援団が存在するのはそのためだ。
とはいえ日本のプロ野球は学生野球と異なり、アメリカ・メジャー野球の影響を受けてか、長く応援団が組織されなかった(後楽園球場では、)読売新聞販売店の親父さんが、ダグアウトの上でイニングの合間に旗を振って三三七拍子を促す程度だった)。
それが広島カープの赤ヘル軍団トランペット隊や、阪神タイガースの「カケフ(掛布)コール」あたりから応援団の組織化が進み(さらに親会社が従業員を津合って応援団を結成させたりして)、いまでは12球団すべての観客が応援団の一員として、ディスコ感覚で歌い踊り、応援するようになった。
古くからのプロ野球ファンである小生は、リモートマッチから「球音を楽しみ静かに興奮する新たな応援」が生まれるかと期待したが、テレビは無観客でも応援歌を流した。それを、残念な思いで見た小生は過去の人間になったのかな……?
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