過日、スポーツ議員連盟の代議士が主宰するスポーツジャーナリズムの勉強会(スポーツ立国推進塾)に出席した。そこではNHKのスポーツ担当の現役幹部や大学駅伝チームの監督らが登壇。取材対象者からどのように本音を引き出すか、取材者にどう対応するか……などなど、スポーツ報道の現場の興味深い話をいろいろ聞くことができた。
最後に質疑応答となったので、手を挙げて質問をした。
「私は読売新聞社がジャイアンツを所有してプロ野球界に君臨していること、箱根駅伝を主催していること、そして朝日新聞社が夏の甲子園、毎日新聞社が春のセンバツを主催し、公共放送たるNHKまでが単なる高校生の部活動である高校野球を国民的行事のように盛りあげ、フィギュアスケートのNHK杯まで主催し、全国放送することが、日本のスポーツの発展を妨げている「癌」だと思っています」
「そのように、スポーツジャーナリズムを担うべきメディアが、スポーツイベントを主催することが、この国のスポーツの発展を妨げていることを、どう思われますか?」
もちろん質問のなかでは、NHKが「高校野球投手の球数制限」についてまともに取りあげないことや、高校球児をスター扱いし続けていることなども付け加えた。
するとNHKの現役幹部氏は、次のような回答を口にした。
「言われたことは、すべてその通りだと思います。が、テレビがスポーツの主催者となると、映像の使用権を獲得でき、放送にとって大きなメリットとなります。だから各局とも主催者としての既得権を手放すことはありえません。私が、たとえNHKの会長になっても、高校野球の実況中継をやめることはできないでしょう。それは紅白歌合戦をやめることと同じくらい困難で不可能なことですね」
NHKの現役幹部氏は、頭脳聡明。現在の日本のメディアがスポーツ・ジャーナリズムとして機能していないことを承知のうえで、悪いこととはわかっていても是正は不可能と断言されたのだ。
スポーツ・ジャーナリズムには《?報道 ?批評・評論 ?啓発・啓蒙》という3つの仕事がある、と私は考えている。
?と?については説明するまでもないだろう。?の「啓発・啓蒙」は、世の中にまだ知れ渡っていないこと(たとえば、過去の時代におけるスポーツなど)を知らしめることだ。
最近では、来年の東京五輪で正式種目になったスポーツ・クライミングやBMX(Bicycle Motocross 自転車競技の一種)、それに本欄でも取りあげた「eスポーツ」などの紹介・解説をすることが、それに当たる。
もちろんそれらの「新種のスポーツ」を、文字や言葉、写真や映像などで紹介するのがスポーツ・ジャーナリズム本来の役割なのだが、日本のメディアは自ら主催者となって「啓発・啓蒙」しようとする傾向が、昔から強かった。
もちろん主催者になることによって新聞の宣伝や売上げ、テレビ局の営業(視聴率アップ)につながる。その結果、自社主催のスポーツ(イベント)に対して、?批評・評論ができなくなり、不都合があっても覆い隠してしまうような結果を招く。
3月23日付東京新聞の一面トップに、極めて興味深い高校野球に関する重要な記事が掲載されていた。それによると、昨年スポーツ庁が高校生の健康面を考慮し、部活動を行う時間の上限を定めた指針を策定したが、同新聞社がセンバツ大会出場校にアンケート調査をしたところが、それを守っている出場校はゼロだったというのだ。
平日2時間というスポーツ庁の練習時間の指針に対して、3時間が16校。4時間が10校、5時間が1校(無回答5校)、週末3時間の指針に対して5時間以上が24校、そのうち8時間以上も練習する野球部が6校もあったのだ。
その背景には「強化が遅れる」といった考え方があるというが、高等学校の教育の一部である部活動が、高校野球では「国の定めた指針」すら無視して「勝利至上主義」(それも私立学校の宣伝や監督の栄養のためと言える行為)の「強化」に走っているのだ。
が、朝日や毎日がそのようなルール違反をジャーナリズムとして批判し、批評することはありえない。
そんななかで、新潟県の高等学校野球連盟が高校野球の投手の球数制限のルール(1試合100球以内)を作ろうとしたところが、日本高等学校野球連盟(高野連)が、ルールは全国共通でなければならないという理由から、新潟県のやり方を「阻止」。
代って「投手の障害予防に関する有識者会議」を発足させ、1年かけて球数制限について議論することになった。
正直言ってこれには笑ってしまった。確かに、これまで議論しようとすらしなかった球数制限を議論の場に取りあげたことは、ある意味進歩と言えるだろう。が、それは1年もかかる課題ではないはずだ。
高校生の健康が大事か、高校野球というイベントが重要か。ただそれだけの選択の問題で、イベントが健康に優先するはずがない。
球数制限を設ければ好投手を多数抱える野球名門校が有利になる、などという声もある。が、そもそも野球名門校という存在が、高校教育で許されるのか? かつて娯楽の少なかった時代に、高校生を主役にして熱狂した野球大会を今日も昔と同様に継続していいものか? ヤジの汚さ、指導者の無免許放置……等々、高校野球がはたして「高校教育」の一環と言えるかどうかを考えると、問題は山ほどある。
そこまで踏み込んで議論するなら、たっぷり1年間かけて話し合ってほしいものだ。が、球数制限だけなら1週間もあれば結論は出る。高校生の健康を害してもイベントを盛りあげようという意見など許されるはずがない。
ある日、某テレビ局から電話があり、最近丸刈りをやめる高校野球部が増えたことについて意見を求められた。そこで明治時代に朝日新聞が「野球害毒論」を展開し、その野球否定論を覆して高校野球を主催することになったので、戦前の軍国主義教育に迎合し、選手の丸刈りや閲兵式のような開会式を取り入れ、現在まで続いていることを教えた。
しかし小生のコメントは、番組ではいっさい無視された。そして、昨今の高校生はカッコ悪い丸刈りを嫌い、野球の部員数減少を食い止めるために長髪を許可する野球部が増加……という内容にまとめられていた。
メディアがスポーツ・イベントを主催する(スポーツと癒着する)ことは、スポーツの発展を妨げるだけでなく、ジャーナリストの劣化も招いているようだ。 |