先日(18日)行われたボストン・マラソンの優勝タイムは2時間3分2秒! いまに2時間を切るのでは…と思えるほどの大記録だった。
が、これは世界記録に認定されないという。
04年に定められた道路競走の記録公認ルールに「直線コースは総距離の半分以下」「スタートとゴールの標高差は総距離の千分の1以下」とあり、下り坂の多い直線的片道コースのボストン・マラソンは、どちらの規則にも失格。
厳格なルールによる公平性の保証こそ近代(現代)スポーツの基本なのだろう。が、スポーツは、つい最近まで、もっと「遊び心」に富んでいたようにも思う。
1975年にボストン・マラソンを走った和太鼓奏者の林英哲さんは、ゴールのあと太鼓を叩きまくって観衆を仰天させた。当時ボストン交響楽団の常任指揮者だった小沢征爾さんがそれを見て、「素晴らしい!」と絶賛し、英哲さんの和太鼓とボストン交響楽団の共演も実現した。
また、1930年代のアメリカ大リーグも、今日の野球(ベースボール)とはかなり異なり、ベーブ・ルースが打席に立つと相手ベンチのボールボーイが、プレゼントの小箱を手にして駆け寄ったりもした。
そのプレゼントをもらったルースが箱を開けると、バネ仕掛けのカエルが中から跳びだして全員大笑い……。それから審判が、「プレイボール!」を叫んだという。
そのヤンキース監督として黄金時代を築いた名将ケーシー・ステンゲルは、60年代にメッツの監督になったときも、三塁のコーチャーズボックスに立ったときは、帽子を取って挨拶するたびに頭のテッペンから鳩を飛び出させ、ファンを喜ばせたという。
大相撲の場合は、さらに「大胆」で、明治42年に国技館が完成するまでは、観客が勝った力士に祝儀を渡そうとして羽織や帽子を土俵に投げ込む「投げ花(投げ祝儀)」が盛んだった。
力士や呼び出しがそれらの品物を拾って持ち主に渡すと、現金の御祝儀と交換してもらえたという。また贔屓筋の客が見に来ると、関取は桟敷席まで挨拶に行き、お酌をして日頃の後援の礼をするのが常だったという。
それらの「前近代的余興」は現代の相撲では影を潜めた。
しかし、マラソンランナーの太鼓打ちや、野球の監督の鳩の手品や、大相撲の「投げ花」は消えても、大相撲から土俵入りや弓取式、初っ切りや相撲甚句……まで消えるとなると、それは大相撲ではなくなってしまう。
ということは、大相撲は本質的に「現代スポーツ」にはなり得ないもの、といえるだろう。だから「八百長」も大目に…とまでは言わないが、「情け相撲」くらいは当然存在するもので、あってもいいのではないか…と思うのは私だけだろうか?
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5月の技量審査場所でも、ありましたもんね……。
エッ、どの一番が? どれが「八百長」だったの? などというのは野暮の極みです。 |