年末年始はスポーツイベントが目白押し。
しかしその多くは高校や大学の対抗戦であり、その「矛盾」を意識している人は、どれくらいいるだろう?
高校野球を例にあげるまでもなく、人気のある学校対抗のスポーツイベントで勝ち進むと、学校は「利益」を得る。全国的に有名になり、少子化社会のなかで入学希望者を多く集めることができるようになる。
そこで学校は特待生という制度を用い、スポーツ能力に秀でた生徒や学生を「スカウト」するようになる。これは明らかに「プロ・スポーツ」の範疇に入る行為である。
学校で行われるスポーツは「教育の一環」という人がいるが、それはスポーツでなく体育のことである。体育はもちろん知育徳育と並ぶ大切な教育の一環だが、それは学生や生徒の体力養成やスポーツの学習研究が主眼のはずで、学校対抗の「体育大会」が全国的な人気を得てメディアで騒がれる必要もなければ必然性も存在しないはずだ。
本来ならばスポーツは欧米のように地域社会のクラブを中心に行われるべきで、そこで秀でた能力を発揮すれば子供のうちからプロになればいいのだが、明治時代に欧米からスポーツが伝播して以来、クラブ組織の発達しなかった我が国では学校がスポーツの担い手になってしまった。
そのためスポーツと体育の区別が判然としなくなり、必然的にプロ化し興行化するスポーツを学校が体育(アマチュア)と言い張って利用するようになった。高野連が頭を悩ます特待生問題も、本来クラブ組織で行うべきスポーツを高校で行っている結果といえる。
将来はその矛盾を解決し、我が国にも多くのスポーツクラブを創設すべきだが、「大学スポーツ」や「高校スポーツ」の人気は高く、メディアもその人気を煽っている。
最近自民党が「スポーツ立国」をめざし09年をめどに「スポーツ省」の設置を目標に掲げた。が、スポーツクラブの創設と連動しない限り、それはスポーツと体育の矛盾を拡大するだけの愚策というほかあるまい。
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