本書は、昨年(2015年)5月に上梓した新潮文庫『彼らの奇蹟 傑作スポーツアンソロジー』の言わば姉妹編。第2弾である。
『彼らの奇蹟』を編んだときは、ベースボール(野球)に関する作品を除外した。なにしろ野球は、文明開化の明治時代初期(9〜11年)に欧米からスポーツ全般が伝播したあと、すぐに日本人の心を鷲掴みにし、テニス、サッカー、陸上競技などのあらゆるスポーツを押しのけて、あっという間に日本人の人気ナンバーワンとなった球戯である。
それが伝わって約10年後の明治20年前後には、早くも北海道の旭川から九州の長崎、そして沖縄に至るまで、日本全国津々浦々に様々な野球チームが誕生し、多くの人々が白球を追いかけることに熱中していたというから、日本人の野球好きは、ある意味でベースボール発祥の地であるアメリカ以上とも言えそうだ。
それだけに野球に関する素晴らしい読み物も数多く残され、スポーツアンソロジーのなかの一部として数編だけを選んだのでは中途半端になるのは火を見るよりも明らかで、いずれ野球だけでアンソロジーを編むことにして、スポーツアンソロジーからは野球に関する読み物を選ばないことにしたのだ。そうして1年半遅れで上梓したのが本書というわけである。
しかし、欧米からあらゆるスポーツが一気に流れ込んだ明治の初期に、なぜベースボール(野球)だけが頭抜けて日本人の心を奪ったのだろうか?
その理由については様々に考察され、投手と打者の対決が相撲の仕切に似ているため……とか、野球に生じる多くの記録や数字が計数好きの日本人の性格に合致した……などなど、昔からいろいろな「説」が語られた。が、私は、日本では市民戦争が世界史的に見てかなり早い時期に収束したからではないか、と思っている。
市民戦争――軍人以外の一般市民や農民が武器を取り、国内の同じ民族(国民)同士が闘った戦争――は、19世紀のアメリカでの南北戦争(1871〜65年)やスペイン内戦(1936〜39年)、さらにアフリカ諸国や中南米諸国の民族紛争に見られるとおり、世界史的には19世紀から20世紀にかけてさかんに闘われた戦争である。が、日本ではその闘いが、戦国時代(15〜16世紀)の関ヶ原の戦い(1600年)で終結。以後徳川幕府の支配する平和な時代(パックス・トクハワーナ)が270年にも及び、明治維新と文明開化を迎えた。
それは1543年頃に鉄砲が種子島に伝来して以来、わずか半世紀ほどで市民戦争が幕を閉じたことを意味し、多くの日本人が鉄砲を用いた闘いを知らないまま文明開化の時代を迎えたことになる。
鉄砲が伝来する以前の闘いは、弓矢を用いることはあっても基本的に刀と槍による闘いで、それは個人個人の闘い(個人戦)が中心だった。が、鉄砲が普及すると闘いは集団戦が主流となり、チームプレイが発達する。右翼に陣取った鉄砲隊の一斉射撃のあと、左翼の雑兵が突入する……とか、右翼と左翼の鉄砲隊で交互に援護射撃を繰り返したあと中央の舞台が前進する……といった具合の集団戦(チームプレイ)が中心となる。
しかし日本では、そのような鉄砲によるチームプレイの意識が多くの日本人に浸透しないうちに市民戦争が幕を閉じた。
そのため、源平時代の「やあやあ我こそは○○○○。遠からん者は音に聞け。近くば寄って目にも見よ」と大音声を張りあげて闘う一騎打ちの意識が抜けきらないまま、戦国時代の川中島の闘いにおける武田信玄と上杉謙信の一騎打ちや、江戸時代の宮本武蔵と佐々木小次郎の闘い(個人戦)などが、美談として長く語り継がれ、そんなところへ、文明開化で多くのスポーツ競技が一気に伝えられたのだった。
そこで多くの日本人には、サッカーやラグビーのように、役割の異なるプレイヤーが別々の動きをするなかで一つのチームとして機能するようなチームプレイのスポーツよりも、チームのなかから一人一人の代表者(投手と打者)が「やあやあ我こそは」と登場して闘い、個人の選手のあげた成果が集団(チーム)のものとなる、まるで武士の「御恩と奉公」のような主従関係で成り立つ個人プレイの集積が集団の闘いとなるスポーツのほうが、理解しやすかったに違いない。
日本人はよく集団で行動する民族と言われる。たしかにスポーツにおける合宿などでも時間割に添った集団行動が多く、スポーツの応援でも応援団がリードする統一された応援となる。
が、集団行動(団体行動)とチームプレイは違う。集団行動は誰もが同じ行動をするが、チームプレイは先に書いたように一人一人が異なる行動をして一つの集団として機能しなければならない。ということは、野球が好きな日本人は個人プレイと団体行動には秀でているものの、チームプレイが少々苦手な民族と言えるかもしれない。
とはいえ、1993年のJリーグの誕生とサッカー人気の上昇によって、日本人のあいだにチームプレイも浸透してきたように思える。が、サッカーの日本代表チームが、まだ世界ランキングで30〜40位代をうろついている一方、フリースタイル・フットボール(一人でリフティングの妙技を競うスポーツ)では世界チャンピオンを輩出するなど、サッカーの世界でも、チームプレイよりも個人プレイに秀でた日本人の伝統(蹴鞠の伝統?)が表れていると言えるかもしれない。
それはさておき、明治初期のスポーツ伝来以来、長らく日本で人気ナンバーワンの座を占めていた日本野球の未来はどうなるのだろうか? 将来的に日本野球はどのような発展の道を歩むのか? それとも(想像したくはないが)人気はジリジリと凋落の方向に進むのか? 小学生の頃に毎日近くのお寺の境内で、草野球ばかりやっていた大の野球好き人間としては、少々心許ない気持ちに襲われている。
というのは、日本の野球界が変わらなさすぎるように思えるからだ。私に物心が付き始め、テレビでプロ野球を見て野球ファンになった頃から、日本のプロ野球はセントラル・リーグ6球団、パシフィック・リーグ6球団で、それは第2次大戦後にセ・パ両リーグに分裂して以来、ほぼ変わらないカタチである(正確には若干の球団数の増減を経て、1958年に定まった制度だった)。
そのカタチは現在(2016年)まで半世紀以上変わっていない。その間、ナショナル・リーグ、アメリカン・リーグとも各8球団、合計16球団だったアメリカのメジャーリーグは、各リーグが、東・中・西の3地区に分かれ、合計30球団と倍増に近い増え方をした。
「変わらず生きてゆくためには、自分が変わらねばならない」というのは、日本の某政治家が口にしたため少々有名になったヴィスコンティの傑作映画『山猫』のなかの言葉だが、日本のプロ野球が将来も「変わらず」高い人気を誇ってゆくためには、やはり「変わらねば」と思うのだが、どうも日本の野球界は変化しないまま、変化し、発展することを嫌ってるようにも見える。
プロ野球だけではない。人気の高い高校野球も、甲子園での全国大会への参加校数こそ以前よりも増えたものの、アメリカの高校野球で球児たちの健康のために制度化されている投手の投球数制限の規則(アメリカでは州によって異なるが、高校生投手の連投禁止や1試合50球以内、1週間70球以内といったルールが定められている)や、女性マネージャー、女子野球との関係など、時代の変化に即した諸改革は遅々として進まない、と言えるのではないだろうか。
2020年の東京オリンピックでは、野球・ソフトボールが正式競技として採用されることになったが、それは一時的なお祭り騒ぎでなく、日本野球の発展につながるのか? さらに、アメリカ・メジャーリーグと日本の野球の関係は、どうなるのか? 日本野球はメジャーへの人材派遣リーグとしての存在に留まるのか? 私は、日本の野球が世界の野球界を牽引するほどの素晴らしい存在に「変わって」ほしいと願っているのだが……。
そんな思いを抱いている私に、野球のアンソロジー文庫の編集を任されたとき、さて、どのような編集方針にするべきか……といろいろ頭を捻った結果、辿り着いた結論は、きわめて簡単なものだった。
温故知新。古きを温めて新しきを知る。その「温古」こそ、すなわち日本野球の古きを温めることこそ大事なことに違いない、と思い至ったのだ。
私は、いくつかの大学でスポーツ論やスポーツ・ジャーナリズム論の講義を行っている。が、あるとき、ある大学で、長嶋茂雄の話をしたところが、教室にいた40人ほどの学生の誰一人として長嶋茂雄のことをまったく知らなかった。
私の授業を選択するくらいだからスポーツは大好きで、プロ野球が好きだという学生が7割、球場へ足を運んだ学生も半分くらいいるなかで、しかし長嶋茂雄がどういうプロ野球選手で、どんな活躍をしたプレイヤーかということを、彼らの誰一人として知らなかったのだ。それは、私のような半世紀前からの野球ファンにとっては、まったく信じられない事態だった。
戦後日本のプロ野球界のスーパースターの存在を知らないとは……。彼らは西鉄ライオンズのことも知らなかった。私が教える大学のクラス内での出来事が、どれほど一般化できるかは知らないが、私が教壇に立つ他の大学で同じ話題を持ち出しても、結果は変わらなかった。
現在プロ野球12球団の各球場では、毎試合多くの若者たちが押し寄せ、トランペットが鳴り響き、メガホンが打ち振られている。1試合平均1万人から4万5千人もの観客が野球を見るために集まり(2015年の観客動員数は12球団合計約2423万人)、その数は、長嶋茂雄が大活躍していたV9巨人の時代(1965〜73年)の観客動員数(約1千1百万人)の2倍以上に達している。
主力選手のアメリカ・メジャーリーグへの流出を嘆く声が出たり、地上波全国ネットによるテレビ中継の減少や視聴率の低下など、プロ野球人気低下を指摘する声も出るなか、野球場に集まるプロ野球ファンは、「昔」よりも圧倒的に増えているのだ。
しかし、球場でメガホンを打ち振る彼らの多くが、長嶋茂雄の活躍も、西鉄ライオンズの輝きも、さらに日本野球の過去の栄光の歴史を、まったく知らないとすれば……。そんなことでは、日本野球を「文化」と呼ぶことはできないのではないだろうか。
そんなふうに思った私は、だからこのアンソロジーによって「古きを温め」、読者の皆さんに、素晴らしい日本野球の歴史を辿っていただくことにしたのだ。
では、そのような考えから選んだ作品を紹介することにしよう。
(以下、次回更新までお待ちください。あるいは新潮文庫お買い求めください) |