先日幕を閉じた名古屋場所は、横綱鶴竜が激しい差し手争いを制する見事な取り口で白鵬を破り優勝。そして敢闘賞を獲得した照強、技能賞に輝いた炎鵬と、小兵力士の大活躍に人気が集まった。
が、4大関の休場に加えて、阿炎、竜電、朝乃山、明星など、次代を担う若手力士の負け越し(伸び悩み?)もあり、少々寂しく感じられた15日間だった。
そんななかで40歳の大ベテラン安美錦の引退は、ひとつの時代の終焉を感じさせる出来事だった。
青森県西津軽郡出身の安美錦は、祖父が元出羽海部屋の力士で、父親は師匠の伊勢ヶ浜親方(元旭富士)と従兄弟の関係。兄も安壮富士と名乗った元関取で、安美錦は、そんな相撲一家に育ち、赤ん坊のときはオムツをするより早くまわしを締めたと言われたほどで、生まれながらの「おすもうさん」だった。
最高位は東の関脇で、殊勲賞4回、敢闘賞2回、技能賞6回。関取在位117場所は魁皇と並ぶ歴代1位。それほど長く関取として相撲を取り続けたことも見事だが、それ以上に金星8個(貴乃花、武蔵丸、白鵬、鶴竜各1個、朝青龍4個)という「大物食い」でも名を馳せた。
また、徳利投げ(とっくりなげ=相手の首を徳利の首のように両手で挟んで投げる技)や、素首落とし(そくびおとし=相手の後頭部を真下に叩いて倒す技)など、珍しい技を含めて、多種多様な決まり手を次々と繰り出し、ファンの喝采を浴びた名力士だった。
そんな現役時代の安美錦を詩人の渡邉十絲子さんが絶賛しているのだが、その絶賛ぶりに私は感銘した。
大相撲中継のインタビューで、「明日の一番、相手を攻める作戦は、いつ、どのように決めるのか?」と訊かれた安美錦は、次のような素晴らしい回答を口にしたという。
「作戦は自分では考えません。すべて付け人に考えさせます。自分で考えると、この前あの相手にこうやって勝ったとか、こういう技があの相手には効くんだとか、勝った記憶にどうしてもとらわれてしまう。そうすると考えが硬直するし、『自分が自分が』となってしまって、いい相撲が取れない。だから何も考えず、付け人の考えた作戦をきいて、自分はただそれを実行に移すだけです」
そして渡邉十絲子さんは、安美錦の言葉のあと、こう書いているのだ。
《力士はかつて、尋常ならざるチカラビトとして、この世と神の世とを架橋する存在だった。(略)力士はこの二十一世紀においてさえ、まだ神の時間を生きていたころのなごりをとどめている。よく相撲を知ると評されるものしずかな力士は、自分の技や頭脳をほこる気持ちをいかに捨てるかにこころをくばっている。自分よりも経験がなく技量もはるかにおとる付け人に、力士にとっては命よりも大切かもしれないきょうの勝ち星をあずけるのだ。それは、力士がまだ神の声を聞く回路をうしなってはいない証拠ではないか。(略)自分ひとりのちっぽけな頭がえがく硬直した自分像にこだわるな》と安美錦の相撲は語り続けてきたのだ(『今を生きるための現代詩』講談社現代新書)。
大相撲は、近年大きく変化しつつある。人々は「チカラビト」が神々と交流する瞬間を忘れ、年間最多勝だの通算○勝だのという数字をもてはやし、力士もその数字をTシャツにプリントして自慢する。
「チカラビト」は単なる格闘技(ルビ:スポーツ)のチャンピオンに堕しているようにも思われる。
世代交代が迫っている現在の大相撲。新しい記録を目指すような格闘家ではなく、安美錦のような「おすもさん」こそ現れ出てほしいものだ。 |