福岡ソフトバンクホークスの優勝で幕を閉じた2018年の日本シリーズでは、MVP(最高殊勲選手)を獲得した甲斐拓也選手の活躍が大いに騒がれた。
彼のシリーズ打撃成績は14打数2安打。打率1割4分3厘で本塁打0。打点も0。シーズン中の成績も7本塁打を放ったものの、わずか2割1分3厘の低打率。これほど非力な打者が、プロ野球最高の大舞台で、最高の賞に輝いたのは初めてのことだった。
彼が評価されたのは捕手としての「強肩」。セ・リーグ最多の95盗塁を記録した広島カープの俊足選手たちを相手に、6度の盗塁をすべて阻止。
6連続盗塁刺は日本シリーズ新記録で、スポーツ紙はメジャーで「強肩選手」の代名詞に使われる「キャノン(大砲)」という言葉で彼の活躍を讃えた。「大砲」が砲弾を撃ち出すような豪速球を投げる、という意味だが、日本語の「強肩」を英語に訳すと「ストロングアーム(強い腕
strong arm)」となる。
確かに「肩」は関節が中心で、ボールを投げるパワーを出すのは筋肉だから、「強い腕」のほうが「強い肩 strong shoulder」よりも正確な表現かも……と思って、いちど生体力学(バイオメカニクス)の先生に、どっちが正しいのか質問したことがあった。すると答えは、どちらも不正解。
野球の投手や野手が速いボールを投げるためには、足首、脚、腰、背筋と腹筋、そして肩周辺や腕など、全身の筋肉を使う必要があり、「ストロングアーム」や「豪腕」や「強肩」では、野球選手の素晴らしい送球の能力を表現しきれていないという。
それなら、アメリカから伝わったベースボールで、「強い腕」と表現されていた言葉が、日本の野球用語であ、どうして「強肩(強い肩)」となったのだろうか?
それは日本人が昔から常に、「肩」という身体の部位を強く意識していたからのようだ。何しろ日本語には、「肩」を比喩に使う言葉が山ほどある。
威勢良く歩くことは「肩で風を切る」。疲れて苦しいときは「肩で息をする」。失敗を指摘されたりすると「肩をすぼめ(すくめ)」て「肩身が狭く」なる。責任を果たすと「肩が軽く」なり、仕事が一段落してホッとすると「肩の荷を降ろす」ことになる。他人の味方をすることは「肩を持つ」。他人を助けるのは「肩を貸す」。他人を贔屓するのは「肩入れ」をする。落胆すれば「肩を落とす」。怒ったときは「肩を怒らす」。対等の関係は「肩を並べる」……。
まだまだ「肩」に関する比喩はありそうだが、そもそも日本人の肩には、オギャアと生まれたときから倶生神(くしょうじん)というインド中国由来の神々が宿っており、右肩に宿った女神がその人の悪行を記録し、左肩に宿った男神が善行を記録するという。
そうして死んだあと、閻魔大王が天国行きか地獄行きかの判定の材料にするという。だから昔の日本人が神の宿る肩を意識して日本語に影響を与えた結果、倶生神のことなど忘れてしまった現代日本人も無意識的に肩に関する日本語を使い続けているのかも……。
そういえば小生の友人であるアメリカ人のロバート・ホワイティングさんは、アメリカで暮らしていたときには「肩凝り」などしなかったが、日本で長く暮らし、日本語を覚え、使うようになってから、「肩が凝る」ようになったという。
「肩凝り」は英語で「stiff neck(硬い首)」が近い言葉だが、筋肉痛の一種。言葉(神話)が先か? 現実が先か? 何やら人間は、言葉という魔物に支配されているのかもしれませんね。 |