べつだん深い理由があったわけでもなければ、とくに強い意志があったわけでもなく、大学を中退して文章を書くという仕事を始めた一年後にスポーツをテーマに選び、その二〜三年後にアメリカの雑誌で「スポーツライター」という言葉を見つけ、よし、これだ、と思い込んで以来約三十年。今日まで曲がりなりにもその仕事を続け、一定の評価も得ることができるようになれたのは、二人の人物のおかげだと思っている。
一人は、虫明亜呂無氏。氏の数々の文章からは、スポーツを見たり表現したりするときには、「こころ」以上に「からだ」に注目することが肝要である、ということを学んだ。
そして、中村敏雄先生である。
『オフサイドはなぜ反則か』という本のタイトルを銀座の書店で目にしたときの衝撃は、いまも忘れることができない。その単純な問いかけに答えられなかった私は、その瞬間、呆然と立ち竦んでしまった。
頭のなかには「待ち伏せは卑怯だから……」という、通り一遍の答えが浮かんだが、その回答がまったく解答たりえてないことに、自ら愕然とするほかなかった。
なぜ、待ち伏せは卑怯なのか?
なぜ、卑怯だとされるようになったのか?
疑問は疑問を呼び、空っぽになった頭のなかには、自分はスポーツライターを名乗りながら(といってもその肩書きは、雑誌でも新聞でもテレビでも、メディアではなかなか使用させてもらえなかったのですが)、じつはスポーツのことを何も知らない……という思いばかりが駆けめぐった。
もちろん我に返るとすぐさまその本を買い、ページに穴が空くほど文字を睨みつけて一気に読んだ。中味はタイトルの衝撃以上にショックの連続だった。自分は確かにスポーツを知らなさすぎた。それは脳天をハンマーで叩かれるような衝撃だった。と同時に、スポーツとはこれほど面白く興味深いものなのだ、という喜びが心の奥から溢れてきた。
私は確かにスポーツを知らなかった。では、スポーツの何を知らなかったのか? スポーツの歴史を知らなかったのだ。それに気づいたときは、うれしかった。ほんとうに、うれしかった。スポーツライターとして自分のやらなければならないことが、はっきりとした輪郭と矢印を伴い、明確に立ち現れた気がした。
王監督で巨人は優勝するか? ソ連不参加のロサンジェルス・オリンピックで日本は何個のメダルが取れそうか? 神戸製鋼ラグビー部の連覇はどこまで続くか? 当時の私は、そんな原稿を山ほど書きながら、何か満たされないフラストレーションを感じていた。
スポーツを書くとは、いったいどういうことなのか? どういう意味があるのか? どういう意義があるのか?
人々(読者)を楽しませる? 喜ばせる? 勇気づける? それだけか? スポーツに熱中することは、もっと大事なもの、もっと大切なものを忘れさせることにつながりはしないか?
そんな悩みが解決できず、苛立ちが募った。このままスポーツライターという仕事をしていていいものか? スポーツとは、自分が一生を賭けて取り組むに足るテーマといえるのか? そんな悩みを抱え、いくら頭を捻っても、頭のなかはボンヤリと靄に包まれるばかりで、光はどこにも見当たらなかった。
それは当然のことだった。悩みを悩むだけでは解答など得られるはずもない。そもそも自分は、考えるという行為に至ってなかったのだ。いや、考えるという行為が、どのような行為であるかということさえ、わかっていなかったのだ。
何かを考えるためには、考えるための材料が必要だ。次々と考えが閃く天才ならばいざ知らず、我々凡人はまず考えるための材料を手に入れなければならない。材料がなければ、悩みに悩んで堂々巡りするだけだ。
考えるための材料とは、おおむね過去の事象である。過去が原因となって現在が出現しているわけだから、現在の事象を考えるときは、過去を知る必要がある。過去を抜きにして現在を考えることなどできない。過去とは「歴史」と呼ばれているもののことである。
ところが、スポーツというテーマには落とし穴がある。というのは、目の前の躍動する肉体を見ているだけで、心が動かされてしまうのだ。激しくボールが動き、ゲームが二転三転するだけで興奮し、満足までしてしまう。わざわざ過去に遡ってスポーツの歴史など身につけなくても、目の前でスポーツのすべてが展開されている、と思い込んでしまうのだ。
さらに残念なことに、スポーツについては、誰も教えてくれなかった。
学校の先生による体育の授業でも、ルールはこうだから、こうしろ、と命じられるだけで、なぜそういうルールが生まれたのか、なぜそうしなければならないのか、ということは教わらなかった。
新聞のスポーツ評論家による解説でも、テレビのスポーツ中継の解説者によるコメントでも、このフォームは良い、あのフォームは悪い、この作戦は勝ちにつながる、あの作戦ではダメ、だから勝った、だから負けた、などと「解説」するばかりで、目の前で行われているスポーツには、いったいどういう意味があるのか、どういう過去の歴史を持つのか、などということは話題にならない。という以上に、そういう視点を持つこと、そういう視点がスポーツに存在することすら、無視されつづけてきた。
よく、まあ、そんなふうに目先の出来事ばかりを追いかけて、スポーツを語ったり書いたりしてきたものだと、自分自身もふくめて「スポーツに対する無知」を反省するほかないが、そのきっかけを与えてくださったのが中村敏雄先生の著作だったのだ。
さらに先生の著作は、スポーツの歴史を掘り起こす必然的結果としてスポーツのほんとうの面白さ、すなわち、人間の営みとしてのスポーツの存在意義や、文化としての価値の高さにまで踏み込んで言及され、スポーツライターとして悩んでいた男の目から数え切れないくらい何枚もの鱗を落としてくださった。
そのうえ先に書いた「考える」という方法までも教えてくださったばかりか、スポーツライターという職業に限界を感じ、悩んでいた男の進む道筋まで光を照らしてくださったのだった。
そのような小生にとっての中村敏雄先生との関係を、一言でいいあらわすならば、ジャーナリズムとアカデミズムの関係といえるかもしれない。
現在目の前で次つぎと生起している社会的事象を、毎日追いかけて多くの人びとに伝え、解説批評するのがジャーナリズムの仕事ならば、その事象の本質、本源を追求するのがアカデミズムの仕事といえるだろう。そして両者は、相互補完的に存在し、現在の人間社会をより良い未来へと導くための一助として活動しているといえるはずだ。
政治、経済はもとより、科学、芸術、芸能……等々すべての人間の文化的営みは、アカデミズムとジャーナリズムの存在なくしては、有意義で有効な活動が不可能だろう。また、あらゆるジャンルにおけるアカデミズムやジャーナリズムも、相互に補完協同する作業を展開しなければ、よりよい活動、より建設的な活動はできないだろう。
とりわけジャーナリズムがアカデミズムから遊離すれば、それは単なるイエロー・ペーパー(スキャンダル・ジャーナリズム)に堕してしまうにちがいない。そして、そのジャンルの文化的営みも堕落する方向へと向かうにちがいない。
ところがスポーツは、アカデミズムとジャーナリズムの両者の距離が最も遠いジャンルのようにも思われ、かつての(中村敏雄氏の著作と出逢う前の)自分を思い起こすにつけ、現在多くのスポーツジャーナリスト(と自称する人物)やスポーツメディアの派手派手しいだけの活動を見るにつけ、スポーツ・ジャーナリズムとスポーツ・アカデミズムの乖離を嘆かざるをえない。また、将来の接近を願わずにはいられない。
そしてスポーツに対する歴史認識が一般化すれば、現実に目の前に展開している日本のスポーツも、未来の日本のスポーツも、誰もが望ましいと思える方向へと向かうにちがいない。少なくとも、望ましい方向がどのようなものであるかを、指し示すことができるだろう。
そのためにとりあえず、スポーツ・ジャーナリズムに携わる人は、誰もが中村敏雄先生の著作を読破しなければならない、というような認識が、常識として広まってほしいものである。
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