体育教育には3種類ある、と私は考える。
一つは理科系体育。スポーツを通して身体の生理機能や骨と筋肉の動き、動かし方、鍛え方などを学び、研究する。スポーツ医学や理学療法、栄養学やトレーニング学に通じる教育である。
次は文化系体育。スポーツや各競技の誕生発展の歴史(スポーツ史学)、現代社会におけるスポーツやオリンピックの意義(スポーツ哲学・社会学)、報道や体育教育のあり方(スポーツジャーナリズム学・スポーツ教育学)等を学ぶ。
スポーツマンの心理を研究したり(スポーツ心理学)、スポーツクラブの経営、リーグの運営の勉強(スポーツ経済学)も、文化系体育に含まれるだろう。
最後は実践系体育。身体を鍛え、体力・技術・戦術を身に付け、勝利を目指して試合に挑戦することでスポーツの意義を理解する。
スポーツ競技は必ず勝利を目標にするもの。勝利をめざさないスポーツ競技など、ありえない。が、けっして試合に勝つことが最終目的ではなく、勝利至上主義に走るのは愚の骨頂で、「スポーツの意義」を見つけ出すことが最終目的であるという教育を、徹底する必要があるだろう。
旧来の高校以下の体育教育では、理科系体育は保健の授業で男女の性差を学ぶ程度で、文化系体育はほぼ皆無。
バスケットボールがどのように生まれたか――それは19世紀の終わりにマサチューセッツ州の体育教師J・ネイスミスが、雪深い冬でもフットボールを屋内でやりたいと思って創作し、オフサイドに変わる「3歩反則ルール」を考え出した――といったことは、ほとんど教わらないまま、ルールに疑問も抱かず鵜呑みにして、練習や試合に挑む。
こういったスポーツの基礎知識やルール変遷史をきちんと頭に入れていないから、日本のスポーツマンやスポーツウーマンは、国際的スポーツ組織のなかでのルール変更等の会議で有効な意見を開示できず、発言力を持つこともできないのだろう。
しかも試合での戦術や練習を生徒が考える(生徒に考えさせる)ことは(強豪校ほど)少なく、生徒は教師の指導(指示)で動く。
高校野球で選手が何度もベンチの監督のサインを見る姿を思い出してほしい。高校野球を教育だというなら、監督=作戦を考える役割も、高校生にやらせるべきだろう。そして、監督はネット裏から高校生の動きを見守るほうがいい。
マスメディアも、高校生の全国的なスポーツを主催したり、テレビ放送することの是非も含めて、それが高校生の体育=スポーツ教育にとって相応しいことかどうか、考え直す必要があるだろう。少なくとも、そのことを自らの新聞やテレビで取りあげるべきである……と、かつて高校野球強豪校の練習を取材中に、何度も厳しい「体罰」を目撃したことのある私は、それを告発できなかった自戒を込めて、メディアに対して「まず隗より始めよ」と言いたい気持ちが大きい。
それはさておき、監督や先生の指示通りに生徒が動かず(動けず)、試合に負ければ体罰……というのでは、断じて教育とは言い難い。いや、監督や先生の指示通りに動いて勝利したとしても、それをはたしてスポーツ教育(体育教育)と言えるか?
一人の高校生の死を無駄にしないためにも、体育教育を改革せねばならない。今すぐ改善できることは、山ほどあるのだから。
さらに付け加えるなら、文化系体育の教育は、体育教師を大勢輩出している大学での教育に取り入れられるべきだろう。そして、そのような大学に今なお広く蔓延している(と見聞きしている)「体罰」という名の「暴力行為」の実態も詳細に調査し、大学での「暴力行為=体罰」をすべて禁止し、停止させない限り、「体罰」を言い逃れにした「暴力教師」の「暴力」は、なくならないだろう。
最後に、日本バスケットボール協会(JBA)にも触れておかなければならない。
「公益財団法人日本バスケットボール協会は、国内唯一の統括団体としてバスケットボールの普及・育成・強化に努めています」と、ホームページで宣言しているJBAが、大阪桜宮高校バスケットボール部の部員が自殺した「事件」につて、一言も発言しないのは不思議である。
バスケットボール指導者(体育教師)の「体罰」をどう評価するのか、日本のバスケットボール界の指導体制を、今後どうするのか、大阪市(大阪市長)、大阪市教育委員会(大阪市教育長)とともに、JBAも、調査し、原因を究明し、考え直し、改めるところは改め、指導する責任があるはずだ。
ちなみに公益財団法人日本バスケットボール協会の会長は麻生太郎氏である。麻生氏は昨年末の副総理兼財務・金融担当大臣就任以来、多忙を理由にバスケットボール協会会長職を休職中。現在会長職は、副会長の深津泰彦氏(東京トヨタ自動車株式会社代表取締役会長)が会長職務を代行している。
が、日本のバスケットボール界の頂点のリーグが、JBL(日本バスケットボール・リーグ)とbjリーグに分裂していたり、JBAのトップが専任職でなく、政財界の「有力者」となっているあたりにも、日本のスポーツ界・体育界のなかでも、バスケットボール界の「問題」の根深さがあるように思える。 |