ロシアのドーピング行為を、世界反ドーピング機関(WADA)が認定した意味は、スポーツに対する国家の犯罪を認めたということだった。だから、この五輪史上最悪にして最大の国家的犯罪と言える行為に、国際オリンピック委員会(IOC)はもっと毅然とした態度を取るべきだった。
IOCが、各国際競技連盟(IF)に判断を委ねたのは、あきらかにIOCが反ドーピングというスポーツの理念に基づく判断を避けた、逃げたと言うべきで、残念だ。各IFも迷惑で、大混乱に陥りかねない。
個人でも組織でも、ドーピング違反は排除される。今回はロシアのスポーツ省が主導した隠蔽事件なのだから、国家が排斥されても仕方ないはずだ。
組織の非を個人に負わせるわけにいかないとの理屈だが、非の組織を除外した上で個人の検査をIOC主導で行う救済措置は取れなかったものか。
IOCにはロシア側からさまざまな重圧がかかったようだ。プーチン大統領はWADAのロシア排除勧告に対して「スポーツの政治利用」と批判していたが、IOCがスポーツ、五輪の根幹部分で譲歩したのだから、スポーツが政治に負けた、と言える。
ドーピングは、東ドイツやソ連といった旧社会主義国家が最先端だったと言われる。背景にあったのが国の威信やプロパガンダだ。国家の威信がかかるから、ソチ冬季五輪を控えてプーチン大統領の権威を保つために必要とされたのだろう。
2020年東京五輪へ向け、日本国内でも国威発揚的な考え(国ぐるみでメダル獲得をめざすことなど)が、散見される。しかし、わが国はドーピングから最も遠い国であり、日本選手は薬物を使わない、クリーンだと世界へアピールすべきだ。
今、スポーツの新たな哲学の構築が必要と感じている。より速く、より強い選手が素晴らしいという価値観を変えるべきだ。ドイツの哲学者で、1960年ローマ五輪ボートの金メダリストであるハンス・レンクは、五輪のモットーである「より速く、より高く、より強く」に「より美しく、より人間らしく」を加えよ、と主張する。ドーピングは「より人間らしく」に抵触する。IOCには、そこまで考えた最終判断を求めたかった。 |