コロナウィルスによる新型肺炎COVID19の感染が止まらない。
02年11月に中国広東省で発生したSARSは全世界で約30か国に広がり、8千人近くが感染。翌年7月に終息宣言が出さるまで8か月を要した。
それに対して昨年12月に中国武漢で発生したCOVID19はSARSよりも感染力が強く、今年の2月下旬現在、世界の約30か国に蔓延。7万人以上の人が感染。1千7百人以上の死者を出している。
有効なクスリも未確定、ワクチンも開発中で、当然7月24日に開幕を迎える東京オリンピックは開催できるのか、と心配になる。
が、2月13日、東京オリパラ組織委の森喜朗会長は、「東京大会が中止されるなどと無責任なデマが流されたが、中止や延期は検討していない」と断言した。
確かに「五輪中止」のネット上の「情報」は「デマ」の類いだろう。しかし日本が、世界中から中国に次ぐ第2の感染国と見られ、終息宣言が五輪開幕後にずれ込むことも予想されるなか、「中止や延期は検討していない」と断言していいものか?
同じ日にIOC(国際オリンピック委員会)のJ・コーツ東京五輪調整委員長も、「WHO(世界保健機構)から大会を中止したり延期する必要はないとの助言をもらった」と発言。
しかし翌日、WHOは「大会に関する助言はしていない。五輪を中止するか否かの判断は主催者が行う」とコーツ発言を否定した。
森・コーツ両氏の発言からは、何としてでも五輪大会を開催するという強い意志……いや、大前提が存在しているように伺える。
今回のCOVID19の蔓延に関して、厚労省は「不要不急の集まりは控えるよう」との注意喚起を促した。それに対してマスメディアやネットでは「不要不急」という言葉の「定義」を巡って様々な意見が飛び交ったが、スポーツイベントや文化イベントは、すべて「不要不急」であるという言い方もできる。
スポーツを含む人間の文化とは「人生の飾りである」と断言したのは作家の故・虫明亜呂無氏だが、確かにその通りで「飾り」のない「人生」は味気ないが、「飾り」がなくなっても人生はなくならない。一時的に「飾り」を失っても、再び「飾り」を身につけることは可能だ。
ならば、東京オリンピック・パラリンピックを目指して努力研鑽してきた選手や、日本国民の夢を壊さないためにも、予定通り大会を開催することに全力を注ぐとしても、COVID19の影響により大会が中止、あるいは3か月後か1年後に延期することも、当然視野に入れた様々な対処法(新たな計画)を考えておくべきだろう。
今回のCOVID19で生じている情況は、多くの人命に関わる事態である。五輪大会は巨大な経済的影響を及ぼすため、中止や延期は不可能……などと言ってる場合ではない。
秋への延期は高額の放送権料を支払ってるアメリカのTV局がMLB(メジャーリーグ)のワールドシリーズや、NFL(アメフト)、NBA(バスケ)の開幕とぶつかるため反対して不可能……などと言ってる場合でもない。
五輪だけでなく、一般参加者のレースをやめた東京マラソンや名古屋ウィメンズマラソンも、大相撲春場所やセンバツ高校野球も、感染拡大につながらないことを第一に、スポーツは本来「不要不急の人生の飾り」だとうことを忘れないで、解決策を考るべきだろう。 |