テニスの全仏オープン女子ダブルスで、加藤未唯選手が失格になった事件は、テレビでも盛んに報じられたので御存知の方も多いだろう。
試合の中断中、何気なく加藤選手が相手コート方向に打ったボールが、ボールガールの後頭部を直撃。審判は、それを最初「警告」処分にしたのだが、相手のペアが猛抗議。
大会運営者(ディレクター)が登場して事情を聞いた結果、加藤選手は「失格」となったのだった。
ルールでは意図的か否かを問わず、打球の強さにも関係なく、「結果を無視してボールを無闇に打つことは禁止」とされているので、この処分は(加藤選手には不運な出来事だったが)正当な判断だったと言える。
ただし加藤選手は失格後も大会に出場し、混合ダブルスで優勝できた。失格処分を受けた選手は、本来大会に出場し続けることができないのがルールだから、この「温情裁定」はラッキーだったと言えよう。
このように「判定」が二転三転した大会だったが、ここで確認しておくべきは、「アンパイア」と「レフェリー」の違いだ。
日本語ではどちらも「審判」と翻訳されるが、アンパイアとは「判定者」のことで、野球の「ストライク/ボール」「セーフ/アウト」や、テニスの「イン/アウト」などを「判定する人」のことを言う。
それに対してレフェリーとは「リファー(仲裁)」を頼まれて請け負った人物、すなわち「仲裁人」のこと。
サッカーやラグビーなどの球戯(ルビ:ボールゲーム)では、スポーツが生まれた当初、ゴールの成否やタッチライを割ったボールの所有権の判断、反則行為の有無などは、両チームの主将の話し合いで決めていた。
またボクシングやレスリングの勝敗や反則行為なども、選手同士が判断していた(それ以上に、選手が相手選手を立ち上がれなくするくらい痛めつけていた)。
が、それでは決着が付かないケースが続出。そこで、仲裁する(refer)人に加わってもらい、それを引き受けた仲裁人(referee=レフェリー)が生まれたというわけだ。
ここで少々「北國新聞では長さの関係で書き切れなかったことを加えておきますが、英語では、名刺の末尾に -er を付けると、それを能動的に行うヒトのこと。一方 -ee を付けると、それを受動的に受ける人のことを指します。インタヴューinterview を行う人はinterviewer それを受ける人はinterviewee となります。だからレフェリーreferee は仲裁 refer を(選手たちから)頼まれた人ということになります。
今回のテニスで起きた事案では、アンパイア(判定者)の判定(警告)に納得しない選手が出たので、大会ディレクターがレフェリー(仲裁人)となって「仲裁」したというわけだ。
アンパイアは試合中あまり動かずにボールの行方などの判定を下す人のことで、レフェリーはできるだけ選手の間近で選手と共に移動しながら選手の行動と行為を見つめ、さまざまな判断を下す人。あるいは厳格にルールを適用する人のこと。
日本語では同じ「審判」でも、役割に大きな違いがあるうえ、日本では体育教育で審判を先生が務めるケースが多く、先生の判断には従うのが当然で「審判は神聖」という言葉まで生まれた。
さらに体育教育のなかで、ルールは絶対に守るべしとの考えも定着した。が、本来アンパイアやレフェリーは、選手だけではスポーツを円滑にプレイできないから、選手たちが判定や仲裁を頼んで参加してもらった人たちのこと。
だから従うのは当然で、スポーツのルールも基本的には選手たち自身が創ったものだから守るのは当然で、もしもそのルールに不都合を感じたら、別の機会に改めて訂正を訴えれば良いものだ。
日本では、スポーツは輸入文化だけに、アンパイアもレフェリーもルールも、絶対的存在と思いがちだが、本来それらはスポーツをやる人たちが創ったり変えたりできるものなんですね。
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