年が明けて2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催まで、あと5年となった。
1月12日は、東京五輪まで「2020日前」のイベントも都庁前で行われた。が、残念ながら、世の中の盛りあがりは、イマイチのようだ。
水泳、卓球、バドミントン、柔道など、若い日本の選手は着実に大勢育っているようで、秋にはスポーツ庁も誕生しそうだ。が、新国立競技場ほかの施設は本当にキチンと整えられるのか? 五輪後の利用計画等は確かなのか? いや、それ以前に、いったいどんな五輪大会を、何のために開催するのか? それがサッパリ見えてこない。
そもそも、東京五輪の目的や価値をはっきり言える人は存在するのだろうか? もちろん政治家やスポーツ関係者のなかに、それをキチンと答えられる人は何人かいる。
彼らが口を揃えて言ったのは、東京五輪の招致や開催は、目的ではない、ということだ。
現代社会で、スポーツという人類共通の文化は政治的にも経済的にも社会的にも大きな役割を担うようになった。豊かな社会を築くうえで、スポーツの発展と、人々の生活の中へのスポーツの浸透は、欠かせない要素となった。
が、日本のスポーツ政策は不十分で、まずスポーツ基本法を整え(これはできた)スポーツ文化政策を推し進める省庁(スポーツ庁)を設立し、多くの人々の健康と幸福につながるスポーツ政策を推進しなければならない。
そんな「スポーツ立国」を実現するには、東京五輪の招致開催が大いに有効な契機となりうる……というわけで、東京オリンピック・パラリンピックの招致を目指し、それは見事に成功させた。
が、この「順序」を間違えてはいけない。つまり東京五輪は、「目的」ではなくスポーツ立国実現のためのひとつの「手段」なのだ。
マスメディアは、その点を理解して2020年五輪を語り、けっしてメダル獲得数や経済効果やお祭り騒ぎだけで終わらないよう願いたいものだ。 |