今年の秋、いよいよスポーツ庁が正式に創設されることになった。文科省スポーツ青少年局を中心に各省庁のスポーツ関連部門が集められ、(最初は)100人規模の新しい「庁」が生まれることになる。
これを2020年東京オリンピック・パラリンピックのため……と思ってる人も多いようで、そのような報じ方をしたメディアもある。が、それは本末転倒。間違った考えだ。
スポーツは現代社会で大きな役割を担うようになった。多くの人々がスポーツを見たりやったりして楽しむだけでなく、Jリーグのチームにボランティアとして参加するなど、スポーツは国民生活に深く根付いてきた。
またプロスポーツや国際大会で動くスポーツマネーは地域経済や国際経済に多大な影響を与え、一流選手の世界的な活躍は、国際政治、外交、国際交流などでも無視できない存在になってきた。
にもかかわらず我が国では1964年の東京オリンピック開催に向け、その3年前に作られたスポーツ振興法が半世紀も残され、プロスポーツも身障者スポーツも無視され、スポーツと体育の区別も判然としない状態が長く続いた。
国交省はスタジアムや体育館を建設し、厚労省は健康増進のラジオ体操などを奨励し、リハビリとしての身障者スポーツを管轄し、経産省はプロスポーツの運営やイベントに経済効果を期待し、文科省は学校体育を指導し、五輪出場選手を支援する……など、半世紀に渡って関係省庁がスポーツ政策をバラバラに推進してきた。
そこで、このような時代遅れの混乱状態を正すため、スポーツ政策を一元化して実施するスポーツ庁の新設を望む声が超党派のスポーツ議員連盟を中心に、今世紀に入る頃湧きあがってきた。
しかし行政改革が強く叫ばれるなか、政府機関の新設は困難で、しかしこのままでは世界のスポーツ状況から遅れをとると考えたスポーツ議連の議員たちは、オリンピックの招致に成功すればスポーツ庁の設置も大きく前進するはずと考えた。
そして4年前の2011年、まずスポーツ振興法を半世紀ぶりに改正。スポーツ政策を行ううえでの憲法と言えるスポーツ基本法を議員立法で制定し、国が長期的に行うべきスポーツ基本政策を策定。13年にはオリンピック・パラリンピックの東京招致にも成功した。そしてついに、スポーツ政策のすべてを取り仕切るスポーツ庁の創設に至った、というわけである。
だから2020年東京オリパラ大会を成功させるだけでなく、スポーツによる豊かな社会作りの「スポーツ立国」という、さらに大きな目標がスポーツ庁にはあるのだ。
オリンピック等の国際大会で日本人選手が大活躍すれば日本全体が活気づく。これは事実だ。また、そのような選手を見て目指そうとする子供たちに夢と目標を与えることにもなる。
だから一流選手の強化はスポーツ庁の大切な仕事と言える。ただし、とにかく強い選手を育てればいいのでない。語学力も備え、スポーツビジネス、クラブ運営、コーチング……等々の知識も身に付け、引退後もスポーツで生計を立てることのできる人材を育成する必要がある。
そのような人材が引退後に指導者や運営者として働く場所が、スポーツ基本政策にも盛り込まれている「総合型地域スポーツクラブ」だ。新しく施設を造らず、小中学校の体育館やグラウンドを地域住民のスポーツの場として解放したり、一種類のスポーツしかできない学校の部活とは異なるスポーツ環境を小中学生に与えたり、異なる学校の生徒がクラブで新たなチームを作ったり……。
1964年の東京オリンピックをきっかけに、企業スポーツ、大学体育会、中高生の部活が盛んになった。が、半世紀後のスポーツ庁で、日本のスポーツは「企業・学校・体育・部活」から「地域社会・スポーツ・クラブ」へと、大変化しようとしているのだ。
まだまだ問題点や障害は多いだろうが、この大転換に成功すれば、スポーツ庁と地域社会の総合型スポーツクラブは、2020年東京オリンピック・パラリンピックの最も素晴らしいレガシー(遺産)となるだろうし、そうならなければならないはずだ。
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(註)文中の「総合型地域スポーツクラブ」の発展にとって、最も大きな障害となっているのが高校野球であることには、言を俟たないですね |