アメリカのバイデン大統領が2月4〜20日に開催される北京冬季オリンピック大会に、選手団は派遣するが政府関係者の派遣は中止と決定。いわゆる「外交的ボイコット」を表明した。
中国政府のウイグル族への人権弾圧などへの抗議であり、イギリス、カナダ、オーストラリアなど数カ国が追随。日本はまだ態度を表明していない(12月23日現在=そののち政府高官の派遣は見送り東京五輪組織委会長と、JOC、JPC会長の派遣に留めると発表した)が、この決定、どこかおかしくないか?
アメリカ政府は「外交的ボイコット」という言葉を使っていない。が、そもそも「政府関係者の派遣」は、五輪大会に必要なことなのだろうか?
中国政府は「スポーツに政治を持ち込むな」とアメリカ政府を批判。しかし、いち早く開会式への参加を表明したロシアのプーチン大統領の態度こそ、中国政府を支持する「政治的言動」とも言えるだろう。
ならば自らを「政治的に中立」と主張してアメリカの「決定を尊重する」とコメントしたIOC(国際オリンピック委員会)の態度は、本当に「政治的に中立」と言えるのだろうか?
オリンピックの主催者であるIOCは、競技大会の開催を希望する都市のなかから適切と認めた都市を(国ではなく都市を!)選ぶ。が、その開会式で行われる開会宣言は、何故か(!)主催者(IOC)でもなければ、開催都市の市長でもなく、組織委の会長でもなく、「開催国の国家元首によって行われる」とオリンピック憲章に書かれているのだ。
開催国の国家元首はIOC会長と組織委員会会長から「スタジアムの入口で出迎えを受け」「貴賓席へ案内される」とまで明記されている。だからIOCと組織委は、最高位の賓客として招待する国家元首に、開会宣言を行う栄誉を与えているつもりなのだろう。
はたして2度の東京五輪の開会宣言をした天皇陛下が日本の「国家元首」なのかどうかは、学問的にも判定がムズカシらしい。が、この憲章の規定の結果、1936年のベルリン大会ではナチスの総統ヒトラーが開会宣言を行い、来年の北京冬季五輪では習近平国家主席(中国共産党書記長)が開会宣言を行うことになった。
これらは、明らかに「政治的中立」とは言えない行為だろう。
アメリカ政府などが、中国政府のウイグル族などに対する人権弾圧に抗議し非難するなら、「外交的ボイコット」の前に、その「弾圧」の当事者(中国政府)に抗議すべきで、当事者のトップ(習近平)が「平和の祭典」であるオリンピックの開会宣言を行うことなど認められないはずだ。
とはいえ、そうなると今度は、中国側から「人権弾圧など存在しない」と反論され、オリンピックは完全に政治対立の場と化してしまう。
では、この問題の根本原因はどこにあるのか?
それはIOCがスポーツによる「世界平和」「差別反対」などと、(できもしない)きれいごとの理念を並べ立てていることだろう。
そんなエエカッコを言わず、世界中の人々とただ思い切りスポーツを楽しめば、そこには「美しい平和な空間」が生まれるはずだが、それでもIOCが「世界平和」「差別反対」などのメッセージを発したいというなら、国家元首に、開会宣言と同時に「平和宣言」「戦争反対宣言」「差別反対宣言」「人権弾圧反対宣言」を言わせるべきだろう。
それを口にできない国家元首の国はオリンピック開催の資格がないことにすれば、オリンピックによる世界平和は、少しは現実味が出るのではないだろうか?
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