今年の3月、MLB(アメリカ大リーグ)ニューヨーク・ヤンキースの公式戦開幕試合が東京ドームで行われた。相手はフロリダ州のタンパベイ・デビルレイズ。
もっと正確に書くなら、この「興行」の企画が持ちあがったとき、MLBは最初シアトル・マリナーズに訪日を持ちかけたという。それは、昨年予定されていたマリナーズの東京での開幕戦が、9・11同時多発テロのために中止になった経緯があったからだった。
ところがマリナーズの筆頭オーナーである山内氏(任天堂会長)が「今年は、日本のファンはイチローでなくヤンキースの松井秀喜を見たいだろう」といって辞退した。
そこでヤンキースを招聘することになったのだが、ヤンキースの公式戦はMLBのなかでもドル箱で、おいそれと海外に出すのは不可能だった。が、偶然にも今年のヤンキースの初戦がビジターで、しかも観客動員の少ないタンパベイでの4連戦。そのうちの2試合を東京に移すのは両球団にとっても増収になると判断され、この東京興行が実現したのだった。
興行の主催は日本のメディア(読売新聞社)。MLBとヤンキース、デビルレイズ両球団が入場料や放送権料やチーム・グッズのロイヤリティなど、どれくらいの収入を得たのか詳細は判然としないが、選手のボーナスは1人約3百万円。
年俸数十億円のヤンキースのスター選手には端金だっただろうが、デビルレイズの若手選手は大喜びで、ロッカールームでは「これでクルマが買える」と笑顔を浮かべていたという。
そうして、世界中から選手を集め、世界中に情報を発信し、マーケットを広げることを企図しているMLB機構も、球団も選手も、そして日本の主催者も、誰もが満足するなか、日本のファンは松井のホームランに大歓声を送ったのだった。
が、この「ヤンキースの日本興行」は、いってみればタンパベイ・デビルレイズというチームが、あまり地域社会の支持を得ていなかったから実現した、ともいえるのである。
かつてヨーロッパのサッカー・リーグでも同様の動きがあった。日本の大手メディアが、日本人選手の所属するイタリア・セリエAなどの公式戦を日本で開催しようとしたのだ。これは、いまも画策されているとも聞くが、実現には至っていない。
プロ・サッカーの公式戦は、試合数が野球のようには多くない。デビルレイズの場合は本拠地タンパベイでの82試合のうちの2試合を手放しただけだったが、サッカーの場合は年に15〜20試合しか行われない地域住民の楽しみが、1試合失われることになる。
しかもそれが、日本でも有名な強豪チームとの試合となると、「サッカーチームの都市の住人は暴動を起こすだろう」というサッカー・ジャーナリストもいる。
しかも(野球も本来はそうだが)サッカーやラグビーといったヨーロッパのフットボールには「原則としてホーム・アンド・アウェイで闘う」という考えが色濃く残っている(そのためラグビーは、必然的に第三国で闘うことになるワールドカップの開催が、十数年前まで実現しなかった)。
スポーツチームは都市とその都市に暮らす地域住民に所属するもの、という思想が、欧米では長い歴史に裏打ちされて定着しているのだ。
シアトル・マリナーズのイチローやニューヨーク・メッツに入団した松井稼頭央が、チームメイトと一緒に地元の小学校を訪問した映像は、日本でもニュースとして流された。
それはMLB球団の地域活動の一貫であり、MLBだけでなくマイナーリーグもふくめた3百余のアメリカの野球チームも、さらにバスケットボール(NBA)やアメリカンフットボール(NFL)などのチームも、老人ホームや学校・病院の訪問、ヴォランティア活動に力を入れた子供たちへの入場券の配布・・・といった地域住民との交流活動を日常的に繰り返している。
また、松井秀喜のように、ニューヨーク市の特別観光大使に任命され、観光客誘致のPRと地域経済の活性化に一役買うような場合もある。
ヨーロッパの場合は、地域社会とスポーツチーム(クラブ)との親密度において、アメリカよりもさらに長い歴史を持っているため、逆にクラブから社会への働きかけ(住民との交流活動)は少ない。
が、たとえばドイツでは、ブンデス・リーガ(州リーグ)に所属するクラブが、サッカーだけでなく、ハンドボール、バスケットボール、バレーボール、ホッケー、柔道、フェンシング、テニス、卓球といった様々な競技のクラブを同時に運営し、オリンピックのメダリストから未就学児童のスポーツ指導や老人の生涯スポーツまで、じつに多様なカテゴリーを擁する「地域の総合スポーツクラブ」として存在している。
たとえば、元ジュビロ磐田の高原選手の加入したHSV(ハンブルガー・スポーツ・フェライン)は、日本ではブンデス・リーガのサッカー・チームとして有名だが、ハンブルク郊外にあるクラブには、広大な敷地のなかに20面以上のテニスコート、2つの体育館、4面の芝生のグラウンド、そしてシャワールームやロッカールームやトレーニング・ルームを備えたクラブハウスなどがあり、3千人以上の会員(市民)が様々なスポーツを楽しんでいる。
また、レストランやバーも2軒ずつあり、サッカー教室に子供を連れてきた親たちが、練習の済むまでそこで食事や酒を楽しみながら歓談したり、クラブハウスの会議室を利用して学校や地域社会の問題を話し合う、といった光景が見られる。
このような総合スポーツクラブが、州や市の税金、会員の会費、そしてトップ・プロチームの試合の入場料や放送料や関連商品の売り上げによって運営されているのである。
また、フランス・パリ郊外のルヴァロア・ペレ市にある総合スポーツクラブは、サッカー・チームはパリ・サンジェルマンを応援する人が多いため、プロ・バスケットボールのチームを運営し、それを頂点として、自転車、卓球、水泳、水球、テニス、バドミントン、トライアスロン、重量挙げ、ペタングといったスポーツに力を入れ、五輪のメダリストから子供たちまで、全市民(5万3千人)の18%にあたる9千6百人が会員になっている。
このクラブの運営には、市から年間9千万フラン(約18億円)の補助金が拠出されており、それは市の予算の10パーセント(フランスの全国平均は3パーセント)にもあたるという。
このように、欧米のスポーツクラブは地域社会と濃密な関係を結ぶなかで、スポーツの発展と地域社会の活性化(真に豊かな社会の建設)に寄与しているのだ。
それに対して、日本ではスポーツが学校や企業に所有される形で発展したため、地域社会とスポーツの関わりはきわめて希薄な状態が長いあいだ続いた。
イチロー選手は、日本のオリックス球団に所属していたときも、マリナーズでの学校訪問に類するヴォランティア活動を行っていた。が、それはあくまでも個人的な奉仕活動であり、スポーツチームが地域社会に根ざそうとする活動ではなかった。
プロ野球や企業スポーツは親会社の利益(宣伝)を第一義に考え(したがって、会社の名前が全国に知られ、商品の販売が全国に広がるよう、「全国展開」することが第一義とされ)、学校は母校の栄誉(や私学の宣伝)にスポーツを利用し続けてきたのだ。
そんななかで、1993年にスタートしたJリーグは、ドイツのブンデス・リーガをモデルにしたうえ、アメリカのプロチームのような積極的な地域活動を採り入れ、地域社会に根ざしたスポーツ・クラブづくりを推進している。
運営は地方自治体と地元企業と地域住民が三位一体となって行い(金を出し合い)、クラブは少年少女のサッカー教室や他のスポーツ競技の指導と発展も取り組む。そして選手たちは、学校訪問や献血運動といった地域社会の活動にも取り組む。
そうして、たとえばコンサドーレ札幌や横浜FCのように、市民の一株株主の集団がチーム運営会社の筆頭株主として運営に関わるスペイン・リーグの「ソシオ」と呼ばれるヨーロッパ型地域住民参加の運営が開始されたり、女子バスケットボール・チームを持つアルビレックス新潟、バレーボールチームを持つ東京ヴェルディ1969、駅伝チームを持つモンテディオ山形のような、地域の総合スポーツクラブを目指すチームも誕生するようになった。
東京でニューヨークのチームを応援する状況は、東京という地域社会には何物ももたらさない。Jリーグもまだ発展途上ではあるが、その理念が他のスポーツにもどれだけ広がるか。それが、未来の日本のスポーツの発展と、日本社会の豊かさを、大きく左右するに違いない。 |