アテネ五輪の開幕が迫ってきた。が、日本人選手のメダル獲得への期待ばかりを騒ぎたてるのではなく、もっと大きな問題が存在することを忘れないでほしい。
はたしてアテネ五輪は無事に開催することができるのだろうか? そしてオリンピック開催の意義をまっとうすることができるのだろうか?
改めていうまでもなくオリンピックは単なるスポーツ大会ではない。それは平和運動の一環である。過去には政治(戦争)にスポーツが翻弄され、大会が中止されたり、一部の国々のボイコットがあったりもした。
しかし長野大会以来、シドニー、ソルトレイクシティと3大会連続してオリンピック休戦が実現し、政治(戦争)よりもスポーツで世界の人々が結ばれることのほうが大切であるという認識が広まり始めた。
古代ギリシアで千年以上も続いたオリンポスの祭典では、祭典期間中の休戦を破ったポリス(都市国家)は地中海共同体(当時の全世界)の一員とは見なされなくなり、交易停止等の制裁を科せられたという。
そして現代のオリンピックも、衛星放送の発達によって全世界に大会の模様が中継されるようになり、地球共同体の核となり始めている。その一方でイラク情勢が緊迫の度合いを深めるなか、1世紀を経て故郷ギリシアへ里帰りするオリンピックの成否は、未来のオリンピックと未来の地球共同体のあり方を大きく左右するものといえよう。
アメリカは2012年にニューヨークに五輪を招致し、復興記念大会の開催を目指していると聞く(そのときには9・11で破壊された跡地にも高層ビルが復活している)。そのため、アテネ五輪も「テロとの闘い」と位置づけ、NATO軍のリーダーとしてギリシア軍とともに対策を講じているという。が、オリンピックによる平和とはそういうものではあるまい。
なんとかオリンピック休戦が実現するなかで、開催を成功させてほしいものだが・・・。
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と、書いたのですが、イラクでの「オリンピック休戦」は、残念ながら実現しませんでしたね・・・。 |