一昨年8月、IOC(国際オリンピック員会)はイタリア・オリンピック委員会(CONI)に対して、組織を改善しないと五輪大会への出場は許可しないとの「警告」を発した、という話を五輪アナリストの春日良一さんから伺った。
それは「イタリア政府がイタリア五輪委を改革する権限を持つ」という法律を通したからだった。
イタリア五輪委はサッカーくじのTOTOを自ら発行し、それを財源に組織を運営する高度な自律性を保持してきた。そこで政府はTOTOの利権も含めて五輪委を支配下に置こうとしたのだ。
が、そのようなスポーツに対する政府(政治)の介入を認めないIOCは、「警告」を発し、結局はイタリア政府の代表がIOCに赴いてイタリア五輪委の政府からの独立を保証。一件落着となった。
ならばIOCは、JOC(日本オリンピック委員会)にも「警告」を発してくれないものか?
というのは日本のTOTOは政府(文科省)が管轄。収入の半分を当選金とし、経費を引いた残りの金額が3等分され、国庫と、地方公共団体と、スポーツ界に分けられる。
つまりスポーツ(JリーグやBリーグなど)で得られた収入から、国と地方公共団体が、スポーツ界の2倍ものカネを(言葉は悪いが)掠め取っているのだ。
スポーツで得た収入は、本来すべてスポーツに還元され、日本のスポーツの発展に使われるべきだろう。
が、日本の政府(政治家)や地方自治体(首長や地方議員)には、スポーツが人々に喜びをもたらし社会を豊かにする文化であるという意識が希薄(理解不足)で、スポーツを文化としてを育てようという発想がない。
アメリカ大リーグのスタジアムやヨーロッパ各国のサッカーリーグのスタジアムのほとんどが、すべて税金か税金による多額の援助で建設されていることも、我が国ではあまり知られていない。
スポーツに対する公費の援助は国民体育大会での施設の整備や、自国開催の五輪大会のときのスポーツ団体を通じた選手やコーチへの強化費の増額が目立つ程度なのだ。それには日本のスポーツ界の側にも責任がないとは言えない。
たとえば昨年、東京五輪開幕前に組織委員会会長だった森喜朗元総理が女性に対する蔑視発言で辞任したとき、新会長には女性が良いとか若い人が良い……と、当時の菅総理が様々に発言した。
それに対してJOCの山下泰裕会長は何も反論せず、メディアが政治のスポーツに対する容喙(ようかい)だと批判することもなかった。
日本のスポーツ関係者は自らスポンサーを募るような経済的「自立意識」が希薄で、自分たちで組織を運営する「自律意識」にも欠け、企業スポーツとして企業に丸抱えされることを望み、政治家の介入(助け?)も期待してきた。
だから多くの日本のスポーツが社会的文化的存在なのか、私企業の所有物なのか、あるいは政治的道具なのか、判然としないまま継続してきたのだ。
東京2020五輪組織委に関わる贈収賄事件も、そのような中途半端なスポーツ界が元凶だったように思われる。
ある人物の不審な動きも不明瞭なカネの流れも、中途半端な組織だったから誰も気にもかけなかったのではないか?
オリンピックもスポーツも、みんなで創る文化(カルチャー)だと、組織委理事会やマスメディアの誰もが認識していれば、利益を独占しようと動く人物の存在に気付いて阻止できたのではないだろうか?
|