今年のワールドカップ・ブラジル大会、日本は残念な結果に終わったが、その開幕前に、私は、素晴らしいサッカー映画を見ることができた。
タイトルは『ネクスト・ゴール』。南太平洋の小さな島国アメリカ領サモアの代表チームのドキュメンタリーで、2002年のW杯日韓大会オセアニア予選(2001年)で、オーストラリアに0対31と大敗。その後の公式戦30戦で200ゴール以上奪われ、国際サッカー連盟のランキングは最下位。
そんな弱小チームが、ブラジルW杯一次予選で必死になって初勝利をあげ、さらに……という「物語」、いや、「実話」を映画化したものだ。
野球やバスケットボールやアメリカン・フットボールなどのアメリカ生まれの球戯に対して、サッカー、ラグビーなどのヨーロッパ生まれの球戯は映画(物語)になりにくい、と言われている。
アメリカ生まれの球戯には、攻守の交代や作戦タイムなど、試合中の中断が多いから、選手や監督・コーチが何を考え、何に苦しんでいるのか、そのドラマチックな物語の心理的要素を、試合の流れのなかで描くことができる。
漫画『巨人の星』の主人公星飛雄馬がマウンド上で瞳に炎を燃えあがらせ、父や姉やライバルのことを考えることができるのも、試合中の中断が随所に存在するからだ。
しかしヨーロッパ生まれの球戯は、できるだけ試合を休むことなく進めようとし、試合中の中断がハーフタイムくらいしかない。
漫画『キャプテン翼』で主人公の大空翼がドリブルをしながらライバル選手に対する気持ちや、試合前の友人との出来事などを「語る」ことができるのも、漫画だからできることで、映画で同じことを描くと、サッカーの現実感を完全に失ってしまう(星飛雄馬のマウンド上での呟きは、試合が中断しているときだから、野球のリアリティは失わない)。
ヨーロッパではドラマ(劇的要素)は劇場での演劇やオペラで楽しみ、球戯はあくまでもスポーツとして技術の優劣を競うことを楽しんだ。が、17世紀以来アメリカに移民を開始したヨーロッパ人たちは、開拓に力を注いだり先住民との闘いに明け暮れて、町に劇場を建設する余裕がなかなか生まれなかった。
そこで空き地でプレイする球戯にドラマ的な要素を求め、観客が選手の心理を推測する時間的余裕のある球戯、つまり野球やアメフトやバスケに人気が集まった、というわけだ。
そこで、先に紹介した映画『ネクスト・ゴール』でも、ドラマ的な要素はすべて試合前に紹介される。オーストラリア相手に31失点したゴールキーパーの悔しい気持ち……娘を交通事故でなくし、アメリカ領サモアという遠隔の地の新監督就任を決意したオランダ人夫妻……サモアでは性同一性障害で女性(男性)的に振る舞う男性(女性)の存在が社会的に認められていて、バックスの一員として大活躍する女性的な男性……等々、あらゆる人々の「心」が錯綜するなかでサッカーの試合が始まる。
サッカーの試合中、ボールと人が動き続けるなかで、選手の人生や心理に思いを馳せることは難しい。が、チームや選手の背景に見事な人間ドラマが存在することを、素晴らしいスポーツ映画は教えてくれるのだ。
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この映画の試写会を見に行って、元横綱武蔵丸関(現在は年寄・武蔵川)に出逢った。アメリカ領サモアの出身(本名フィアマル・ペニタニ)で、試写会が終わった直後、「綺麗な場所での素晴らしい映画」と言いながら、目を赤くされてました。 |