日本大学アメリカンフットボール部の「悪質タックル事件」が、大きな社会問題として連日メディアで騒がれている。
それがどのように収拾するのか、まだまだ余波は続きそうだ。
そこで「事件」の行方はさておき、アメリカンフットボール(アメフト)という少々特殊な球戯(ボールゲーム)について考えてみたい。
アメリカンフットボールは、ハーバード大学やコロンビア大学など、のちにアイヴィ・リーグと呼ばれるアメリカ東部の大学の学生たちによって、19世紀後半に創案され、徐々にルールの整えられた球戯である。
ヨーロッパからアメリカ大陸に移住してきた人びとは、最初のうちはヨーロッパから伝わったアソシエーション・フットボール(サッカー)やラグビー・フットボールも行っていた。が、1965年に南北戦争が終結すると、アメリカ・ナショナリズムの高まりとともに、アメリカ独自のスポーツ文化が求められるようになり、アメフトの誕生と同時期に、バスケットボールやバレーボールなど新しいアメリカの球戯が誕生。欧州から伝わったベースボールも、独自のルールがニューヨークで創られた。
それらアメリカ生まれの球戯には、どれにも共通したルールがある。ひとつには選手交代が頻繁に認められ、出場選手が多いことだ。
欧州生まれの球戯は選手交代を認めないのが原則。のちにアメリカの影響を受けて選手交代を認めるようになったが、一人でも多くの人びとの参加を促したアメリカ型の球戯に対して、選ばれたエリート中心主義が欧州型球戯の特徴と言えた。
そして審判も、アメリカ型球戯には必ず複数存在し、合議制でジャッジが下される。それに対して欧州型球戯は、最近でこそ複数審判による合議やビデオ判定が導入されるようになったが、以前は一人の審判が単独で最終決定を下した。
また、試合時間が制限されている球戯では、時計が誰の目にも(観客の目にも)見える場所に置かれているのがアメリカ型で、一人の審判が身に付けた腕時計で判断するのが欧州型となる。
こうして比較してみるとわかるが、アメリカの球戯には誰もが納得できるアメリカン・デモクラシーが貫かれているのだ。
アメフトでは4度の攻撃で10ヤード進むかどうかが争われ、それに達しない場合は攻撃権が相手チームに移る。その距離が微妙な場合は10ヤードの長さの鎖が持ち出されて計測される。一方サッカーのフリー・キックでは、相手選手が9・15メートル(約10ヤード)以上離れなければならないが、その距離は審判の歩数(または目分量)で決まる。
それらもアメリカ型民主主義と欧州型エリート主義(エリートは細かいことに拘泥しない?)の違いと言えるかもしれない。
さらに両者の大きな違いは、アメリカ型の球戯には試合の中断が頻繁に起こるが、欧州型の球戯はできる限り試合を連続させようとすることだ。
これは開拓時代以来アメリカにはなかなか劇場が建設されず、演劇やオペラを楽しむ文化が遅れたからと言われている。試合が中断する度に、観衆は次に何が起こるか、選手は何を考えてるか、と演劇を見るように球戯をドラマとして楽しんだのだ。
そうして試合の中断が多くなり、アメリカ型球戯の選手たちは、監督・コーチの命令を頻繁に受けることになった。サッカーやラグビーでは選手が自分の判断で動く場合が多いが、野球やアメフトは選手がベンチの命令で動くケースが多い。
それもまた両者の面白い相違点と言えるが、アメリカ型球戯が欧州型ほどには世界的(グローバル)な人気を得られない原因と言えるかもしれない。 |