「スポーツ映画」の定義は難しい。
スポーツ選手が主人公になっていても、スポーツの描かれていない映画が多々ある。野球選手の親子の葛藤、サッカー選手とファンの子供の友情、陸上競技選手の恋・・・。映画の基本はドラマであり、スポーツが物語の設定として効果を発揮するだけで、スポーツの面白さ、素晴らしさといったものが、ドラマの背景に押しやられることも少なくない。
『黄金の七人7×7』は、サッカーのヨーロッパ選手権決勝のTV中継にすべての人々が注目している隙をつき、7人の悪党が造幣局に進入し、本物の紙幣を大量に印刷して奪う、というサスペンス・コメディだ。が、その奇想天外な発想の根底にサッカーというスポーツが存在している。
それがスポーツファンには痛快である。
同様に、『夢のアンテナ』は、チベットのラマ教の若い修行僧たちが、なんとかフランスW杯のテレビ中継を見ようとしてパラボラ・アンテナの設置に必死になるなかで、世界中の人々が興奮するW杯サッカーの素晴らしさがひしひしと伝わってくる。
政治と宗教と人種問題に振り回された王者モハメド・アリの半生を描いた『アリ』は、見事なボクシング・シーンの映像によって、スポーツが政治に打ち勝つというメッセージが含まれ、野球映画の名作『フィールド・オブ・ドリームス』も、野球が家族映画の背景に堕すことなく、野球というスポーツこそ、家族と社会を支える文化である、という主張が貫かれている。
そして市川崑監督の大名作『東京オリンピック』は、なぜ人々はスポーツに熱狂するのか? スポーツとはそれほど素晴らしいものなのか? スポーツとはいったい何なのか?という根源的な疑問に対して、一つの解答を与えてくれる。
スポーツがドラマチックなだけに、安易にスポーツを題材にした駄作が多いなかで、これらの作品は(他にもすばらしいスポーツ映画はたくさんあるが)スポーツという素晴らしい人間の営為を見事に描いた映画といえる。 |