「プレイボール!」球審のコールから5分足らず。そのとき早くも勝負はついた。
そう断定するのは乱暴すぎるかもしれない。が、そこに日韓の野球の“進化”の違いが、「差」となって現れた、とはいえるだろう。
アジアシリーズ決勝戦。1番打者のパク・ハンイは、マリーンズのエース渡辺俊の速球を見事に右中間フェンスまではじき返した。初回無死二塁。そこでソン・ドンヨル監督は迷わず2番打者のカン・ドンウに送りバントを命じた。
結果は、目の前に転がってきた打球を、マウンドから駆けおりた渡辺が拾いあげ、キャッチャー里崎の指示どおり振り向きざまに素早く三塁へ送球。二塁走者を難なく刺した。
無死二塁のビッグチャンスを1死一塁という平凡な状況へ後退させてしまった韓国代表三星ライオンズは、続く3番ヤン・ジュンヒョクにヒットが出たものの、4番キム・ハンス、5番キム・デイクが凡退。絶好の先制機を逃した。
しかし、結果が問題なのではない。
初回無死二塁での送りバント。それがたとえ成功し、次打者の外野フライか、あるいは前進守備を敷かないであろうマリーンズ内野陣への内野ゴロで「貴重な先制の1点」が入ったとしても、状況は変わらなかったに違いない。
味方打線が5点は取ってくれると確信していた渡辺俊は、6回を3点以内に押さえれば十分と考え、アウトを積み重ねることに専念し、最終的に6−4という数字に変化は生じても、マリーンズの勝利は動かなかっただろう。
もちろん、先制点を与えられて勇気を得た韓国のエース、ペ・ヨンスが大奮闘し、「初回の貴重な先制点」を守り抜く・・・、または僅差の大接戦に持ち込む・・・、という筋書きも考えられないことではない。野球は何が起こるかわからない。実力で劣るチームが強力なチームに泡を吹かせることも珍しくない。しかし、結果がどうあれ、厳然たる「実力差」は誰の目にも見えたはずだ。
初回無死二塁で2番打者が送りバント。何のフェイントもかけず、投手の配球を伺うわけでも投手を焦らすわけでもなく、素直にバットをボールにちょこんと合わせたとき・・・、その「差」は歴然と露呈した。
それは、懐かしい光景でもあった。
日本のプロ野球も、かつてはそのような野球を至上としていた時期があった。
スコアリング・ポジションと呼ばれる二塁に走者がいても、ヒットが出なければ得点にはいたらない。いや、ヒットでも確実に生還できるとは限らない。しかし1死走者三塁なら、外野フライ、内野ゴロ、捕手のパスボール・・・と、得点を得ることのできるケースは一気に増す。しかもワンバウンドの暴投を恐れて投手は落ちる球を投げづらくなる。打者は配球を絞りやすくなり、外野フライやヒットを打てる確率も増す。
1点を争う僅差の試合はもちろん、「貴重な先制の1点」は常に重視され、無死二塁での送りバントは、確実に得点を得る戦法として多用され続けてきた。
しかしバレンタインは、そのような作戦を完全に否定した。それが端的に現れたのがパ・リーグ・プレイオフ最終戦だった。
1対2とホークスに1点のリードを許した8回表! 無死一・二塁! これは誰がどう考えても送りバントで走者を二・三塁に進める場面だった。ましてや打席に立ったのは4番とはいえ「つなぎ」が役割のサブローで、おまけにプレイオフでは1割台の打率に低迷し、この日も併殺打をふくむ3打数0安打とまったくふるわなかった。
しかしバレンタインはサブローに強打させた。結果は一塁後方へのファウルフライ。
「まったくわかりません。何を考えてるのか・・・、何も考えていないのか・・・」
テレビ解説の野村克也氏が溜息混じりにいった。ところが次の瞬間、サブローと同様バットを強振した里崎の打球は左中間を深々と破り、二塁走者に続いて一塁走者も生還。3対2と逆転に成功したマリーンズは、パ・リーグを制覇したのだった。
「わたしには理解できません」
野村氏の再度の嘆息も理解できる。無死一・二塁での強打は併殺の危険性も高い。が、バレンタインは、より有利で安全な得点状況を作り出し、2人の打者(と相手のミス)に期待するのではなく、得点可能な状況のまま3人の打者に期待したのだ。
どっちが「得点する(勝利する)確率が高いか」という命題は、まったくナンセンスな机上論というほかない。
「確率」とは同じ条件のもとで繰り返されたデータの蓄積がなければ意味がない。野球は相手チームも投手も球場も・・・すべて条件が異なり、過去のデータなど本来無意味なものなのだ。が、「確率野球(パーセンテージ・ベースボール)」は「ドジャースの戦法」としてV9ジャイアンツが取り入れて以来、多くの野球人や野球ファンに信じられ続けた。大リーグがそれを簡単に忘れ去ったあとも・・・。
理屈はさておき、試合の序盤や中盤で、無死一塁よりも1死二塁、無死二塁よりも1死三塁のほうが得点する確率(勝つ確率)が高い・・・と考えるのは、明らかに「弱者の野球」といえる。
バレンタインはそれを拒否した。いや、日本のプロ野球全体が、近年大きく「進化」してきた。
16年前の1989年、12球団780試合で1539本(1試合平均2本)もあった犠打数が、今年は交流戦もあって試合総数が96試合増えたにもかかわらず1014本(同1.2本)に激減した。なかでも外国人監督のマリーンズ=56本とファイターズ=54本は犠打が格段に少ない。
日本のプロ野球は「弱者の野球」から「強者の野球」へと進化したのだ。そして監督から「強者」と認められた選手は、その信頼に答えるべく、最善の方法を自ら考え、選択するようになってきた。
「日本のプロ野球には70年の歴史がある。我々はまだ23年。その差が出たと思う」
試合後の会見でソン・ドンヨル監督はいった。
そのとおりだろう。5回裏2死から四球で出塁させた西岡の足を、投手のペ・ヨンスは警戒しすぎて不用意に速球を投じた。それをシーズン中は1本のホームランも打てなかった渡辺正が、待ってましたとばかりに狙い打ち、見事にオーバーフェンスした。
その一打も「歴史の差」といえるのかもしれない。一時代前の日本野球なら(そして現在の韓国野球なら)駿足ランナーの盗塁を待つのが「セオリー」だったはずなのだ。
三星ライオンズは、このシリーズでの必勝を期して、日本シリーズに5人ものスコアラーを送り込んだ。その努力は、あの美しいサブマリンの渡辺俊から6回で8安打という成果となって現れた。そして合計13安打はマリーンズの6安打を倍以上うわまわった。しかし韓国は日本に勝てなかった。
そういえば試合前の内野へのシートノックで、韓国のコーチはボールの下側を打ってゴロを転がしていた。実戦では絶対にありえないボールが逆回転する内野ゴロを、10年前くらいまでは日本のコーチも無神経に繰り返していた。しかし、いまはどのコーチも丁寧にボールの上側を打ち、実戦どおりのゴロを選手に捕らせるよう務めている。こういう些細な出来事こそ、「戦術」や「作戦」以上に、「野球の進化」を支える重要な要素といえるのかもしれない。
かつて「大味」ともいわれた韓国野球も「緻密」を目指して進化した。しかし、笛を使った三三七拍子の応援も、ベンチ前で選手が直立して円陣を組む姿も、そして無死二塁での送りバントも・・・、バレンタイン監督率いるマリーンズ・ナインとマリーンズ・サポーターは、すべての「懐かしい光景」を破壊し、遠い過去へと押しやって見せた。
試合前、バレンタイン監督に、今季のマリーンズがこれほど強い理由は? と訊くと、次のような答えが返ってきた。
「We have many good players.That's all.(マリーンズにはいい選手がたくさんいる。それだけだよ)」
「監督の闘い」から「選手の闘い」へ。「ボビー・マジック」というものがもしも存在するなら、それは選手を引っ張って闘わせたのではなく、闘う選手の後押しをしたこと、といえるのだろう。
それは、「日本野球の進化」というよりも、日本の野球がようやくスポーツ本来の姿を呈するようになってきた証拠、というべきかもしれない。 |