「オリンピック(スポーツ)に政治を持ち込むな!」という主張は、誰もが正しいと考えるだろう。
しかし、「戦争とは政治の延長である」という言葉もある(プロシア=ドイツの将軍クラウセヴィッツの言葉)。ならば戦争の反対語の「反戦平和」もまた「政治(的行為)」と言えよう。
1871年プロシア(ドイツ)との戦争に敗れたフランスでは、復讐の声が渦巻いた。が、復讐の繰り返しでは平和が訪れないと考えたクーベルタン男爵は、古代ギリシアのオリンポスの祭典競技の期間中に、エケケイリア(刀の柄を握った手を止めるという意味)と呼ばれた休戦協定が結ばれたことを知り、スポーツによる世界平和を築こうと考え、近代オリンピックを創設した。
従って冒頭の言葉を正しく言い換えるならば、「オリンピックに戦争(という政治)を持ち込むな! 平和(という政治)を持ち込め!」と言うべきなのだ。
過去に国連でも何度か「オリンピック休戦」が決議されたが、その理想の実現は難しく、「オリンピック=平和運動」という政治は、「戦争=冷戦・侵略・地域紛争・テロ」という政治を止めることができず、逆にオリンピックの存立自体を危うくする結果を招いたりもした。
今、韓国の文在寅大統領は、来年2月の平昌冬季五輪の「南北共催」を提案している。
どの競技を北で行うにしろ、選手、コーチ、役員、審判、メディア、観客の大量移動が不可欠で、それを北が受け入れるとは思えず、事実上「共催」は夢物語と言うべきだろう。
が、平壌から南へ38度線を超え、ソウルを経て平昌に至る聖火リレーや、大会後のエキシビションの北での開催等は、実現できないものだろうか?
映画『東京オリンピック』の最後を、市川崑監督は次の言葉で締めた。「この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか」
「創られた平和」でも、戦後日本の平和と繁栄につながった。ならば平昌で「平和を創る」ことこそオリンピックの使命と言えるはずだが……。 |