新春恒例のスポーツイベントと言われる箱根駅伝。今年は「絶対王者」と言われていた駒沢大学に対して「負けてたまるか大作戦!」のキャッチフレーズで挑んだ青山学院大学が優勝。そこで大会直後はこれまた毎年恒例のように、テレビのワイドショウが、青学の選手たちや原晋監督を招いて優勝の舞台裏を語らせたりした。が、マスメディアが「最も重要なテーマ」を避け、青学優勝の「オメデトウ番組に」終始したのは残念だった。
では、「最も重要なテーマ」とは何か? それは、青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督の原晋氏が、大会前の昨年12月、『週刊現代』(12月23日号)誌上で発表した箱根駅伝の「闇」と「改革案」のことである。
『100回記念大会を機に、変わらなければいけないー青学原晋監督「箱根駅伝の闇」全て話す』と題して語られたその内容は多岐に渡り、日刊ゲンダイDIGITALでも報じられている。その一部を紹介するとーー。
原晋監督は以前から、関東地方の約150大学が所属する関東学連(関東学生陸上競技連盟)が主催運営する箱根駅伝を、全国の大学が参加できる全国規模の大会に拡大するよう主張していた。
今年の100回記念大会は、予選会への参加資格を全国に広げ、史上最多の57大学が参加したが、原監督は、それを「茶番」だという。なぜなら全国規模への拡大の発表されたのが一昨年6月。そもそも全国の高校生で有望な中長距離ランナーは、箱根駅伝への出場を希望し、関東学連の加盟大学への入学を希望している。なのに、わずか1年少々の準備期間で、関東以外の大学の長距離ランナーのレベルを、関東の大学と同じレベルに引き上げるのは、所詮無理な話だったというのだ。
じっさい予選会を勝ち進んで正月の箱根駅伝本大会に出場したのは、全て関東学連所属の大学で、「記念大会の」全国化」は確かに「茶番」でしかなかった。
それは関東学連以外の地方の大学に原因があるのではない。原監督自身、関東学連以外の大学でも「3年あれば箱根に出場させる自信があります」と言う。それは人材を集めて鍛えれば可能で「関東圏に行かず地元の大学に進学する有力選手も出て」「指導者などの雇用も拡大」し、箱根駅伝は「大いに盛りあがり、地方創生にもつながる」という。
箱根駅伝を「既得利権」のように守っているのが関東学連というわけだが、その団体は「学生主体という立て付けですが、学連の基本方針を大人が決め、決められたことに対する事務作業を学生が執り行う運営となっています。そのため、絶対に責任を取らない組織体制になっている。しかも大学職員や教授などで構成されているトップの顔ぶれはずいぶん前から変わっていません」という。
箱根駅伝の前と後には合計4回の監督会議が開かれ、原監督は「10年近く、ルールや規則は現場の監督の意見を聞いたうえで決めるのが筋。学連が勝手に決めないでほしい、と訴えている」が、「検討しておきますと言われるだけ」。
その関東学連に日本テレビから入る放送権料は約3億円。これに対しても原監督は「毎年30%近い視聴率をとるコンテンツで3億円は、さすがにおかしい」と、その「安さ」に疑義を呈する。「関東学連から各大学に強化費として分配されるのは300万円だけ(略)個人的には3千万円もらってもおかしくないくらいの価値が箱根駅伝にはある」
アメリカで大人気の学生によるアメリカン・フットボールは、その入場料やテレビの放送権料が大学経営に大きく寄与してると言われ、一昨年には学生にもギャランティを支払うべきだという最高裁判決も下された。
日本では、大学スポーツに対してそのようなプロ並みの判断を下すことは無理かもしれないが、原監督が言うように、学生のスポーツイベントで多額の利益を上げている利害関係者が存在するなら、その利益の多くは大学や学生の利益に還元されるべきだろう。
箱根駅伝の場合は、関東学連が任意団体で決算資料を公表する義務がない。とはいえ、運営に相当の経費がかかっていることも事実で、カネの問題は共催社である読売新聞社と独占放送権を持つ日本テレビの問題と言えそうだ。
日本テレビは冠スポンサーのサッポロビール(週刊誌報道によればスポンサー料は約10億円)を初め、美津濃、トヨタ自動車、セコム、敷島製パン、NTTドコモなど、名だたる企業が名前を連ねており、原監督の言うとおり約3億円と言われる関東学連への放送権料は「さすがにおかしい(安すぎる)」。
が、最大の問題がテレビの放送権料であるだけに、テレビのワイドショウなどでは、原監督の指摘した箱根駅伝の「闇」(根本問題)は取りあげなかったのだろう。
最近のメディア(特にテレビ)は、報道(情報)番組が娯楽化し、娯楽番組が情報(報道)化するなかで、《「情報」(infomation)と「娯楽」(entertainment)を合わせた造語である「インフォテインメント」(infotainment)と呼ぶ」ようになった(伊藤守・編著『東京オリンピックはどういられたか』第4章『テレビ的「神話」に飲み込まれるニュース番組』田中瑛/ミネルヴァ書房)
たしかに『ワイドショウ』を見ていると「情報+娯楽」の現実のなかにジャーナリズム精神(批判精神)を求めるのは困難に思え、とりわけスポーツ報道はエンターテインメントの要素が濃厚なうえに、日本のメディアは様々なスポーツ・イベントの主催社、共催社、チームの所有者、独占放送社……として存在しているので、スポーツは情報や娯楽として扱われるだけでジャーナリズム精神(非難精神)を発揮して扱われる場合が少ない。
しかし原晋監督の箱根駅伝改革案は、誰が考えても、極めて真っ当な筋の通った正論である。それを無視するメディアのために、我々の社会は大きな損失を被っていることに気付くべきだろう。
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