日本国内のスポーツ・イベントや、日本人アスリートの登場する海外でのスポーツ・イベントは、連日多くの時間を割いてテレビで放送され、新聞でも政治面や経済面や社会面と同程度の紙面の大きさで報じられている。が、解散総選挙となった現在、メディアが各政党のスポーツ政策を分析し、報じることは、まったくない。
それどころか、前の国会に提出されていた「スポーツ基本法」の審議が解散のために中断され、審議未了で廃案になったことは新聞が小さく報じただけで、テレビではまったく取りあげられなかった。
スポーツと呼ばれている「文化」(人間の営み)は、いまやアメリカで20兆円規模のGDSP(Gross Domestic Sports Products=スポーツに関連して生産された付加価値の総和)があるともいわれ、経済的にも産業的にも無視できない存在になっている。
が、日本では、スポーツ・ウェアは衣料産業、スポーツ・シューズは靴産業、プロ野球やJリーグの入場料や、ゴルフクラブの代金等は娯楽産業に分類され、GDSPのデータは存在しない。
その一方で、オリンピックのとき、あるいは世界規模のスポーツ大会のときのみ「ニッポン、ニッポン」と大騒ぎし、また、オリンピックの選手強化にまわされる国の予算の少なさが叫ばれるだけだ。
バンクーバー五輪前後では、中国の選手強化費が120億円、ドイツが274億円に対して、日本は27億円……などと報じられた。が、じつは各省庁に分かれているスポーツ関連予算をすべて合計すると、国交省の約900億円を筆頭に、毎年1900億円前後の予算が組まれている(その多くが、スタジアムや体育館や、周辺の道路整備の費用なのだが……)。
今回の総選挙で示された(自民、公明、民主各党の)マニフェストを読んでみると、各党ともにスポーツ政策を取りあげてはいる。
たとえば自民党のマニフェストには、『教育・文化』の項目に、『国家戦略としてのスポーツ・文化芸術の振興』として『「スポーツ基本法」を制定し、スポーツ庁を新設する。トップレベル競技者の育成・強化や地域スポーツを振興する。2016年の東京オリンピック・パラリンピックを国を挙げて招致する』と書かれている。
公明党も、『スポーツ振興政策の抜本強化を図るため「スポーツ基本法」(仮称)の制定』と『「スポーツ庁」(仮称)の設置を目指し』、さらに『総合型地域スポーツクラブ』の拡充、『国民に夢を与えるトップアスリートの育成支援』『障がい者スポーツの振興』などが書き連ねられている。
これに対して民主党は、『スポーツ基本法の制定をめざす』と書く一方、『小学校の校庭や公共スポーツ施設の芝生化事業を強く推進』し、『地域密着型の拠点づくりの推進』『地域のスポーツリーダーの育成』そして『スポーツ医学の振興』等を書いている。
各党とも、テーマがスポーツだけに、夢にあふれた未来を書き連ねているのかもしれないが、よく読めば自公と民主では基本理念に相違があり、自公(とくに自民)は、トップアスリートの競技力向上に重きを置いてスポーツ界全体を発展させようとする「トップ・ダウン型」、民主は、地域スポーツの基盤整備を重視する「ボトム・アップ型」といえる。
どちらのスポーツ政策が優れているかはさておき、前国会で提出されたスポーツ基本法は、当初は与野党のスポーツ議員連盟所属議員が中心になり、超党派で提出される予定だったものが、自民vs民主の理念の対立が際立つようになり(もちろん政局に利用された面もあるが)、与党(自公)の単独提出となってしまった。
このスポーツ基本法とスポーツ庁設置に最も熱心だった(ロビー活動をした)のは日本オリンピック委員会(JOC)と日本体育協会(体協)で、この2団体が最も強く求めたのがオリンピック出場選手の強化費獲得だった。そのため、与党の政策と合致したともいえる。
また、体協の会長が森喜朗元首相であることや、元オリンピック選手の何人かが自民党議員になっており、スポーツ界が自民党に(という以上に、半永続政権政党ともいうべき政党に)何もかも陳情する、というスタイルが、かつては日常化していた。
が、二大政党時代を迎えようとしている現在、スポーツ界全体と、あらゆるスポーツ団体が、日本社会にあるべきスポーツの未来像を明確にし、その実現にふさわしい政権を選ばなければならなくなった。
もちろん、その「あるべきスポーツの未来」を示すために、各スポーツ団体内部でも議論を活発化させ、明確な方針を持ったリーダー(各団体の会長)が選挙で選ばれ、そのリーダーの方針に沿って、各スポーツ団体の未来へ向けての青写真が描かれるべきべきだろう。
そして、スポーツ庁(もしくはスポーツ省)が新設されるのならば、JOC、体協、およびそれらに所属する団体だけでなく、すべてのスポーツ団体(プロ・スポーツ団体や市民スポーツ団体、それに身障者スポーツ団体)が参画し、あらゆるスポーツがスポーツ庁を利用して、発展するよう、組織化されるべきだろう。
パラリンピックなどに出場する障害者スポーツは、現在では厚生労働省の管轄で、障害者の治療やリハビリやメンタルケアの一環と考えられている。が、世界的な常識として障害者スポーツも一般的なスポーツの一種と考え、スポーツ基本法とスポーツ庁(または文化省スポーツ局)の管轄とすべきだろう。
また、高校野球や大学野球はどうとらえればいいのか。全国高等学校野球連盟(高野連)や全日本大学野球連盟は「教育の一環」であり「スポーツ」ではなく「体育」ととらえている。つまり「スポーツ庁」が誕生しても、所轄官庁は現状のまま文部科学省に留まるべき存在と主張するかもしれない。
ならば文科省は、試験期間中の野球大会の開催を禁止(規制)したり、高校や大学の中学生や高校生のスカウト活動を禁じるなど、高校野球や大学野球を教育(体育)の範囲内にとどめるべきだろう。そして、スポーツとしての野球の発展には、地域クラブの育成(プロ野球チームの二軍の増強との地域密着化?)に務めるべきだろう。
また、現在文科省管轄の大相撲はどうだろう。プロ・スポーツの一種として当然スポーツ庁(スポーツ省)の管轄に移行するべきと考えられるが、日本の伝統文化を守り伝えるものとの考えから文科省に留まることを(文科相と相撲協会は)主張するかもしれない。
そのあたりをクリヤーにすれば、大相撲にとっても、スポーツ庁にとっても、さらに、スポーツと体育と身体的伝統文化をごちゃまぜに理解している日本人にとっても、きっとプラスになると思うのだが、解散前の国会で廃案となったスポーツ基本法とスポーツ庁構想でも、そのあたりがきわめて曖昧なままだった。
という以上に、そういう認識はまったく考慮されておらず、JOCも体協も(さらに政党も)、スポーツ、アマチュア・スポーツ、プロ・スポーツ、障害者スポーツ、体育、健康スポーツ、リハビリテーション・スポーツ、レクリエーション・スポーツ、伝統競技……といったものの定義と分類を避けたまま、スポーツ庁の新設という結果(とメダリスト育成予算の獲得?)を急いだようにしか思えない。
いずれにしても日本の新しいスポーツ政策と、二大政党時代の新たなスポーツ界のあり方は……
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ここで突然ですが、この原稿が間もなく(来月)発売される単行本に収録されることになりました。少々あざといやり方であることは百も承知ですが、続きは、そちらの本をお読みいただくよう平にお願い申しあげます。まだ、タイトルも決まっていない単行本ですが、よろしくお願いします。
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