日本ハム・ファイターズからロサンゼルス・エンゼルスへ移籍した大谷翔平選手が、見事なメジャー・デビューを果たした。
オープン戦では、投手としても打者としても最低の成績(打率1割7厘・防御率27.00)で、マイナーリーグからスタートすべきだという声が高かった。が、開幕戦からメジャーで出場。10試合で投手としては2試合に登板して2勝(そのうち第2戦は7回1死まで無安打無四死球に押さえるパーフェクトピッチング)。打者としても3試合連続ホーマー、打率3割8分9厘で、週間MVPに選ばれた(追記:5月12日現在、打率3割5分4厘、5本塁打。投手として3勝1敗、防御率4.10。4月の月間最優秀新人にも選ばれた)。
大谷がこれほど凄い活躍をするとは、誰一人として予想しなかった。が、それはある意味で、アメリカに渡ったすべての選手に対する評価と同じだった。つまり誰もが結果を下回る「過小評価」のなかでスタートを切ったのだった。
1995年、日本人メジャーのパイオニアというべき野茂英雄投手が渡米したときは、ある辛辣な野球評論家(元西武監督のH氏)は、「半年足らずでシッポを巻いて帰ってくる」とまで言い切った。
また多くの野球評論家が、メジャーで成功する日本人投手は、アンダースローかサイドスローの変化球主体の軟投型で、野茂のような本格派の活躍は無理と口を揃えていた。
しかし、その後の野茂が三振に山を築き、メジャーで大活躍したのは誰もが知っている通りだ。
野茂がメジャーで成功したあとも、日本人選手は投手では成功できても打者は無理と言われた。そんななかでイチローが登場し、首位打者を獲得し、シーズン262安打でメジャー最多安打記録を85年ぶりに塗り替え、首位打者まで獲得した。
それでも日本人選手の内野手は無理と言われるなか、松井稼頭央が二塁手としてメッツ、ロッキーズ、アストロズで7シーズンに渡って二塁手と遊撃手で活躍。さらにメジャーのキャッチャーだけは務まらないだろうと言われるなか、城島健二がマリナーズの捕手として4シーズン活躍。
最後にホームラン・バッターだけは出てこないと言われるなか、松井秀喜がヤンキースに入団し、3試合連続ホーマーを放ったうえ、ワールドシリーズMVPに輝くなど、メジャーの長距離砲(スラッガー)として大活躍した。
そして大谷翔平である。投打の二刀流は日本のプロ野球では可能でも、メジャーでは無理……といわれるなか……。いや、もう改めて書く必要はないだろう。
野球以外にも、かつては日本人には絶対無理と言われた「100メートル10秒の壁」を、桐生祥秀が破った。
日本人というのは、どうも自虐的に、無理だ無理だと諦めるのが好きな民族のようだが……。いや、そうではあるまい。
スポーツという文化は基本的に若者の文化である。若い肉体が溌剌と躍動するなかで、新しい技術が生まれ、新しい記録が生まれる。それは年長者には絶対に不可能な試みである。
ところが日本のスポーツ界は、先生や先輩や師匠と呼ばれる立場に立つ年長者が、生徒や弟子と呼ばれる若者の上に立って指導し、時にはスポーツの技術以外のことまで(私生活の管理まで)指図する場合が多い。野球(スポーツ)の解説者も現役選手を引退した先輩の年長者として師匠的立場から若い選手たちを見下ろし、辛辣な評価を下すことが多い。
スポーツの指導者(コーチ)とは、もともと馬車(コーチ)のことで、もともとは選手(アスリート)を目的地まで運ぶのが仕事だ。だから、選手がコーチを選ぶのが基本で、そういう指導者(コーチ)と選手(アスリート)の関係が「アスリート・ファースト」といえるのだが、日本のスポーツ界は上に立つ指導者がパワハラを起こすような前近代的組織のまま、なかなか進歩しない。
日本の若者たちは、今後も世界の様々なスポーツ界で活躍するだろう。ならば年長者たちは、日本のスポーツ組織の改革に(自らの退任も含めて)取り組むべきだろう。
付記しておくなら、日本のスポーツ組織改革で最も望まれるのは、プロ野球の親会社制度の廃止(球団が主となって、スポンサー制度にするべし)と、プロ・アマの野球界の球団所有や大会主催からメディアが手を引くことだろう。メディアがスポーツ界にシャシャリ出る結果、ジャーナリズムが機能しなくなっていることこそ、最悪の癌といえますよね。 |