過日、テレビのワイドショウを見ていると、海外からの観光客も含めて富士山に登る人々が大勢押し寄せ、頂上付近が、まるで通勤電車の車内のように大混雑している様子が報じられていた。
美しい外形に加えて世界遺産にも選ばれ、日本一高い山に一度は登りたくなる気持ちもわからないではない。
が、登山とは面白い歴史を持つ「スポーツ」で、古くは「山に登る人」など存在しなかったのだ。
昔は、山に登るのは山の向こう側にある場所へ行くためであり、または山の上に存在する(と言われる)山に棲む神に詣り(または悪魔を退治し)、修行するという目的がなければ山へは登らなかったものだった。
が、15世紀になってイタリアの詩人ペトラルカが、「山に登れば気分がいい」と詩に書き、そこから目的地も神様も悪魔も修行も関係なく、山に登ることが目的の「近代登山」が始まったと言われている。
ペトラルカは今も「近大登山の父」と呼ばれているが、初期の「近代登山」は現在の登山とかなり様相が異なっていた。
ヨーロッパにはアルプス山脈という見事な山脈があったため、その山々の頂上に、誰もが一番先に到達したいと思うゆになり、とりわけ峻険な外観から悪魔の棲む山と言われたマッターホルンへの初登頂は、世界の登山家たちの大目標となった。
1865年7度目の挑戦で世界初の登頂に成功したイギリス隊を率いたエドワード・ウィンパーは、その様子を『アルプス登攀記』(岩波文庫)に詳しく書き残しているが、初登頂を争い、頂上に迫っていたイタリア隊に対してウィンパーたちが取った態度には驚かされる。
彼らは、自分たちが「一番」であることを示し、栄誉を奪われないために、イタリア隊めがけて石や岩を投げ落とし、岩雪崩を起こしたのだ。
現在ではこんな殺人的行為は許されない。もちろん試みようとする登山家も皆無だろう。が、頂上到達の早さを競って「勝利」を目指していた「近代初期の登山」では、このような馬鹿げた行為も「勝利のための戦術」とされていたのだ。
冒頭に書いた富士登山も、近代(明治)以前の江戸時代までは富士山への信仰心を示すために登っただけで、世界遺産としても、「信仰の対象であり芸術の源泉としての文化遺産」として登録されている。
富士山は、自然遺産としても申請したのだったが、火山の形としては珍しものではなく、ゴミの多いことなどで落選してしまった。
現在の登山客の多さを考えると、ゴミのさらなる増加が心配になる。が、それはさておき、ここで注目したいのは、「競争」とか「勝利」という要素のなくなった登山というスポーツが、今も多くの人々によって楽しまれているという事実である。
もちろん世界一高いヒマラヤ山脈のエベレストを目指す登山と、自宅から歩いて行ける低い山をハイキングがてらに目指す登山では、文字通り雲泥の差があるだろう。
が、個人の目的に応じた登山の喜びを考えるなら、その「差」は、ほとんど無意味と言えるのではないだろうか。
多くのスポーツ競技は、今も勝利を目指して競争している。そしてマスメディアは常に勝利を讃え、高く評価する。が、その勝利にどれほどの価値があるのか?
そろそろ近代スポーツの勝利という価値を問いなおすべきときが来ているのかもしれない?
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