1年延期となった東京オリンピック・パラリンピックは、来年7月23日無事に開会式を迎えることができるのか? それは現時点(2020年9月末現在)では、誰にも予想できない。来年の新型コロナの感染状況、重症化の割合は誰にもわからず、安全なワクチンの開発に成功するかどうかもわからないのだから、予想するのは無理というしかない。
IOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長は、東京大会組織委との調整委員会(9月24日)の冒頭で、「東京大会は必ず実行できる。歴史的なものになるだろう」と強調。ワクチンがなくても開催できるとの認識を示した(9月26日付朝日新聞より)。
IOC調整委員会のジョン・コーツ会長も、「コロナ後の世界に合致した新たな大会をめざす。これを東京モデルと名付け、将来の青写真となる」と語った(同前朝日新聞)。が、そのとき組織委から発表されたオリンピック簡素化の52項目は、けっして胸の張れるものではなかった。
訪日する選手以外の大会関係者約5万人を10〜15%削減と言っても、そもそも参加選手数が約1万1千人なのに、それほど多くの「関係者」の随行が必要なのか、との疑問も湧く。開閉会式の簡素化には、多額の放送権料料を支払っている米国のテレビ局NBCが反対。時間の短縮やパラリンピックの開閉会式との「合併」などには違約金が派生する可能性があり不可能だったという。聖火リレーについても同じ。大胆な簡素化はスポンサーとの契約違反になる怖れがあるというのだ。
組織委の森喜朗会長も「多くのことが既に決められていて、それに従わざるを得なかった」と記者会見で答えたように、今回の「簡素化」は、競技数、種目数、選手数といったオリンピック「本体」には手を付けられず、「オリンピックの根本的問題」を俎上にあげることもできなかった。
では、「オリンピックの根本的問題」とは何か? それは「商業化」と「肥大化」である。
新型コロナによる延期が問題になり始めた頃、どうせ延期するなら東京が酷暑の夏から涼しくなる秋に移すべきだとの意見も出た。が、結局1年後のやはり酷暑の真夏に落ち着いたのも、秋はテニスの全米オープンをはじめ、MLB(メジャー野球)のワールドシリーズ、NBA(プロバスケ)、NFL(プロアメフト)、NHL(プロアイスホッケー)の開幕などアメリカの人気スポーツのビッグイベントと重なり、巨額の放送権料を支払っているNBCが認めないからだ。
NBCは2014年のソチ冬季五輪から来年の東京五輪などの夏季大会をふくむ10大会のアメリカ国内向け放送権を、120億3千万ドル(約1兆2千6百億円/1$=106円当時)で取得。24〜32年の間の夏と冬合計6大会も76億5千万ドル(約7千8百億円/1$=102円当時))で既に取得している。全世界のテレビ放送局の放送権料はIOCの年間予算の約7割を占め、NBC1社IOC年間予算の約4割を占めるという。
このカネによる支配構造が変わらない限り32年以降の開催都市として立候補を予定しているムンバイ(インド)、ジャカルタ(インドネシア)、ドーハ(カタール)等での真夏の五輪開催は不可能と言えるだろう。いや昨今の地球温暖化を考えれば、24年パリ大会(昨年7月25日に観測史上最高42・6度を記録)も、28年のロサンゼルス大会(84年の大会でも熱中症で倒れた選手を出した)も、コロナとは無関係に危険な大会となる可能性もある。
IOCは巨額の「資金」を集めることで、アフリカやアジアのスポーツ発展途上国への援助や、次世代の若者への援助や教育(2010年に始めたユース・オリンピック大会=14〜18歳を対象とした夏季と冬季の4年に1度の大会の開催)も可能になったと胸を張る。
が、そのIOCの主張は世界のスポーツ文化の発展にとって「正しい」と言えるだろうか?
オリンピック商業化の出発点は1984年のロサンゼルス五輪ーーだと思っている人が多く、メディアもそのような報道をする。が、その認識は正しくない。 確かに「商業化」は84年ロサンゼルス五輪の組織委会長を務めたピーター・ユベロス(当時43歳)の見事な手腕による成果だった。が、「肥大化」はその商業化の手法をすべて奪い取ったIOC(とその協力者である広告代理店)の仕業と言えるからだ。
ロス大会以前、76年モントリオール大会は南アフリカの人種差別政策に反対して22ヶ国のアフリカ諸国がボイコットするという政治的問題が発生。石油ショックも重なって約10億ドル(約2900億円/1$=293円=当時)の大赤字(今日の貨幣価値で約2兆円)を計上。続くモスクワ大会も1億1千8百万ルーヴル(約365億円)の赤字のうえに、冷戦下のソビエト連邦のアフガン侵攻に反対する西側諸国がボイコット。
政治的にも経済的にも窮地に陥ったオリンピックの開催に手を挙げた都市は、IOCに立候補を懇願されたロサンゼルスだけ。おまけにロスの市議会から税金を1セントも使わないことを約束させられての開催となった。
そんななかでユベロス組織委会長は、大会会場にスポンサーの広告を並べて広告料を取り、放送権料をモスクワ大会の3倍に値上げ。聖火リレーも1q3千ドルで売り出し、合計約2億1千5百万ドル(約542億円/1$=252円当時)の黒字を計上。その黒字額はUSOC(アメリカ五輪委員会)やアメリカ国内の各種スポーツ団体、慈善団体などに寄付されたのだった。
これは、それまで広告を積極的に活用できなかった「アマチュアリズムの大会」を、「商業主義オリンピック」に大転換させた大事件と言えた。が、その実態はモントリオール大会の支出(14億2千万ドル)やモスクワ大会の支出(13億1千万ドル)に較べて、ロス大会は支出(5億3千万ドル)大幅に抑えた結果だった。
メイン・スタジアムは32年のロス大会時のものを改修して再使用。選手村や水泳競技もUCLAの学生寮や大学プールを使用するなど、徹底した節約を実行したのだ。
それ以降の大会は、ユベロスによる「民営化オリンピック」の収入面の手法を、IOC(と代理店)が自らの手で実施。政治問題と経済問題で消えかかっていたオリンピックの炎だったが、IOCは人気のあるスポーツ(スポンサーやテレビ局が喜ぶスポーツ)を次々と正式競技に加え、収入を増やし、「肥大化」の道を突き進んだのだった。
が、その実態は、韓国(ソウル)、中国(北京)、ブラジル(リオデジャネイロ)など新興国家の支援する大会や、アトランタ、シドニー、バルセロナ、ロンドンなど、都市改造をめざす資金力のある大都市による大会に限られた。つまり莫大な放映権料やスポンサー料を手に入れたIOC(と代理店)は金銭的に潤ったが、五輪開催都市は「肥大化」による経費の増大で苦しむことになり、ギリシア(アテネ)の国家財政の破綻へのオリンピックの影響も取り沙汰されるなか、ついに20年東京大会のあとの開催都市に立候補する都市がパリとロサンゼルスしかなくなり、慌てたIOCは24年と28年の2大会をこの両都市に決定。オリンピックの延命を計ったのだった。
そこへ今回のコロナ禍で東京都はその対策に約1兆円を注ぎ込み、いわゆる都財政の「貯金」は底をつき始めた。オリンピックの開催予算は当初1兆3千5百億円(組織委6030億円、東京都5973億円、国1500億円)だったが、そこへ開催の1年延期で、3〜5千億円と言われる追加費用を。組織委、東京都、国、IOCがどのように負担するのか、まだ決まっていない(その後追加費用は2940億円で、国が710億円、東京都が1200億円、組織委が1030億円と発表された。が、これには新型コロナの感染予防対策費は含まれていない)。
東京都がアテネやモントリオールの二の舞になることは避けてほしいと思うが、では東京は何故五輪大会の招致に手を挙げたのか? それを今一度確認しておく必要がある。
東京五輪は3・11東日本大震災からの「復興五輪」という人がいるだろうが、東京のオリンピック招致は、3・11よりもはるかに前のことだった。
世紀が変わった頃、1964年東京五輪以来半世紀、今一度日本でオリンピックを! というシンプルな声が出始めたとき、その声に呼応して手を挙げたのは、福岡と札幌で、その2都市に五輪招致運動に勝ち目があるとは思えなかった。
商業化と肥大化で拡大路線を歩み始めたオリンピックは、財政的にも豊かな首都クラスの巨大都市でなければ事実上開催は不可能。このままでは88年大会の招致でソウルに敗れた名古屋、08年大会で北京に敗れた大阪に次ぐ連続敗退になりかねないと危惧したJOC関係者は秘書を通じて石原慎太郎東京都知事に働きかけ、「東京から日本を変える!」をスローガンにしていた石原都知事が、五輪東京招致を決意したのが05年のことだった。
そんな動きの一方で、スポーツ議員連盟の面々は64年の東京五輪開催をきっかけに制定されたスポーツ振興法(61年)の改定に取り組んでいた。半世紀前に作られたスポーツに関する法律は、アマチュアスポーツと体育の記述しかなく、プロスポーツや障碍者スポーツ(パラリンピック・スポーツ)についての記述も皆無。時代遅れも甚だしい法律で動いていた日本のスポーツ界はスポーツ行政においても遅れが目立ち、体育とアマスポーツは文科省、障碍者スポーツは厚労省、プロスポーツは経産省、スポーツ施設の建設等は国交省と、縦割り行政が定着していた。
日本のスポーツ産業の規模は年間約5兆円と言われていたが、それも企業や家庭内の消費額から計算した概算で、スポーツ・ウェアは繊維産業、スポーツ・イベントの入場券は娯楽産業、スタジアムでの食事は飲食業等々、スポーツ産業としての統計データすら存在しなかった。
それに対してスポーツ産業王国のアメリカは約45兆円、プロサッカーの巨大市場を誇るEUは約30兆円。人口比で考えれば、日本のスポーツ産業はも15兆円程度にまで伸ばすことが可能と考えられた。が、そのためには、スポーツ振興法を現在のスポーツ事情に即したスポーツ基本法に改め、スポーツ政策・スポーツ行政を統括するスポーツ庁の新設が期待された。が、折しも行財政改革推進の時代にあって、省庁の新設は困難だった。
しかし、オリンピック・パラリンピックを日本に招致できれば、すべてのことが一気に実現に向かって走り出すかもしれない……と、東京都(石原都知事)、JOC、スポーツ議員連盟の思惑が一致。東京オリンピック・パラリンピックの招致運動が開始されたのだった。が、東京都民の五輪招致への意識が低かったことや、スポーツ基本法等の整備の遅れなどから、16年の五輪招致ではリオデジャネイロに敗退。
再度五輪招致に挑戦するべく、石原都知事が四選目への立候補を表明したのが奇しくも11年3月11日。東日本大震災の日となり、4月10日に四選を果たした石原氏の周辺には、五輪招致見直し論も湧き起こったが、「復興五輪」を新たな目的に加えたうえで、再度五輪招致を表明し、石原都知事は国政への復帰を目指して都知事を引退(後継者には副都知事を務めていた猪瀬直樹氏が当選)。
同年6月スポーツ振興法を改定したスポーツ基本法が公布され、8月より施行。プロスポーツ、障碍者スポーツの発展やスポーツ産業の育成が唱えられるなか、13年9月7日ブエノスアイレスでのIOC総会で、東京は2020年夏季オリンピック・パラリンピック大会の開催都市に選ばれたのだった。
その後、エンブレムの盗作疑惑問題に始まり、マラソンと競歩の札幌への移転等、諸問題が噴出したが、当初のオリンピック招致の目的は、ほぼクリヤーされた。
スポーツ基本法の施行に続いてスポーツ庁は15年10月1日に創設。18年には日本体育協会も日本スポーツ協会と名を変え、20年からは体育の日もスポーツの日に変更。国民体育大会も23年の佐賀大会から国民スポーツ大会と名称を変え、「教育的体育」が中心だった日本のスポーツ界は「自発的に仲間と楽しむスポーツ」へと中身も変化しようとしている。それによって、体罰、パワハラ、セクハラ等の「体育会系運動部」にありがちだった「軍隊的傾向」(国際NPO法人・ヒューマン・ライツ・ウォッチの指摘)をなくす努力も始まっている。
そして体育教育中心でビジネス化(産業化)が進まなかった点にもメスが入り、16年4月に政府が『日本再興戦略2016―第4次産業革命に向けて』を発表。スポーツ産業は成長産業と捉えられ、《約5・5兆円だったスポーツ市場の規模を20年までに10兆円、25年までに15兆円に拡大することを目指す》国家目標も示された。現在の日本スポーツ産業は「約8・3兆円の規模」まで伸びているらしい。
目標額を下回っているのはコロナのせいもあるだろうが、オリンピックを「無事開催」できるかどうかはともかく、「招致」することによる日本スポーツ界の当初の目的は、ほぼ達成するできたと言っていいだろう。
一方オリンピック(IOC)の側には、新型コロナ以上の大問題が発生している。
9月9日ロイター通信は、世界中の160以上の人権団体がIOC(国際オリンピック委員会)に対して、「中国政府による人権侵害」を理由に「北京冬季五輪の開催中止」を書簡で申し入れたことを伝えた。
世界各国に散らばっているウイグル族、チベット族、モンゴル族の人権擁護団体や、香港の市民団体などが、新疆ウイグル自治区やチベット自治区での中国政府による住民への弾圧、内モンゴル自治区の小中学校でのモンゴル語から中国語への強制変更、香港での国家安全維持法の施行等々に対して抗議の意思を表明し、北京冬季五輪開催反対を主張。
それに対して中国政府は「スポーツの政治利用はオリンピック憲章に違反する行為」との声明を発表。IOCは「政治問題に関しては中立を保つ」とのみ返答した。
人権団体と中国政府のどちらが「スポーツを政治に利用している」のか?
この問題を「五輪の問題」として考えるには、今年の全米テニス選手権女子シングルで2度目の優勝を果たした大坂なおみ選手の発したメッセージが参考になるだろう。
警察官などに不当に殺された7人の黒人の名前を記した黒いマスクを順々に着用してコートに登場した大坂選手は、優勝後のインタヴューで「どういうメッセージを伝えたかったのか?」と訊かれると、「それよりあなたが、どう受け止めたのかに興味があります」と答えた。この見事な返答で、彼女は「アスリートである前に一人の黒人としてやるべきことをやる」との意思を示したのだった。
大坂選手の平和的な無言のメッセージは多くの人々の心を掴み、共感を呼び、世界の多くのメディアも賞賛した。が、同じ行為をオリンピックの場で行うことは不可能だというのだ。
1968年メキシコ五輪で、陸上男子200mに優勝したトミー・スミス選手と3位になったジョン・カーロス選手はアメリカ国内での黒人差別に抗議し、表彰台の上でアメリカ国旗に顔を伏せ、黒い手袋をはめた拳を突き上げる抗議行動を行った。それに対してブランデージIOC会長(当時)は、この行為を「アメリカ国内の政治的問題」と捉え、「非政治的で国際的な場であるべきオリンピックに反する行為」として、二人の選手をオリンピックの場(選手村)から追放した。
そして現在のオリンピック憲章第50条3項には、オリンピックでの《いかなる種類の示威行動または、政治的、宗教的、人種的な宣伝活動も認められない》と規定されているのだ。
今年6月、75歳になったカーロス選手はアメリカ五輪・パラリンピック委と連名で、IOCにメキシコ五輪での処分の撤回を求め、選手の自由な表現や発言を禁止しているオリンピック憲章の改正を求める要望書を送付した。が、IOCは昨今のアメリカでの「黒人差別反対運動」を受けた見解を発表。「Black LivesMatterブラック・ライヴズ・マター(黒人の命にも価値がある)」という標語の使用や、黒人差別への象徴的抗議行動である「膝つき行為」も「五輪憲章50条違反に当たる(五輪からの追放の対象となる)」と発表したのだ。
するとカナダの反ドーピング機関でスポーツの教育活動も行っているカナディアン・センター・フォー・エシックス・イン・スポーツ(CCES)という組織が政治的・宗教的・人種的活動を禁じている五輪憲章は、世界人権宣言で国連が認めた基本的人権に反するとして改正を要求。「ブラック・ライヴズ・マター」も使え、「膝つき行為」も行えるよう求めた。
オリンピック憲章には《50条》が存在する一方、前文に続く《オリンピズムの基本原則第7条》に《人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別はいかなる形であれオリンピック・ムーブメントに属する事とは相容れない》とある。
そして「戦争が政治の延長」なら「平和(反戦)運動」も政治であり、「差別反対」も「差別する政治」に対して「差別に反対する政治行動」と言うことができ、スポーツ(オリンピック)も「政治」と無縁ではいられないはずだ。
大坂なおみ選手は、全米女子テニス協会に「反黒人差別」への支持を取り付け、黒いマスクの着用に及んだ。スポーツ選手は黙ってスポーツをやれ、という時代は終わった現在、IOCはどういう判断をするのか?
また、新型コロナ・ウイルスにより、オリンピックが1年年期となった今日こそ、こういうオリンピックの「根本問題」こそ大いに話し合われるべきだろう。が、オリンピックの問題を考えるとき、常に困難がつきまとうのは、オリンピックには戻るべき「原点」、帰るべき「基本原理」が存在しないことである。
近代オリンピックの創設者であるクーベルタン男爵は、素晴らしい言葉も数多く残してはいるが、彼の言葉通りに(彼の「原点」に戻って)オリンピックを運営すれば、「女性の役割は勝利者(の男性)に栄冠を与える仕事」になってしまい、過去の最も素晴らしい大会は1936年にヒトラーのナチス・ドイツによる第11回ベルリン大会となってしまうのだ。
クーベルタンは、自らが唱えたオリンピズム(オリンピックの原理原則)が常に誤解され続けてきたと嘆き、「もしも輪廻というものが存在し、100年後にこの世に戻ってきたならば、私は現世において苦労して築いたもの(オリンピック)を破壊することになるでしょう」という発言もしている。
ならば、「輪廻」でクーベルタンが現れることなく、新型コロナが現れた今、オリンピックはどうあるべきか? を考えるのは、商業主義と肥大化で身動きのとれないIOCや組織委でもなければ、「政治的威信」をかけて大会を開こうとしている国家でもなく(東京は新型コロナに打ち勝った証(あかし)として、北京より先に五輪を開催しなければならない、と言った政治家もいる!)、我々自身ーースポーツを愛し、世界の平和を願うのはず我々自身のはずだ。
【参考文献】 ◎カール・ディーム編大島鎌吉・訳『ピエール・ド・クーベルタン オリンピックの回想』◎アベリー・ブランデージ著宮川毅・訳『近代オリンピックの遺産』以上ベースボール・マガジン社◎日本体育学会第66回大会専門領域体育史シンポジウム『歴史から考えるオリンピック』コーディネーター坂上康博/体育史研究第33号2016年3月◎森高信『スポーツビジネス15兆円時代の到来』平凡社新書◎小川勝『オリンピックと商業主義』集英社新書
|